きのうは、かきのニラ玉・和風ニンニク味。和風だしにニンニクを加え、最後にゴマと一味を振るというもので、これは「一歩ふみ出した和食」なのだ。
ニンニクにハマってしまっているのである。もうニンニクが入ったもの以外、まったく食べる気がしない。
ちょっと前まで数年間、家ではニンニクを使わなかった。それが解禁したとたん、どっぷりとハマってしまうのだから、この極端な性格、我ながらあきれるわけだ。
このところ油で炒めたものが続いていたから、何かサッパリしたものが食べたかった。でも体が温まる、スタミナのつくものがいい。
となれば、栄養満点・かきのニラ玉。
かきはニラとも卵とも、言うまでもなく相性がいいわけで、これを和風のだしでサッと煮たのはウマイに決まっている。
しかし、ここにもニンニクを入れたくなった。ハマっているのだから、仕方がない。
うす味の和風だしにニンニクを入れるのは、じつは「王道」といえるのだ。和風だしは、味つけは「みりんと淡口醤油」だから、ここにニンニクを加えると、日本人が大好きな、「焼肉のタレ」の味になる。
それだけだと、バランス的にちょっと寂しいので、さらにゴマと、一味を加える。ニンニクと、ゴマ、それに唐辛子は、韓国料理でもおなじみの、黄金の味つけトリオだ。
ところがここで加えるのは、ゴマはひねり潰したの、それに一味。これら調味料は、日本式。
だからこれは、「一歩ふみ出した和食」といえるのではないかと思うのだ。
日本は鎌倉時代以来長い期間、ニンニクを使うのを禁じられてきた。しかしニンニクが体を温めるのをはじめ、健康を維持するのに高い効果があるのは知れた話で、もう時代は変わったのだから、ニンニクを食事に積極的にとり入れるべきだろう。
ただ日本人は長いあいだニンニクを使ってこなかったから、その使い方がわからない。それでどうしても、韓国・中華・インド・欧風料理など、外国の料理をとり入れることにより、ニンニクもとり入れるということになっているのではなかろうか。
その一方、和食は和食で、これまでの、ニンニクは使わない伝統をたもち続けているわけだ。
しかし、「和食にニンニクを加える」ことだって、考えてもいいのではないかと思うのだ。そのキーになるのは、在日コリアンが発明した、「焼肉のタレ」ではないかと思う。
「砂糖(みりん)としょうゆ」の和食の味に、ニンニクを加えるだけで、焼肉のタレという新たな世界が広がる。
和食が一歩ふみ出すとしたならば、ここからではないかと、おれは思うわけである。
と、ゴタクを並べて、きのうもかきのニラ玉を作ったわけだ。
作るのは、まったく簡単。コツは、とにもかくにも、かきに火を通し過ぎないこととなる。
かきは、加熱用なら「1分」火を通せばいい。それ以上煮てしまえば、みじめなくらい、小さく硬く縮んでしまう。
なのでかきを加熱する時間が極力短くなるように、段取りを考える。
かきのニラ玉なら、かきとニラ、それに溶き卵は、「ほぼ同時」に入れてしまえばいいくらいの話となる。
鍋に、
- 水 1+2分の1カップ(「2分の1」はだしを取るあいだに煮詰まる分)
- 頭とわたを取った煮干し 1つまみ
- たたき潰したニンニク 1かけ
を入れて中火にかけ、沸いてきたら弱火にし、10分くらい煮出す。
だしを取っているあいだに、かきを洗う。
生食用なら、ただ水洗いすればいい。加熱用の場合には、片栗粉・少々をふって揉み、それから水を4~5回替えながら、よく洗う。
取れただしに、
- 酒 大さじ1
- みりん 大さじ2
- 淡口醤油 大さじ2
で味をつけ、ここからはスピート勝負。
弱めの中火くらいで煮立て、まずかき、それからすかさず、ざく切りのニラ・1把を入れる。ひと煮立ちさせたところで、溶き卵・3個分をまわし入れ、ちょっと煮る。
卵がいい具合に固まってきたらフタを閉め、火を止めて、しばらく蒸らす。
皿に盛り、ひねり潰したゴマと、一味をかける。
抜群にウマイ。
かきには、多少のクセがある。
このクセが、ニンニクにゴマで中和され、大変いいバランスだ。
あとは、カブの豚汁。
煮干しだしに、酒・少々と八丁・赤出しみそを入れ、まず、油あげと、皮を厚く剥いて6~8頭分のくし切りにしたカブ、それにざく切りにしたカブの茎と葉を、かぶがやわらかくなるまで煮て、最後に豚こま肉を入れて、色が変わるまで煮る。
それに、ご飯。
酒は、焼酎水わり。
酒をちょっと飲んでから、ご飯の火をつけることにしている。酒を一杯、飲み終わったくらいのところで、ちょうどご飯が炊けるようにしたいのだ。
ところがこれが、いつもかならず忘れてしまい、火をつけるのは、酒を飲み終わったころになってしまう。
なのでご飯が炊けるまで、余分に飲んでしまうことになるわけだ。
これは、おれの深層心理の仕業ではないかとにらんでいる。深層心理は、ちょっとでもたくさん酒を飲むために、火をつけるのを故意に忘れさせているのではないかと思うのだ。
しかし深層心理は、意識できないわけだから、おれにはどうすることもできない。
それでいつもながら、きのうもまた、飲み過ぎてしまうことになるのだが、これは仕方がないのである。
「もうちょっとまじめにやって。」
そうだよな。
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