にしんとナスの炊合せを作っていたら呼び出され、結局食べたのは朝になった。
にしんとナスは、別々に煮るのである。
誰の呼び出しにも応ずるわけでは決してなく、断ることも少なくない。
ぼくもそこまでお調子者ではないのである。
でもどうも断りづらい人は何人かいて、その一人がマチコちゃん。
「ギャル」だからというのもあるが、「悪いようにはならないだろう」とつい思ってしまう。
きのうも夜の11時、にしんとナスの炊合せは出来上がりかけていた。
あとは味をしみさせるばかりとなったところで、出張に行っていた池井くんが「帰ってきたよ」と電話がはいった。
「そうですか」と返事をすれば済むところである。
出張に行けば、帰ってもくるだろう。
池井くんが四条大宮で飲むのは毎日のことで、べつに珍しいわけでもない。
ところがこれが、何か「特別」なことのような気になるのは、マチコちゃんの「腕」なのだろう。
行ったのは、大宮通錦小路角にある、たこ焼き「壺味(つぼみ)」。
若い男女でギッシリと一杯になっている。
池井くんは、風邪はだいぶいいらしい。
お得意の、「下品にも程がある」というくらい下品なシモネタを、若い女子にかましている。
壺味はすぐに閉店になったから、レモンチューハイ2杯を飲み、ぼくは一旦家に帰った。
部屋着に着替え、食事の支度をはじめようと思ったら、マチコちゃんからまた電話。
「京子へ行くって言ったでしょ」
とのことである。
聞いてはいなかったのだが、素直にまた外着に着替え、出かけていく。
京子へ行ったら「おしまい」なのは、非を見るよりも明らかだ。
おいしいものも、あれこれ出てくる。
そしてカラオケ。
終盤は記憶がなくなり、どうやって帰ったかも覚えていない。
というわけで、にしんとナスの炊合せを食べたのは、今日の朝、目覚めてからになったのである。
にしんとナスの炊合せは、にしんとナスを別々に煮るのである。
さてにしんなのだが、京都の人はにしんをよく食べる。
冷蔵庫がなかったころ、身欠きにしんは内陸である京都にはいってきた数少ない魚の一つだったろう。
しかし実際、干した魚は生のものとはまた別のうまさがある。
これに丁寧に手をかけて料理するのが、京都の食の特徴の一つといえるとおもう。
にしんは「ソフトにしん」というのを使う。
これは半生タイプで、身欠きにしんのように時間をかけてもどす必要がない。
ただし下ゆではしないといけない。
一口大に切ってサッとゆで、アクのでた湯は捨てる。
にしんは、ナスと炊き合わせるのが定番である。
歯応えのあるにしんとやわらかいナスの食べ応えのちがいが楽しい。
炊き合わせる際には、にしんとナスは、かならず別々に煮るようにする。
にしんはコッテリ、そしてナスはうす味で炊き上げるのがコツとなる。
まず鍋にだし昆布を敷き、ナスをならべて水1.5カップ、酒とみりん、砂糖としょうゆを大さじ3ずついれる。
落としブタをし、強めの中火くらいで5分ほど煮る。
ここで一旦火を止めて、煮汁を半分ほど別の鍋にとりわける。
残った煮汁でさらに5分ほど、煮汁がコッテリとしてくるまで煮る。
にしんが煮えたら、取り分けた煮汁で今度はナスを煮る。
ナスは大きめに切り、水でサッと下ゆでしてアクを抜く。
取り分けた煮汁を3倍ほどにうすめ、さらにそのままではちょっと甘すぎるから、しょうゆを少し足すようにする。
この煮汁でナスを3~4分煮て、火を止めたらフタをして、ゆっくり冷やして味をしみさせる。
皿に盛り、一味か粉山椒をふる。
別に煮ると、ビックリするほどうまいのである。
あとは酢の物。
うすく切って塩もみし、水で洗ったキュウリと、やはりうすく切ったちくわ、生わかめを、砂糖小さじ3、酢大さじ3、塩少々で和え、ゴマをひねり潰してかける。
とろろ昆布の吸物。
お椀にとろろ昆布と削りぶし、青ねぎにうすくち醤油をいれ、お湯をそそぐ。
わさび醤油の冷奴。
すぐき。
酒は朝だったから、焼酎の水割りにした。
食べ終わったら眠くなり、引きつづき昼寝と相成り、結局起きたら午後2時だった。
「おっさんもきのうは下品なシモネタ連発してたよ。」
そうだったな。
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