郡山から帰ってきて、昼は喫茶店「PiPi」で酒をたらふく飲み、夜はバー「スピナーズ」でまた酒を飲んで、家で生節と豆腐の煮付けをつくって晩酌した。
金は、使い方が大事なのである。
郡山から帰ってきて、ちょっと距離ができたところで、「郡山の特徴」を一言であらわすとどうなるだろうと考えたりするのである。
帰ってきて、「郡山はこういうところだよ」と、京都の人たちにわかりやすく説明したいという気になる。
あれこれとおいしいものがあるのはもちろんだし、あれだけたくさんの本格バーがあることも、どこにでもあることではないだろう。
直面している重い現実にきわめて前向きに立ち向かっていることも郡山の人たちの素晴らしさをあらわすと思うし、「情に厚い」のも「たまらなくいい」と思うところだ。
でもそれら、ぼくが今回郡山で経験したものの全てをふくめて考えたとき、郡山の良さを一言でいうならば、
「古き善きものを大切にするところ」
であると、ぼくは思い当たった。
そのことが、ぼくが郡山を「好きだ」と思う根本である気がする。
ぼくは今回、複数の若い人の口から、
「郡山もチェーンの居酒屋が増えてきてしまって・・・」
という言葉を聞いた。
このことが、「郡山の精神」を象徴するようにぼくには思える。
今は全国の多くの場所で、金儲けを目的とした料金の安い居酒屋が幅をきかせているだろう。
それに押されて、昔ながらの飲み屋が姿を消してしまったところも少なくないはずだ。
でも郡山はそうではない。
郡山の繁華街発祥ときく「堂前」などでも、昔日の隆盛はないにしても、たくさんのスナックなどの飲み屋が今も軒をならべ、立ちならぶ看板が道を明るく照らしている。
古風な本格バーは、あの規模の都市には考えられないくらいの数がある。
「いかにも昭和」という古い古い居酒屋が、今も元気に営業している。
これらの店は、チェーンの居酒屋とくらべて安いのかといえば、決してそうではない。
例えば本格バーの場合なら、どこもチャージ600円、飲み物は一杯1000円~というくらいの値段で、3杯飲めば3000円を超えるという話だから、チェーンの飲み屋との価格競争力がないのはもちろん、キャバクラなど風俗店とくらべても「安い」とはいえないだろう。
古い居酒屋も、チェーン店とくらべれば決して安くはない。
古い店が姿を消すのは、「価格競争力がなくなる」ことが原因とされている。
それに従えば、郡山の古い飲食店は淘汰されてもおかしくないはずである。
しかしそれが、なぜなくならないのかといえば、郡山の人たちがそちらを選んでいるからだ。
古いスナックや居酒屋、昔ながらの本格バーへ、多少高かったとしても行くからこそ、それらの店は今も元気に営業をつづけられることになる。
ぼくにはこのことこそ、「郡山の特徴」であると思える。
うわべの安さに惑わされることなく、「本当に大切なこと」が何かを見きわめる目を、郡山の多くの、しかも年配ばかりでなく若い人も、失くすことなく持ちつづけているのである。
ぼくが印象的だと思うことに、一度行ったあるおでん屋が、若い男の子を震災後に何人も雇い入れていることがある。
男の子たちはいかにも学校を出たての、まだ世間を何も知らない様子なのだが、店の人手を増やすにしろ、支店を出そうと思うにしろ、経験者を雇ったほうがよっぽど早く、手がかからないだろう。
それをあえて、あのおでん屋の店主は、「人を一から育てる」という最も面倒なやり方を選択した。
多くの大企業ですら、経済合理性が理由で人を育てず、派遣社員にたよる時代である。
零細な飲食店がそれを「やろう」と思うところに、郡山の人の腹のすわり方をぼくは感じる。
地方都市を歩くと、女の子が「ちんどん屋か」と思うような格好をしていることが少なくない。
流行をすべて取り入れてしまうことで、そうなってしまうわけだ。
でも郡山では、それは全く見かけなかった。
女の子たちはほとんどが、抑制的な、品のいい服を着て歩いていた。
