ヘイトスピーチを許してはいけないのだ(5月31日大阪カウンター)

5.31大阪カウンター 東京・京都・大阪などでの社会運動

きのうは大阪・御堂筋で行われたヘイトスピーチのカウンターへ出かけてきた。

5.31大阪カウンター

ヘイトスピーチを許してはいけないのだ。

 

 

ヘイトスピーチへのカウンターなど、本当は行きたくないのである。半日を潰すことになるわけで、こちらも暇ではないのだから、わざわざクソ馬鹿の者別者どもにつき合う義理はない。

おまけに肉体的に、かなり疲れる。きのう行われたのは御堂筋での差別デモで、本町あたりから難波まで、2時間近くを練り歩く。

 

カウンターには色々なやり方があり、デモが通過するポイントに待機してプラカードを掲げたり、通行人にチラシを配るなどの周知活動をしたりするのも、もちろん大事なことである。

しかしおれは、どうせやるなら最前線に出たいと思うタイプなのだ。そこでデモ隊に並走し、トラメガで罵声を浴びせ続けることとなる。

2時間大声を出し続けると、トラメガがあるとはいえ、翌日筋肉痛になるほど横隔膜が疲労する。

 

しかも並走するカウンターは、交差点ごとに警官のバリケードで規制され、どうしてもデモ隊よりずいぶん後ろに下げられる。だからデモ隊に至近距離から罵声を浴びせようと思ったら、裏道を大きく迂回して先まわりし、デモ隊の前へ出ないといけない。

デモ隊の前へ出て罵声を浴びせた途端、警官にとり囲まれて後ろに下げられ、また迂回してデモ隊の前へ出てと、デモ隊がまっすぐ歩く距離の何倍もの距離を、走らなければならなくなる。きのうは日も照っていたし、50を過ぎた体には、これはキツイ。

 

さらにカウンターは、精神的にも疲れるのだ。クソ馬鹿のヘイトスピーチを浴び続けなければならないし、同時にこちらも、それをやめさせるため、普段はあまり使わない、あらん限りの汚い言葉を口にすることになる。

そのため、カウンターが終わると完全に力が抜けて、その日はもちろん、次の日も、何もする気がしなくなる。

生活に差し障りが出ること、甚だしいのだ。

 

しかしヘイトスピーチへのカウンターは、やらないわけにはいかないのだ。

一つには、掃除は誰かがしないといけないからである。

 

街角でヘイトスピーチをたれ流すのは、例えてみれば、みんなが使うトイレをウンコまみれにするようなものである。通行人がヘイトスピーチを聞き、「在日特権」などのデマを信じることがあれば、その分、街は汚染される。

トイレ掃除の役割は、本来なら警察が担うべきものである。日本も加盟する人種差別撤廃条約で、ヘイトスピーチは「犯罪」とはっきり規定されているわけだから、それ相応の取り締まりがされなければいけないはずだ。

 

今度の国会で民主党からヘイトスピーチ規制法案が提出されたが、それはまだ成立していない。そのため警察はヘイトスピーチを野放しにしたままだ。

だからといって、トイレがウンコまみれになるのを放置してはいけないだろう。トイレの掃除は、それを使う人の誰かが担わなければいけないのだ。

 

さらにヘイトスピーチは、「言葉の暴力」と呼べるもので、深刻な被害者を生む。在日韓国・朝鮮人という日本における少数者を、多数者である日本人が大音量のトラメガで「ゴキブリ」「死ね」「出て行け」と罵ることは、集団リンチとおなじである。

そのような不当な暴力を見て見ぬふりをするのは、人間としてダメだろう。

ヘイトスピーチは、絶対に許してはいけないのである。

 

というわけで、きのうもカウンターへ行ったのだ。

5.31大阪カウンター

集合場所の公園に、差別者どもが集まってくる。

 

同時にカウンターの人たちも集結。

5.31大阪カウンター

カウンターはほとんどが、何の組織にも属さない、ツイッターの告知を見て集まるだけの一般市民だ。

ただしもちろん、全く何の組織もないわけではない。反レイシスト行動集団「C.R.A.C.」がキーステーションとなっていて、情報を収集・拡散するとともに、現場で不測の事態が起こった場合、必要な対処をして、できる限りの安全が確保されるようにしている。

 

在特会のデモは、以前は100人以上も集まっていたこともあるそうだ。それがカウンターに押されて参加者はどんどん減り、きのうも20人余りだった。

それに対してカウンターは、きのうは合計100人以上。しかもきのうは、新しく参加する20代の若い人もたくさんいて、とても心強かった。

 

警官に守られて、差別デモが出発する。

5.31大阪カウンター

この警官が、またややこしいのだ。

 

本来は差別デモを規制しなければいけないはずの警官は、特に兵庫県警・大阪府警は、むしろカウンターを規制する。不当なデモに抗議するのは、憲法でも、警察法でも保証された当然の市民の権利なのだが、「いざこざを避けるため」という理由で、必要以上に抗議を抑えようとするのである。

プラカードやトラメガを使わせないようにしてくるので、それをただ聞いていては、カウンターは何もできない。といってあまり反抗し過ぎると、最悪の場合逮捕されることもある。

 

その辺のギリギリの加減をわきまえながら、警官に、時にはのらりくらりとかわし、また時には毅然として抗議をし、としないといけない。

これが、カウンターが疲れる大きな原因となっていて、警察にはほんとにちゃんと考えてもらいたい。

 

街角には、大きなダンマクも貼られる。

5.31大阪カウンター

あの手この手の総力戦が展開されるわけである。

 

2時間の差別デモと、そのあとの差別街宣にたいする抗議は、大きな問題もなくなんとか終了。

5.31大阪カウンター

あとはビールを飲むしかない。

 

10人ほどでホルモンを食べ、、、

5.31大阪カウンター

 

さらにおれは、仲間と二人で、動物園前にある中国居酒屋へ。

5.31大阪カウンター

 

最後はラーメンでシメて、電車に乗って帰途についた。

5.31大阪カウンター

 

 

疲れ果て、電車で席にすわれた途端にうつらうつらとしてしまい、危うく乗り過ごしそうになる。家に着いたら歯だけ磨いてすぐに寝る。

それから一度も起きずに、最近では珍しく、8時間も爆睡した。

 

それでも今朝は、やはり疲れはぐったりと残っている。

カウンターは、しないといけないこととはいえ、早くしなくて済む日が来てほしいものである。

 

「年なんだからムリしないでよ。」

チェブ夫

そうだよな。

 

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神原元『ヘイト・スピーチに抗する人びと』
 

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