「街」という家に住むのもいいのである。(京都・四条大宮/てら、壺味、Kaju、スピナーズ)

てら 京都・大阪の飲食店

 
友達が訪ねてきたので四条大宮の飲み屋を案内した。

てら

「街」という家に住むのもいいのである。

 

 

「家」は伝統的には、その中に必要な機能を全てそなえ、それを主婦が管理・運営し、というものとなるだろう。

それがいいものであることにぼくは異を唱えようとするのでなく、自分の城を思う通りに作り上げていくことは、「幸せ」の一つの形であるにちがいない。

ただそれとはまったく対局の、別の考え方もあると言いたいのであり、それはそれで、大変いい。

ぼくはそこで、非常に快適に暮らしているわけなのだが、それは「街を自分の家とする」ということである。

 

2月に引っ越しをし、家賃を大幅に圧縮して「最小限」といえる家に住むことにしたのだが、そこでするのは寝ることと、自炊した料理を肴に酒を飲むことだけである。

風呂もついていないのだが、徒歩5分圏内に銭湯が3つあり、その広々とした風呂は、手狭なユニットバスより逆に気分がいい。

ブログを更新したり、仕事するための書斎が必要なのだが、ぼくは元々ひとりの家では煮詰まって集中できないため、カフェ「タリーズ」をそれにあてていた。

最近では喫茶店「PiPi」も書斎の一つに加わり、さらにPiPiは昼酒のためのダイニングにもなっている。

 

リビングは、飲み屋である。

友達が来ればそこでもてなすから、飲み屋は客間でもある。

最近は、別荘もできた。

郡山の飲み屋である。

 

こうして「街」を自分の家として使うことは、ぼくのようにひとりで暮らしている者にとっては全くなにも不都合がない。

むしろ中途半端に広い家に住むより、金銭的にもムダがなく、よっぽど居心地がいいのである。

 

さてきのうは友達の女性二人がぼくの「家」に遊びに来た。

てら

ぼくも付き合い、結局寝たのはまたも明け方近くになってしまったわけである。

 

二人はぼくのブログ読者で、立ち飲み「てら」へ行きたいとのことだったから、ぼくはちょっと用もあり、先に二人で行ってもらった。

その間にお客さんとも仲良くなり、楽しんでくれたようである。

 

それからたこ焼き「壺味」へ行った。

壺味

ピンク色の酒は「バクダン」。

食べたのは「どんぼ」、これはとり貝を酢みそで食べるもの・・・、

壺味

 

タコ山芋。

壺味

すりおろした山芋にタコが入っていて、玉子が貼り付けられており、ポン酢で食べる。

 

それからねぎ焼き。

壺味

これはぜひ食べさせたかった。

壺味のねぎ焼きは「これでもか」とばかり大量の九条ねぎを、30分以上かけて蒸焼きする。

壺味

京都独自の辛ソースがかけられて、酒のアテにはもってこいなのである。

 

それからあとは、ダイニングバー「Kaju」。

Kaju

こじんまりした暗い店内は、ゆっくりと話をするのに打ってつけ。

アテはキムチ。

Kaju

自家製で、さわやかな味がする。

 

この時点ですでに12時を過ぎていた。

でもこれで「終わろう」とはならないことは、言うまでもないのである。

 

最後に行ったのはスピナーズ。

スピナーズ

カウンターは常連さんで一杯で、後ろのテーブル席にすわる。

話は途切れることがない。

女性も酒豪だったから、飲み終わったのはけっきょく4時に近かった。

 

さらに女性二人は、今朝「PiPi」へ来た。

PiPi

となればぼくも朝からビールを飲むことになるのである。

 

「このところ飲み続けだね。」

チェブラーシカのチェブ夫

春だから仕方ないよな。

 

 

 

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