【参加した】12/20京都・SEALDs KANSAI安保法制反対デモ

12/20京都デモ 東京・京都・大阪などでの社会運動

12/20京都デモ

きのうは、京都でSEALDs KANSAIが主催した、安保法制反対デモに参加した。おれ自身の位置づけでは、デモや差別カウンターに参加するのは、「皿洗い」や「掃除」とおなじ感じだ。

 

 

先週の週末は、土曜日には大阪で、高校生の団体「T-ns SOWL(ティーンズ・ソウル)」による安保法制反対デモが、日曜には京都で、大学生の団体「SEALDs KANSAI」による、やはり安保法制に反対するデモが予定されていた。仕事の都合もあるし、両方に参加するのは難しいので、おれはきのうの、京都でのデモに参加する予定にしていた。

午後1時半の集合だから、朝からの予定を、いつもより前倒しして進めないといけないはずだった。

ところが前日、あまりにも飲み過ぎて、朝起きたのはいつもより遅めの時間。しかも酒がフルに残っていた。ほうほうの体で大急ぎでブログを更新、いつもはすることにしている昼寝もできず、集合場所の円山公園にむかった。

 

デモや、人種差別主義者へのカウンターへは、週に1回をめどに参加するようにしている。週に1回以上参加しないといけないことがあった場合は、そのあと、あまり参加しない期間をつくる。

おれの場合、やはり大事なのは、まずは酒、それから仕事、その次にデモやカウンターという順番だ。続けるためには、無理をしないのが大事だと思っている。

 

デモやカウンターというと、「政治活動」というイメージを持つ人もいると思う。たしかにきのう参加したデモは、「安保法制」という政治課題についてのものだし、カウンターも、人種差別主義者は「ネット右翼」と呼ばれたりすることもある。

でもいま行われているデモやカウンターは、政治活動というのと、ちょっと違うと思っている。

おれにとっての位置づけは、ちょうど「皿洗い」や「掃除」とおなじだ。

 

料理をすれば、かならず皿や調理器具を洗わないといけなくなる。「料理するのは好きだけど、皿洗いはちょっと、、」という声は、ときどき聞くことがある。でも皿を洗わずに、料理を作ることはできない。

掃除や片づけなどもおなじで、生活すれば、家はどうしても汚れてくるから、それは始末する必要がある。

 

おれのような一人暮らしなら、皿洗いも掃除も一人でやる。でも家族なら、日常の掃除は役割分担が決められているだろうし、大掃除などなら家族総出でやるだろう。

さらに町内会などで、地域の掃除の分担が決められていることもあると思う。ゴミ収集所などは地域のみんなが使うものだし、銀杏が落ちるところなどなら、その季節、地域が総出で掃除する場合もあるのではないだろうか。

 

デモや差別カウンターは、その延長にあるものだと思っている。

人種差別主義者が、街でまさに「クソ」のようなヘイトスピーチをまき散らす。ヘイトスピーチは被差別者を深く傷つけるばかりでなく、放置すると人の心を腐らせて、人種差別が当たり前の社会になり、さらに虐殺にまで至ることがあることを、戦前の日本やナチスドイツの例が教えている。

そうならないためには、もちろん多くの国がすでに導入し、日本も遅ればせながら国会で審議が始まっているように、法による規制も必要だ。でもそれだけではなく、社会が「人種差別は許さない」ことを、きちんと示しつづける必要があるだろう。

 

人種差別へのカウンターは、そのためにやるものだ。いわば「クソ」を、掃除しに行くのである。

人種差別主義者は、その行為が日本の国際的な信用を大きく低下させていることからもわかる通り、真の「愛国者」ではないし、またカウンターも「左翼」ではなく、右翼の人もいれば左翼の人も、そしておれのように、そのどちらでもない人もいる。

思想・信条にかかわりなく、みんな「クソは掃除しないといけない」と集まるのだ。

 