ぼくが郡山へ「行きたい」と切におもったきっかけは、ガイドブックに「昭和のディープな居酒屋が今もたくさん残っている」とあるのを見たからだ。
「いい街にちがいない」とおもった予想に違うことなく、郡山はぼくの大好きな街になった。
と、いうようなことを考えながら、ぼくはきのうも、昼に夜に、酒を飲むこととなった。
旅の報告をしないといけない店があるのである。
喫茶店「PiPi」では、朝に「おつかれビール」を飲んだのにつづき、昼ビールをした。
アテはいつもの通り、日替わりランチ。
店主マチコちゃんの作るから揚げは、甘みのあるうす味で、これまたうまい。
するとそこに、池井くんが現れた。
となればぼくも、ビールをお代わりするのである。
しかしこれは、マチコちゃんの差し金なのであった。
池井くんと一緒だと、ぼくがいくらでも飲むのをよく知っているマチコちゃんが、「高野さんが来ているよ」と池井くんに電話したのだ。
「高野さん、完全にマチコちゃんの術中にハマっているじゃないですか。」
池井くんには言われるが、こうしてわざわざ来てくれるのだから、ありがたいには違いない。
気分がよくなり、池井くんがバーボンを飲み始めたのにあわせて焼酎ロック。
喫茶店「PiPi」は、もはや「昼スナックまちこ」と呼びたいくらいで、ぼくはフラフラになって家にかえった。
「1時間くらい昼寝しよう」と思って家で布団にはいったら、一瞬のうちに3時間がたち、夜になった。
夜は夜で、バー「スピナーズ」へ挨拶にいく必要がある。
スピナーズでも、「郡山はどうでしたか?」とマスターやお客さんが話を聞いてくれる。
ぼくはかいつまんで話をした。
ふと見ると、横にいた常連さんが、見慣れない赤いものを飲んでいる。
ぼくも同じものをたのんでみたが、これがまたうまい。
最近になり「裏メニュー」としてはじめたそうで、その正体をここに書くことができないのだが、うまかったのでもう一杯お代わりした。
ここでもふたたび、十分酔っ払って家に帰った。
久しぶりの家だから、肴をつくって家飲みするよう、買い物をしてあった。
作ったのは、生節と豆腐の煮付けである。
さて生節は、すでに火が通っているから煮過ぎるとパサパサになってしまい、短い時間で火を弱めにして煮るのがポイントになる。
鍋にだし昆布を敷き、生節と、生節とおなじくらいの高さに切った焼き豆腐をならべる。
水を生節と豆腐がかぶるくらいまで入れ、中火にかける。
煮立ってきたら、もう生節のだしは取れているから、すかさずしょうゆ以外の調味料をいれる。
水が2カップなら、酒とみりん、砂糖をそれぞれ大さじ5。
落としブタをし、弱火で2~3分、酒のアルコール臭さが飛ぶまで煮たら、しょうゆ大さじ5をいれ、ひと煮立ちさせて火を止める。
あとはフタをして、30分ほどでも置いてゆっくり冷ませば、中に味がしみていく。
菜の花や水菜などをさっとゆがいて水に取ってよく絞り、煮汁で温めなおしたものを添える。
生節はあっさりしていて、いかにも「春の味」である。
あとはホタルイカのぬた。
目をとって水で洗い、水気をよく拭き取ったホタルイカと、サッと湯通ししたざく切りの青ねぎを、西京みそと酢大さじ1ずつくらい、砂糖とからし少々のからし酢みそで和える。
とろろ昆布の吸い物。
お椀にとろろ昆布と削りぶし、青ねぎにうすくち醤油をいれ、お湯をそそぐ。
冷凍してあった甘長とうがらしの煮たの。
みょうがのうす切り一味ポン酢。
酒はぬる燗。
「遠足は家に帰るまでが遠足」とも言うとおり、これをもって「旅は終わり」と相成った。
「次は桜を見ないとね。」
そうだな。
◎関連書籍
◎関連記事
郡山の本格バーは充実しているのである。(郡山/姑娘飯店、春待堂、BARdeMOBO)
福島を忘れてはいけないのである。(郡山/新月、一平、来来、Bar Coos)
郡山ではいい人にしか会っていないのである。(郡山/ますや本店、三松会館)