昨日はドイツから来たブログ読者と酒房京子で食事をした。
京都の料理は、やはり「上品」なのである。
ぼくは東京で育ち、40過ぎまで東京にいて、それから名古屋に2年、広島に2年いた後、京都へ来た。
京都に住んで3年半になるのだが、京都の文化を一言でいえば、やはり「上品」ということになるとおもう。
飲み屋などでも、「ほっこり」とした雰囲気が好まれるところがある。
カウンターのお客さんは、お店のほっこりとした雰囲気を、それぞれが空気を読みながら、作ることに加わるのであり、それができずに雰囲気を乱す人は、店主にお断りされることもある。
京都では、言葉が「贈り物」のような役割をはたすことがある。
「ほめ言葉」は言葉の贈り物の代表で、京都の人はそれを贈ったり、贈られたりしながら、関係を深めていく。
ぼくはわりと、適応力が高いほうだと自分では思っているのだけれど、京都では、流儀を飲み込むのにやはりそれなりの時間がかかった。
しばらくは、飲み屋などでもどう振る舞ったらいいのかが、今ひとつつかめなかった。
実際東京から来た人で、京都に長くいるのに馴染めないままの人は、少なくないと聞く。
東京と、礼儀作法が「ちがう」というばかりでなく、貴族文化の流れを引いているわけだから、京都は「高度」だとおもう。
料理についても、京都はやはり上品だ。
味つけはまろやかで、手をかけたものを出す。
それが高級料亭などだけでなく、一般の人にも浸透している。
ほうれん草ばかりでなく小松菜まで、炊くときには下ゆでしたり、魚の煮付けに野菜を炊き込む場合には、一緒に煮てしまうのでなく、鍋を分け、野菜は煮汁をうすめて炊いたりすることを、京都の人は普通にする。
また料理に「食べる楽しみ」を盛り込むことも、京都の人は長けている。
彩りに気をつかい、「見て楽しい」ようにするのはもちろんだし、食べる途中で「味を変える」ことができるようにするのも、京都ではしばしば見かける工夫の一つだ。
にしんそばの老舗店、祇園「松葉」へ行った時、にしんが麺の下にあるのが、初めは意味がわからなかった。
でも食べるうち、ドロリとしたにしんの煮汁が丼の底に沈んでいるのを見たときに、これを食べる途中でうす味のだしに溶きまぜ、味を変えるのだと了解し、その心憎いやり方に感動したことがある。
ラーメンの老舗店、「新福菜館」の大盛りラーメンでも、同じような仕掛けがされていて、生卵ともやしはあとから味を変えるために付けられている。
しかもそれが、何の説明もされずにさりげなく出されるから、ぼくはその意味を理解するまで、週に1ぺん通いながらも、1年以上の時間がかかった。
京都のそのような食にたいする楽しみ方を味わおうと思ったら、やはり飲食店へ行くしかない。
ただぼくは、そうそう高い店へは行けないので、もっぱら「酒房京子」である。
酒房京子は居酒屋ではなく、「小料理屋」になるとおもう。
女将である京子さんの、京都らしいもてなしの心が込められた品々は、いつ行ってもおいしく、たのしい。
昨日はドイツから、ぼくのブログを見てくれている女性が酒房京子へ来ることになっていた。
京子さんからお誘いをもらったので、ぼくも同席することにしたのである。
女性は中田久美に似ていて、年は聞かなかったけれど、たぶん40歳前後ではないかとおもう。
あべ静江似の友達といっしょで、ぼくが京子に着いたときには食事はずいぶん進んでいた。
ドイツへは自分の仕事の転勤で行き、もう3年めになるのだそうだ。
ご主人は、日本での自分の仕事を退職し、中田久美とドイツへ行って、ドイツでまた、自力で就職先を見つけたというから、大した適応力と語学力だとびっくりした。
中田久美は、ドイツへ行ってからずっと、日本の情報を知ることを兼ね、ぼくのブログを見てくれているそうだ。
チェブ夫もつれていったから、「生のチェブ夫に初めて会えた」とよろこんでくれた。
料理はまずは、ハモの皮の酢の物。
おばんざいをいくつか。
セロリの酢の物。
セロリにちくわを合わせるのも、それを酢の物にするのも初めて見たが、大変うまい。
ゴーヤのゴマ和え。
これもやはり初めて食べたが、「まさに王道」と思うくらいにうまかった。
高野豆腐のふくめ煮。
片方には七味が、片方には山椒がかかっていて、さり気なく手が込んでいる。
むつの煮付け。
京子さんの煮付けはうすめの味だが、炊いてから一晩置いたのを出すので、味がしっかりしみている。
にしんとナスの炊合せ。
これは京都の定番料理で、京子さんもよく出してくれる。
白魚のおろし和え。
これはいかにも京都らしいと思ったのだけれど、東京なら絶対に生で出すところだと思うのだが、サッとゆがいてある。
京子さんは、「生はちょっと・・・」と顔をしかませていた。
ハモのごはん。
これも最近、京子さんの定番だけれど、うす味で仕上げられていてとてもうまい。
いちじくの揚げびたし。
これはぼくは初めて食べたが、やわらかくて甘いいちじくに、だしの味がしみている。
酒は日本酒。
京子さんは数々の料理を手際よく仕上げていく。
チェブ夫は女性陣に可愛がられ、胸に抱かれたりもしていた。
彼はいつも、一人でいい思いをするのである。
京子を出て、さらに斜め向かいの「Kaju」で一杯。
Kajuを出て、二人と別れ、お腹も酒も十分だったぼくは家に帰った。
「昨日は楽しかったよね。」
お前はとくに、満喫したな。
◎関連情報
酒房京子
大宮通錦小路下ル東側「寛游園」内、北側の路地(養老乃瀧の前)を入って2軒目南側
不定休なので、京子さんの携帯番号を知りたい人は、ぼくにメールしてください。
(ぼくのメールアドレスはこちらにあります)
◎関連記事
一杯のつもりで飲みに行ったら、10杯飲んでしまったのである。
コメント
こんにちわ。毎回とても楽しみに拝見しております。
私も檀流クッキング、常備しています。料理法もそうですが、
なにより文章が素晴らしいと感じます。
私事ながら離婚をして神奈川から大阪に赴任し、大阪の女性と
再婚しましたが、1人暮らしの時はバイブルでした。
イカのスペイン風は特に今の家族にも好評でした。
京都(仕事ではよく行くのですが)の風情や料理などとても
楽しく見させて頂いています。
明日から少し涼しくなるそうなので、お体ご自愛ください。
このようにコメントをするのは初めての体験ですが、あまりに
興味深く、ご迷惑かと思いますがコメントさせて頂きました。
ありがとうございます^^