昨日はいつもお世話になっているバー「スピナーズ」の3周年記念だった。
そこで初対面のアラフォー女性と話をしながら、「先が見えないときは耐えないといけない」とあらためて思ったのである。
土曜日はいつもならラーメン屋でビールを飲むのだが、昨日はカレーを食べないといけない事情があった。
ブログ更新の場とさせてもらっている喫茶店「PiPi」の店主「マチコちゃん」が一日限定で特製カレーをつくり、「それを食べずに済ませるつもりか」と睨まれたからである。
コーヒー一杯で毎日長居させてもらえる貴重な場所だから、大切にしないといけない。
店主の言うことに素直にしたがうのは当然の話である。
で、そのカレーだが、実際の話たいしたものである。
「スリランカ風カレー」だそうで、素人がつくるものとは思えない。
スパイスもいくつかを自分で調合し、味つけも吟味に吟味を重ねているとのこと。
異国情緒満点でありながら、日本人の口にも合うようになっている。
昨日はこれをアテに、ビールを2本飲んだ。
春の日差しがさし込む土曜日の昼下がり、ついているテレビを横目で見ながらぼんやりとビールを飲むのは、何とも気分がいいのである。
家に帰って昼寝をしたら、もう夜になっていた。
いつもお世話になっているバー「スピナーズ」の3周年記念パーティーが予定されていたから、祝いの品を用意して出かけることにした。
「石の上にも三年」というが、飲食店を三年つづけるのはそう簡単なことではないだろう。
四条大宮でも、出来たはいいがすぐに失くなってしまう店も少なからずある。
しかもスピナーズは大宮の中心街からはだいぶ離れた場所にあり、さらに「料理をまったく出さない」という不利な条件で勝負してきている。
マスターの苦労やいかばかりかと思うのである。
「その甲斐あって」ということだろう、今ではスピナーズには老若男女の常連さんが大勢ついている。
昨日も店に入りきれないほどの人が集まっていた。
ビールとワインが3周年価格で一杯100円になっていたから、ぼくはまずビール、それからワインをガブガブ飲んだ。
スピナーズに来はじめて2年、今ではぼくも常連さんの大半を知ることとなっているから、あれこれと話も尽きない。
カウンターに座ったぼくの横には、V6櫻井くんに似た若い男性がいた。
本当にかわいい顔をしていて、さらに頭の回転が速いことは、ぼくも何度か話をしているから承知している。
彼が近々で会社を辞め、地元へ帰って実家のお寺の副住職になるというから、話は「お寺」のことになった。
お寺については、ぼくも前から思うところがあるのである。
「日本人は無宗教」といわれるが、神道と仏教には、多くの人がそれなりの関わりをもっているだろう。
特に神道は、神前結婚はもちろんこととして、初詣やら恵比寿様やら、年間をとおしていくつもの催しが組まれ、そこでたくさんの人が少なからずのお金を落とす。
それに比べて仏教は、ほとんどの人が「葬式」のとき触れるくらいではないだろうか。
熱心な檀家さんは別として、日常的な関わりが、神道よりうすい気がする。
そういう話をしたところ、櫻井くんは
「神道は、やはり土着信仰とむすびついているから強いんですよ」
と言う。
仏教はどうしても、檀家さんからの紹介で新たな檀家さんを獲得していく他には、拡大がなかなか難しいのだそうだ。
でもぼくは、仏教ももう少し、何かできるのではないかという気がするのである。
日本人が「精神的なもの」を求めていないわけではなく、実際新興宗教にハマる人も少なくない。
「たとえば『プチ修行』とかどうなんでしょう?」
ぼくは櫻井くんに軽口をたたく。
アラフォー女性を対象とし、教養とリラクゼーションを兼ねた催しを企画して、グルーポンなどでクーポンを出せば、けっこう売れるのではないかという気もする。
「お寺をもっとオープンにしていくことは、考えないといけないですね・・・」
櫻井くんは、ぼくの無知な提案にも、きちんとまじめに答えてくれた。
櫻井くんとの話が一段落したころ、店に女性二人のお客さんが入ってきた。
スピナーズへははじめての顔だったのだが、一人はぼくがいるのを見て、
「あ、高野さん・・・」
声を上げる。
