昨日は鶏とカブのあんかけ煮を、食べ方までよく考えて作ったら、以前とくらべ、満足感が格段に高かった。
「食べ方も味のうち」なのである。
このところ、晩めしの満足感が格段に高くなっているのである。
食べながら、
「ああああーーー、ああああーーーー」
と風呂に入ったときのような声が出てしまう。
以前は新福菜館三条店でビールに餃子、ラーメンを食べるときだけ、毎度かならず間違いなく、この上ない幸せと満足感を感じるのに引きかえ、家での食事は、そこまで毎回大きな満足感は感じていなかった。
ところがこの頃、家での食事で新福菜館に匹敵する満足感を、毎晩のように感じるようになっているのだ。
その理由は一つには、「食事をきちんと味わうようになった」ことがある。
以前は食べはじめるとすぐパソコンに向かってしまい、食事をないがしろにしていたところがあったのだ。
それから「酒の肴に徹したものを作る」ようにしたのも大きな理由だとおもう。
ぼくは「おいしい酒を飲む」のが幸せなのだから、中途半端にご飯ものなど作ってはいけなかっただろう。
それに加えて今一つ、満足感を高める大きな理由になっているとぼくが思うことがある。
それが、「食べ方までをしっかりと考える」ことなのだ。
ぼくは今まで、作った料理をどんな皿に、どのように盛り、それをどのように食べるのかについて、あまり深く考えていなかった。
それを考えるようになったことで、満足感が格段に高くなったということなのである。
と言ってももちろん、大した話であるわけでもなく、今日の例なら鶏とカブは、「鶏とカブの身、カブの葉を、一緒くたにして鉢に盛る」という程度のことだ。
これをもちろん箸で、手に持って食べる。
今まで盛り付けは、絵でも描くように、単に「見た目」だけを考えてしていた。
それを「食べ方」までを考えることで、食事の満足感が非常に高まったところを見ると、「食べ方も味のうち」なのだなと改めて感じ入った次第である。
この「食べ方」、世界の料理を見てみると、色々と面白いことがある。
日本と西洋など、食べ方がずいぶん違うから、「どうしてなのだろう」とあれこれおもう。
まず日本では、食卓には皿や小鉢をあれこれ並べるものなのに対し、西洋では自分の前には、「大皿が一枚だけ」となる。
西洋の人は、小鉢にちょっとずつ盛ってあるものを見ても、食欲が湧かないこともあるそうだ。
これはまずは、西洋では「ナイフとフォークを使って食べる」ことも理由だろう。
小鉢ではナイフとフォークは使えないから、「食べよう」という気にならないのではないか。
それから「ソース」の扱いも、西洋と日本で違いがある。
西洋では、料理を出すとき、ソースは当然かけておくだろう。
それに対して日本では、家などの食事のばあいには、しょうゆやポン酢は自分でかけるのが普通である。
とんかつでも、日本に輸入されたあとでは、ソースは自分でかけさせるようになっている。
食べ方のさまざまな違いは、「食べる」ことについての人の姿勢を示すものなのだろう。
ぼくは外国に住んだこともないし、外国と日本の食べ方のちがいが何を意味するのかわからないが、「面白いな」とおもうのである。
さてそれはともかく、「鶏とカブのあんかけ煮」である。
今が旬のカブは肉と煮るのがぼくはまずは好きだから、似たようなメニューが連発することとなっている。
うすめの煮汁でコトコト煮て、最後に煮汁にトロミをつけると、味がしみたカブはこの世のものとも思えないほどうまいのだ。
厚くむいたカブの皮は、茎といっしょにじゃこ炒めにすると、これがまたうまいのである
というわけで、鶏とカブのあんかけ煮をつくるのだが、まずはカブの皮をむく。
「5ミリくらい」とでもいうつもりで、ガツンと厚くむくのがポイントだ。
カブの皮の下のところは、筋張っていて煮てもやわらかくならない。
じゃこ炒めにすればムダにもならないから、安心して厚くむいていいのである。
茎は5ミリほど残して切り落とし、茎のあいだに詰まった砂を竹串などで取りのぞく。
これは「やらないよりやった方がいい」というものだ。
茎と葉を分け、葉は1~2分、食べられる程やわらかくなるまで水でゆで、冷水に取ってしぼっておく。
葉にはアクがあるし、下ゆでしておくと色褪せもしにくい。
大きめのひと口大に切った鶏もも肉は、火を消した熱湯で湯通しする。
こうしておくと、アクをとる手間が省けるのである。
昆布とかつお節のだしを取る。
2カップ半の水に、だし昆布の切れっ端とかつお節のミニパック2袋をいれ、中火にかけ、沸いてきたら沸騰するかしないかの弱火にして、アクをとりながら5分煮る。
縮こまっていた昆布がビローンとのびたら、ザルにペーパータオルを敷いて濾す。
出来あがった2カップのだしに、酒とみりん大さじ2、うすくち醤油大さじ1強、塩少々でやや甘めに味付けしておく。
味をつけた煮汁を沸かし、鶏肉とカブをいれる。
小さくフツフツ沸騰するくらいの火加減をたもち、10分くらい、竹串で差し、カブがやわらかくなるまで煮る。
カブが煮えたら火を止めて、ざく切りにしたカブの葉をいれ、しばらく置いて味をしみさせる。
味は煮汁が冷えるあいだにしみ込むのである。
味がしみたら鶏肉とカブ、カブの葉を皿に盛り、2分の1カップほどの煮汁を別鍋にとって火にかけて、片栗粉と水大さじ1くらいの水溶き片栗粉を加減を見ながら加えてトロミをつける。
トロミがついた煮汁を上からかければ出来あがりである。
七味をふって食べる。
味のしみたトロトロのカブ。
大きめに切った鶏肉もモチモチだ。
それからカブの皮と茎のじゃこ炒め。
細くきざんだカブの皮とざく切りにしたカブの茎を、ゴマ油にちりめんじゃこ、輪切り唐辛子でじっくり炒め、酒とうすくち醤油それぞれ大さじ1くらいをいれたら、汁気がなくなるまでさらに炒める。
ホクホクのシャキシャキで、廃材とはおもえない味になる。
長芋の千切り。
味付けポン酢に一味。
下仁田ねぎの青いところとだし殻の卵炒め。
だし殻をじゃこ炒めに入れるのを忘れたから、こちらに入れたというものである。
かつお節は大変よかったけれど、昆布はやはりじゃこ炒めに入れたほうがうまかった。
細くきざんだだし殻昆布と下仁田ネギの青いところ、だし殻のかつお節をサラダ油で炒め、砂糖とうすくち醤油小さじ1くらいを入れたら、溶き卵2個分を流し込んで大きめにまとめる。
とろろ昆布と焼き麩の吸物。
お椀にかつお節ととろろ昆布をいれ、熱湯を注いでしょうゆで味つけし、水にひたして絞った焼き麩、天かす、青ねぎを加え、一味をふる。
具が多すぎの嫌いはあるが、天かすを入れるのはとてもよかった。
それからシメは、鶏とカブの煮汁のにゅうめん。
これを食べ、また、
「ああああああーーーーーー」
と声が出たのである。
「真夜中に声を出すのは隣の人に迷惑だよ。」
そうだな、気をつけないとな。
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コメント
すごいのは主菜のみならず、副菜何点かまで手をかけている所。なかなかできる事ではありません。またプロの厨房でもないのにもかかわらず台所回りまで綺麗にしている事。本当に感心してしまいます。ただ、経済的に言えば全部外食の方がはるかに安くつくと思いますが、高野さんの経済哲学をちょっと知りたいですね。