きのうは「豚と水菜の白みそ鍋」。
白みそは、ガッポリいれろ!
「晩飯のメニューをいつ考えるか」は重要な問題だ。考えるのに1時間くらいはかかるから、一日のスケジュールにきちんと組み込む必要がある。
敬愛する池波正太郎は、朝、といっても彼は夜に仕事をしたから起きるのは昼なのだが、「目が覚めるとまず考える」と書いている。それから自分で買い物へいき、材料を奥さんに渡したりもしたようだ。
ぼくの場合は、これまでは買い物だけしておいて、つくる直前に考えることが多かったのだが、最近になっていい時間帯をみつけた。
「昼寝のあと」である。
ぼくはブログの更新が終わると家に帰って酒をのみ、昼寝をする。
だいたい30~40分で目が覚めるのだが、すぐには起きださず、しばらく布団のなかでダラダラする。
この昼寝のあとの、夢うつつなひとときが、晩飯のことを考えるにはちょうどいい。
食べたいもののイメージが、うつろな頭に浮かんでは消えしながら徐々に輪郭をあらわしていく。
すこしでも長く布団のなかにいたいわけなので、イメージが浮かばないからといって焦る気持ちにもならない。
やがてメニューがはっきり決まると、ようやく起きだし、買い物へいくのである。
きのうは先日「京子」で食べた、「水菜と厚揚げの白みそ鍋」を作ってみたいとおもった。
水菜と厚揚げを「吸物」にするのは京都ではポピュラーで、ぼくもよく作るのだが、白みそ仕立てははじめて食べた。やさしい味で、じつにうまい。
ただ晩飯のメインとして、これではちょっと物足りない。京子でも、この日は「鶏すき」が別にでてきた。
そこで、
「豚肉をいれたらどうだろう?」
そうおもったのだ。
豚と水菜・厚揚げの「吸物」がうまいのは、すでに何度かつくって知っている。
しかし豚肉を、「白みそに合わせていいか」がわからなかった。
豚肉とみそとは相性が抜群だから、大丈夫そうな気はするのだが、やはり京子の料理をもとにするし、
「京都の人に笑われるようなものにはしたくない」
と、神経の図太いぼくでもおもうわけだ。
そういうときは、京都の人に聞くのである。
水菜を買いに八百屋へいき、ご主人にたずねると、
「食べたことはありませんが、おいしそうじゃないですか」
との答え。
それを聞いて安心し、晩飯のメニューは無事決まった次第である。
まずは昆布だしをとる。
ちょっと多め、4カップの水に、10センチくらいのだし昆布をいれ、煮立てないようにしながら10~20分あたためる。
昆布の香りがぷんと立ってきたら、白みそをいれる。
この白みそは、「ガッポリいれる」のが、白みそをつかう場合の最大のポイントなのだ。
白みそは、ほかのみそとは全くちがい、塩気が少なくて味が淡い。ほかのみそとおなじような量をいれただけでは、味が足りないのである。
みそは、ふつうなら、だし1カップにたいして大さじ1くらいをいれるだろう。
白みその場合には、「その倍はいれる」と思ってまちがいない。
白みそもそう安いものでもないから、たくさんいれるのはためらいもある。
しかしここはケチらず、ガッポリといれるのが、絶対におすすめだ。
あとはここに、「からし」をほんの少しいれる。
このだしはテーブルへ持ちだし、鍋に注ぎ足しながらつかうようにする。
鍋に白みそのだしをいれ、まず豚肉と厚揚げを、一回に食べられる分だけ煮る。
豚肉に火が通ったら水菜をいれ、サッと煮たら火を落とす。
器によそい、一味をふって食べる。
白みその甘みがあるから、豚肉にはバッチリ合う。
トロリとした白みそだしに肉のうまみが加わると、ちょうど「ポタージュ」のような味になる。
ほっこりと温まり、寒い夜には打ってつけの一品だ。
あとは、セロリとしめじの酢の物。
5ミリくらいの厚さに切ったセロリとしめじを、サッと塩ゆでして冷まし、水気を拭きとって、ちりめんじゃこ少々と砂糖小さじ3、酢大さじ3、塩少々で和える。
それに頂きものの日野菜漬。
酒は、熱燗。
このところ、毎日あまりに寒すぎる。
体を温めるために飲み過ぎてしまうのは、仕方がないことだろう。
「飲んでもいいけど仕事はしてよ。」
そうだよな。
◎池波正太郎
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