振り返ると、それは以前べつの店で、人に紹介をされて話した女性だったから、ぼくは席を移動して、その女性二人と話すことにした。
話しながら、
「先が見えないときは耐えないといけない」
と、あらためて思ったのである。
さて女性二人なのだが、年のころは四十前後で、二人ともかなり可愛く、ぼくを知っていた女性は本上まなみに、その友達は蛯原友里にも似ている。
烏丸あたりで食事をし、「一杯飲むところがないか」とスピナーズへ来たそうだ。
テーブル席をかこみ、本上まなみはビールを、蛯原友里はカルアミルクを注文、ぼくはワインをおかわりして話しはじめた。
二人とも、大宮でのむ機会はそれほど多くないそうだ。
本上まなみが独身なのは知っていたが、聞くと蛯原友里も独身で、さらに二人ともつき合っている相手もいないそうだ。
「そんなにおきれいなのに、どうして相手がいないんですか?」
と聞くと、「男性と出会う機会がない」という。
本上まなみは歯科医院に勤務していて、同僚は女性ばかり、さらに患者さんもお年寄りばかりだそうだ。
蛯原友里も、実家の商売を手伝っているから、一日家族だけで過ごすことも珍しくないという。
「友だちに紹介してもらったりとかできないんですか?」
ぼくは聞いてみた。
友だちの紹介は、相手を見つけるには王道だろう。
「この年になると友だちは、みな結婚しているか、または私たちみたいに出会いがない女性ばかりで、紹介には期待できないんですよ・・・」
ぼくは「なるほどな」と頷いた。
「そしたら男性がいそうな場所、たとえば趣味のサークルとか、こういうバーとかに、積極的に来てみるのがいいんじゃないですか?」
ぼくはアドバイスをするのである。
しかしそのうち、
「それに私、けっこう振られるんですよ・・・」
蛯原友里が、悲しそうにつぶやいた。
きれいだし、性格もよさそうな人だから、「振られるわけがない」と思ったのだが、聞くと「好き」と思った人に告白し、それを断られるという。
「あー、それはダメですよ。」
ぼくは理由がわかったと思った。
「女性は、男性に告白させるようにしなくちゃ・・・」
恋愛は、自分が相手を好きになるだけでは足りないだろう。
相手にも自分を好きになってもらわないと、始まらない。
この「相手に自分を好きになってもらう」ことが、恋愛の醍醐味であると同時に、「難しいところ」と思う。
これは男性の側にとっても同じである。
男性は女性にアプローチする立場になるが、女性は簡単には振り向かない。
振り向いてもらうためにはかなりの努力が必要になるわけだが、一番の難しさは、「相手の気持は自分の思い通りにならない」ことだろう。
「このくらい頑張れば、振り向いてもいいはずだ」と思っても、ほとんどの場合はそうはならない。
そうなると、打つ手はすべて、尽きてしまう気になってくる。
でもここからが、本当の「勝負」なのだとぼくは思う。
打つ手がなくなり、先が見えなくなってから、「どれだけ耐えられるか」が大事になる。
ぼくの乏しい経験では、相手が振り向くためには、自分が思っている時間の倍はかかる。
自分の打つ手がなくなり、さらに相手もまだこちらを振り向かない、「進むも地獄、引くも地獄」のとき諦めてしまわないのが、必要なのではないだろうか。
そんな話をしながら、3人は飲み物をおかわりした。
それを飲み終わったところで、女性二人は帰っていった。
まだ食事をしていなかったぼくは、そのころにはお腹が空いてきた。
それでスピナーズを出て、食べに行くことにした。
まず行ったのは、酒房京子。
しんじょうにしめサバ。
それに小鯛の煮付け。
アサリのショウガ煮。
熱燗を一本飲んで、店をでた。
それから餃子の王将。
やはり餃子。
それからちゃんぽんの麺ぬき。
生ビールも一杯飲んで、無事満足して家に帰った。
昨日は昼からずっと飲んでいた。
気がついたら財布が空になっていたが、別にそれでいいのである。
「体を壊さないように気を付けてよ。」
そうだよな、ありがとう。
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コメント
先が見えない時は、耐える。いやあ、このままこの言葉をいただきます。高野さんのブログは、料理ブログを超えてしまっているところが、気に入っています。