昼は会津そばのランチで酒、夜は居酒屋「花春酒蔵 河童」から3軒まわって酒を飲んだ。
郡山は「飛躍」しようしているのである。
郡山での今回の滞在も残りわずかになってきたから、経験すべきことはできるだけしておきたいと思うわけである。
昼酒をどこでしようかと考えるに、最近では居心地がよく値段が安くて、さらに味もそれなりにいい「三松会館」がすぐに浮かんでくるのだが、せっかくだからもう少し他にないのかと陣屋のあたりを歩いていると、前日きた「春待堂」がランチをやっているのを見つけた。
腹がふくれてこの店のウリの一つである会津そばを食べ損ねたのを思いだし、再度入ることにした。
地鶏から揚げと会津そばのランチ。
きのうは寒かったから、酒は熱燗。
はじめて食べた会津そばは、白く、シコシコとした食べ応え。
地鶏ももっちりとやわらかく、味が濃い。
夜は先日会った以前からの友人の女性とふたたび会った。
前回は時間がなく、ゆっくりできなかったからである。
向かった先は、居酒屋「河童」。
郡山を代表する老舗居酒屋で、かつては草野心平が出入りしていたこともあったという。
古びた店内には、20人ほどがすわれる「コの字」型のカウンターが据え付けられている。
その端にすわり、ビールで乾杯。
この店の名物塩煮込み。
鶏や豚、牛すじなどで取られた濃厚な、それでいて澄んだスープで大根とコンニャクが煮られ、たっぷりのネギが刻み込まれている。
焼き鳥。
大根サラダ。
にんにく焼き。
女性もこのブログを見てくれている。
「郡山にこれだけ本格バーが多いというのは、言われてみるとどこでもあることではないんですね?」
「そう思いますよ。きのうのバーテンは、郡山駅前のバー40数軒中20軒ほどが本格バーだと言っていましたから、他では考えられないほど高率だと思います・・・」
これは間違いなくいえるだろう。
女性に聞くと、郡山では年に一回、市内にある本格バーのバーテンが一堂に介するイベントなども開催しているのだそうだ。
お店に女の子がいるわけでもなし、本格バーの楽しみ方を会得するには時間がかかると思うのだが、それを郡山ではこのようにして、浸透させてきているのだろう。
河童は10時で閉店し、まだ飲み足りなかったしもう少し食べたかったから次へむかった。
陣屋にある「小結」。
この店は居酒屋だが、おにぎりとみそ汁を出すのが特徴だ。
おにぎりは膨大な種類があるのだが、女性は野沢菜、ぼくはマグロ納豆。
みそ汁はしじみ。
飲んだあとにみそ汁を飲みたいと思う人は少ないと見え、この店には遅い時間もお客さんが続々とやってきていた。
さらに飲みにむかった先は、やはり陣屋にある「フォーク酒場6575」。
2千円のチャージがかかるが酒は一杯500円ほどからあり、ライブなどが開催されるほか、自分で楽器を演奏したり、マスターのギターやピアノによる生演奏をバックに歌ったりすることもできる。
ぼくも久しぶりに、ギターを弾いて歌った。
半年以上ギターを触っていなかったから、手がまったく動かなくなっていたが、4月20日に三条会商店街でミニライブをすることになっているから、そろそろリハビリしないといけない。
女性とは飲みながら、さらにあれこれを話をした。
話をし、郡山は「復興」ではなく、「飛躍」しようとしているのだと思ったのである。
「私は『復興』という言葉があまり好きではないんです。」
グラスのビールを見つめながら女性は言う。
復興は「マイナスの状態にあるものを元にもどす」という意味合いがある。
「でも私たちは、決してマイナスの状態にあるわけではないと思うんですよ・・・」
たしかに震災と原発の事故により、とてつもなく多くのものが損なわれた。
それを単に「マイナス」と受け取ってしまえばそれまでのことだが、そうではなく、一つの「経験」として前向きに受け取ることができるのではないかと言うのである。
「経験はどんなものでも、未来を切りひらくための力になると思うんです。
そうだとすれば、私たちは『世界中の誰もしたことがない、得難い経験』をしたとも言えるのではないでしょうか。
それならば、私たちがこれから、世界の誰にも成し得ないことが出来たとしてもおかしくないでしょう?
私はそういう風に考えたい。
だから『復興』という後ろ向きの言葉はあまりつかいたくないんです・・・」
ぼくは女性のこの言葉を聞いて、郡山の人たちから感じる前向きな姿勢に合点がいった気がした。
まだこちらに来てたった一週間という短い時間だが、郡山の人たちの口から失われてしまったものを悲しむ言葉を聞いていない。
計り知れないほど大きいであろうその悲しみを、乗り越えるためには時間が必要であったにちがいないが、今ではそれを笑い飛ばすまでになっている。
女性も「まだ津波の映像を見ることはできない」と言うが、震災後に数多くの新しい挑戦をはじめている。
大型バイクの免許を取り、楽器の演奏を練習し、「コーチング」などのセミナーを受講し、障がい者を支援する運動に参加するようになっている。
「それらは何を目的にしているんですか?」
と聞くと、
「ハッキリとはわからないけど、方向はこれで間違っていないと思えるんです」
と答える女性は、まっすぐに未来を見据えている。
おそらく郡山の人の多くは、そのような想いでいるのだろう。
自分たちが直面する重い現実を受けとめながら、それを「糧」としようとしているのではないか。
そうだとすれば、郡山の未来におとずれるものは「復興」ではないだろう。
「飛躍」なのではないだろうか。
そんなことを思いながら、ぼくは昨晩、郡山での最後の夜をすごした。
飲みすぎて、サウナにもどっても風呂にも入らずそのまま寝た。
「郡山に来てみてよかったね。」
ほんとにな。
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