きのうは久しぶりに家で飲み、春キャベツと豚肉のみそ炒めを作った。
陰口は、べつに悪くないのである。
京都が「古都」であることは、もちろん越してくる前から承知していて、神社仏閣はそれこそ無数にあるわけだが、実際に住むようになり、そのような有形のものばかりでなく、無形の文化のなかにも「古い日本のあり方」が根強く残っていることを感じている。
「新しいものを、敏感でありながらも安易に受けいれない」ことが京都の人の特徴だとぼくにはおもえ、これは「都」が様々な新しい人や文化があらわれては消える場所であったことを考えれば当然のことだろう。
飲食店などでも「常連」として迎えられるまでに、ぼくがこれまで住んできた東京や名古屋、広島などとくらべるとはるかに長い時間がかかる。
ただ一定の回数、顔を合わせればいいのでなく、こちらが京都やその店の流儀を身につけることが必要なのであり、それを「見つけた」と思えると、相手も親しげに接してくれるようになる。
一旦親しくなると、今度は濃密な人と人との交わりを楽しめるようになるのである。
先日も「さすが京都だ」とつくづく思うことがあった。
常連として通っているある飲食店が、消費税増税にあわせて値段表を改定した。
それぞれ50円程度の値上げをしたのだが、ぼくが支払いをしようと思うと、以前の値段と変わらない。
おそらく常連客にたいしてだけは、値上げをしていないのだ。
そんな面倒なことをしようなど、京都以外で考える人はいないだろう。
さてきのうは久々に、家で飲むことになった。
外で飲むのも楽しいが、いちばん落ち着けるのは家である。
例のごとく、風呂にはいって焼酎水割りを飲みながらツイッターを見ていると、タイムラインにある投稿が流れてきたのが目についた。
ツイッターの投稿は多くが他愛もないものなのだが、たまに興味を引かれるものが流れてくることがある。
その投稿は、
「自分はつい人の陰口を叩いてしまいがちで、そうならないよう気をつけている」
という趣旨だったのだが、ぼくは「陰口はべつに悪くない」とおもった。
京都の人は、実に楽しげに陰口をきくのである。
いつもブログ更新をさせてもらっている喫茶店に、80歳前後とおもわれるご婦人が何人か、ほぼ毎朝あらわれる。
仲間で時間を待ち合わせているようで、たまに一人だけしか来ないと店主が気をきかせて別の仲間に電話してあげたりしている。
そこで繰り広げられるのはさながら「女子会」、1~2時間みっちり話して帰っていく。
「女性は何歳になっても話し好きだ」とつくづく思い知らされるのだが、聞くともなしに聞こえてくるその話のほとんどが、その場にいない人の噂話、しかもどちらかといえば「悪口」なのである。
「あの人がどうしてこうして、こんなことを言ってこんなことをして・・・」と話ははじまる。
「うんうん、そうなの、それで?」と話はつづき、時にはヒソヒソ、声が小さくなったりもする。
「私もそれを言ったのよ」などと受けとられ、「それはあかんなあ」などと感想も述べられる。
そして最後はかならず、「アハハハハ」と手を叩きながら大笑いし、その話題は終わるのだ。
このご婦人たちに限らず、京都の人は陰口が好きだと思う。
飲み屋などでも、あるお客さんがいなくなった瞬間に、その人の陰口が楽しげに話されることもある。
内容は痛烈なのだが、かならず可笑しい。
一種の「芸」とも思えるくらいで、だいたいはもらい笑いをすることになる。
今の日本では、一般に「陰口は悪い」とされているだろう。
陰で言わず、本人の前で直接言うのがいいとされる。
でも京都の人が陰口好きなのを見るにつけ、それは最近の傾向なのではないかと思うのだ。
戦後になり、日本が外国の文化に強く影響されるようになってからのことなのではないだろうか。
外国は、「白黒をつける」ことを良しとするところがあるだろう。
「決闘」などは「カッコイイ」とされるわけだし、その延長に「戦争」もある。
でも日本はむしろ、無理に白黒をつけることなく「争いを避ける」ことを良しとするところがあるのではないだろうか。
その際、「陰口」はガス抜きの弁として、有効に機能するのではないか。
今、学校のいじめやネットの誹謗中傷など、行き過ぎた陰口が多いのは、陰口を「よくない」とするところに原因があるのではないだろうか。
行き場のないエネルギーがどこかに噴き出てしまうのは、よくあることだ。
むしろ「陰口の作法」をこそ、教えるべきなのではないか。
何でも外国の文化を取りいれるのでなく、日本がもともと持つものを大事にするほうが日本はよくなるのではないかと、京都の人を見ておもうのである。
きのうはそんなやり取りをツイッターでしながら、晩酌の支度をした。
作ったのは、春キャベツと豚肉のみそ炒めである。
春キャベツは少し前に買い、冷蔵庫にいれてあったのだが、どうやって食べるかは決めていなかった。
それを先日、酒房京子で豚肉とみそで炒めたのが出てきて、それがうまかったから自分でも作ってみようとおもったのだ。
酒房京子の女将はみそを3種類つかっていたが、ぼくは信州みそと豆板醤、それに砂糖とショウガで味付けした。
炒めるのにゴマ油を使い、さらに少しコクをつける。
ゴマ油少々をひいたフライパンを強火にかけ、豚コマ肉200グラムくらいを炒める。
豚肉の色が変わったら、合わせ調味料をいれる。
合わせ調味料は、信州みそ大さじ2、酒とみりん、砂糖大さじ1ずつ、おろしショウガと豆板醤小さじ2分の1ずつ。
さっと混ぜて調味料を肉にからめたら、ざく切りにした春キャベツをいれる。
混ぜながら炒め、キャベツがしんなりとしたら火を止める。
春キャベツはやわらかいから、下ゆでする必要はないし、茎の太い部分もそのままいれてしまっていい。
甘みがあり、豚肉との相性もとてもいいのである。
きのうはあとは、とろろ昆布の吸物。
お椀にとろろ昆布と削りぶし、青ねぎ、うすくち醤油をいれてお湯をそそぐ。
鯛あら煮付けの残り。
温め直さず煮こごりで食べるのもうまい。
もやしのおひたし一味ポン酢。
さっとゆで、よく絞ったもやしは、紙で包んでジップロックなどにいれ、冷蔵庫にしまっておくと日持ちする。
すぐき。
三条会商店街のすぐきは5月くらいまであるそうだ。
酒はぬる燗。
きのうは3杯飲んで寝た。
「ぼくももっと陰口しよう。」
オレのことはばらすなよ。
◎関連記事
「街」という家に住むのもいいのである。(京都・四条大宮/てら、壺味、Kaju、スピナーズ)
人のつながりは実世界で見つけないといけないのである。(豚肉とわかめの炒め)
コメント
高野さんの話を読んでいると,
人に惚れ
土地に惚れ
・・・
を感じます。
それが,その土地に馴染む秘訣ですね。
悪意のない陰口。
自分の人格を落とすものでないならば,許されるような気がしてきました。
ずっと関東に住んでると関西は違うな~と思うし、関西系の方のファンというのもあって、関西は憧れの地でもあります~(*^^)v
悪意のないストレス発散的なパーっと言ってもう忘れる感じの陰口ならなんの問題もないな~って思います。
偽善ぶってそんな事言っちゃダメだよ~って感じの人の方が信用できないって思ってます~(~_~;)