安保法制についても同じだ。安保法制は、通常の政策課題とはちがう。

たとえば「集団的自衛権を日本が認めるべきかどうか」は、議論の余地はたしかにある。おれ自身の考えは、「個別的自衛権で十分」というものだが、「国際関係上、アメリカなどの要請をむげに断るわけにはいかない」という考えも、たしかに一理あると思う。

だったらそれは、国民で議論をし、きちんとした手続きを踏んだ上で、憲法を改正すべきだ。

 

ところが安倍政権は、集団的自衛権をみとめるという「憲法解釈」の変更を、「閣議」などという、法的に何の効力もない場で決めた。これは明らかな憲法違反で、反則だ。

法律に違反したものは、通常は「悪」とされ、社会から排除されて、必要な罰を受ける。首相が、為政者がしたがうべき法律・憲法に違反したなら、やはりそれは「悪」であり、排除されるべきだろう。

だからいまの安保法制反対デモは、その悪を、「掃除しよう」としているだけなのだ。

 

SEALDsがかかげる「立憲主義」とは、そういうことだ。

「最低限、法律は守りましょうよ」という、あまりにも当たり前の話で、特段の政治的主張をしているわけではないのである。

 

おれ自身、長く政治には関心をもたずに来たが、この首相の憲法違反だけは、絶対に許してはいけないと思った。

それで集団的自衛権が閣議決定された1年前から、それに反対するデモなどに参加するようになっているのだ。

 

円山公園に到着すると、すでに人はたくさん集まっていた。

12/20京都デモ

参加人数は1800人だったそうだ。

 

政党からも、応援の議員が駆けつける。

12/20京都デモ

きのうは民主党、社民党、共産党から議員が来ていた。

 

簡単な集会の後、いよいよ出発。

12/20京都デモ

12/20京都デモ

12/20京都デモ

 

現在、多くのデモは、大音量の音響機材を積み、音楽を流しながらそれにわせてコールする「サウンドカー」に先導されるものとなっている。

12/20京都デモ

デモは、その動機としては、「やりたくてやる」というよりは、「やらなければいけないからやる」という、どちらかといえば消極的なものだが、どうせやるなら、少しでも効果を高めたい。

そこで10年くらい前から、デモの効果を少しでも高める、さまざまな新しい試みがされるようになったそうだ。

デモの「効果」とは、沿道をあるく一般の人に関心をもってもらい、考えるきっかけとしてもらうこと。実際、このサウンドカーによるデモは、沿道の人へのアピール度は抜群で、特に若い人など、いっしょに踊り出す人もいたりする。

 

また一般の人は、労組など組織のノボリにアレルギーを持つ人も多い。

12/20京都デモ

なので、SEALDsなどのデモでは、ノボリの持ち込みは遠慮してもらい、メッセージを書いたプラカードを掲げるようになっている。

 

参加人数が多いから、デモは3つのグループに分かれていた。

このうち第2グループが、サウンドカーがなく、一番手薄に思われた。そこでトラメガを持参していたおれは第2グループに入り、コールを手伝った。

若い人のデモだから、おれのようなおっさんは、あまり目立たず、黒子に徹することが大事だ。

 

デモは、夕方前に終了した。本当は、デモが終わったらまっすぐ家に帰り、仕事をしようと思っていた。おととい、あまりにも仕事が捗らなかったからである。

でも、デモが終われば、やはりビールを飲まないというわけにはいかない。

ビール

「一杯だけ」のつもりが、もちろんそういうわけにはいかず、1杯が2杯、2杯が3杯、、、となるうちに、結局11時まで飲んでしまった。

 

最後はラーメンを食べて帰宅。

ラーメン

結局仕事はできなかった。

 

おまけにきょうは、酒がたっぷり残っている。

この調子では、きょうも仕事ができるかどうか、疑問である。

 

「しっかりしてよ。」

チェブ夫

そうだよな。

 

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