きのうは、中華風・常夜鍋。常夜鍋にニンニクやラー油、ゴマなどを加えたもので、ほうれん草を食べるならこれだ。
旅の疲れもどうやらようやく収まって、きのうは仕事も多少はした。
いやもちろん、仕事はしないと困るに決っている。なんとか帳尻を合わせるように、多少の努力もしてはいる。
しかしおれの場合には、その「帳尻」のレベルが非常に低い。若いうちなら、これから結婚したり、家庭を持ったりしないといけないわけだから、「頑張ろう」という気持ちにもなるだろう。でも50を過ぎたジジイが一人で生きていく分には、大してカネはかからない。
地方に住めば家賃の相場自体が安いし、そのなかでもおれの家など、家賃は言えばビックリするような値段。自炊するから、いいものを食っているわりには食費も安い。
なので今さら、「カネのために何とかしよう」という気が希薄なのだ。基本的に、カネのことは考えないことにしている。
それでも6年前に会社をやめ、自由業で食っていくことを決めたころは、本当にやっていくことができるかどうか、不安もあった。1年、2年とやっていくうちに、カネが途切れそうになって、恐怖のどん底にたたき込まれたことも、何度もある。
ところがカネが途切れそうになるたびに、予想外の収入があったり、カネを工面できることが後から考えてみたら分かったりして、なんとか乗り越えられてきた。そういうことが4回、5回とつづくうち、
「ああ、カネはなんとかなるものなんだ、、」
おれは悟ったわけである。
言うまでもなくこれは正確にいえば、「甘くみるようになった」のだ。これから先、本当にカネが途切れてしまうことが、ないとはいえない。
でも「大丈夫だ」と思ってしまえば、やる気はなくなる。なので今では、「入金はできる限り早く、支払いはできる限り遅く」とか、「銀行からカネを下ろすのは週に一ぺん」とか、「財布の中身は毎日整理する」とか、「領収証はこまめにもらう」とか、最低限のことだけをして、振込の入金額がいくらかすら、きちんと確認しないようになってしまった。
そんなだから、仕事も最低限なのだ。
このままダラダラと、一生を終えることができれば、幸せなのだがと思っている。
というわけで、きのうも時間になれば、きちんと酒を飲みはじめる。食べた肴は、中華風・常夜鍋。
「ほうれん草が食べたい」と思ったからだ。
ほうれん草は、まずは「おひたし」が定番だし、あとは炒めるのもうまい。しかしきのうは、ほうれん草の熱々のを、食べたいと思ったのだ。となれば、常夜鍋が一番だ。
常夜鍋は、魯山人が「中国から伝わった」として紹介している。その際、魯山人のとった表記は「宵夜鍋」。「宵夜」は、中国でまさに「簡単な鍋」を意味するそうで、「常夜」は、この宵夜を誰かが書きまちがえたのではないだろうか。
魯山人のレシピでは、常夜鍋は酒を入れた水で煮て、しょうゆで食べることになっている。しかし元々は中国の食べ物なのだから、ニンニクを入れたらうまいに決っている。
それで、このごろ凝っている「中華風・水炊き」式に、鍋にはニンニクとしょうがを加え、タレはぽん酢に、ラー油とゴマを入れることにする。
入れるのはほうれん草と、豚うす切り肉(きのうは肩ロース)、油あげにシメジ。
ほうれん草は、他の野菜との相性があまりよくない。合うのはほんとにここにあげたものだけで、豆腐すら、ほうれん草にはあまり合わないのではないかと思う。
ほうれん草は、そのまま煮るとアクが出るから、サッとゆでて水に取り、よく絞っておくようにする。
鍋には、包丁の腹で押しつぶしたニンニクとしょうが、それに白ねぎの青いとこ、たっぷりの酒を入れて、水を張る。
タレは、ぽん酢に青ねぎ、ラー油とゴマ。
油あげとシメジ、それに豚肉をサッと煮て、肉の色が変わったら、ほうれん草を入れて、火を止める。
ポイントは、「ほうれん草をまったく煮ない」こと。
ほうれん草は、水の温度が「70度」を通るとき、あの独特のクセが出るそうだ。だからゆでるときにも、温度が下がって70度にならないよう、1株ずつ、沸騰を止めないようにしてゆで、そのあとすぐに水で冷やすのがコツとなる。
ここでも、鍋で煮てしまうと70度を超えてしまうから、ほんとうにただ「温める」と考えるのが肝心だ。
上の写真は、撮影の都合上、ほうれん草をドカッと乗せている。でも実際にはそうではなく、ほうれん草は、「1回に口に入れられる量」だけを温めるのが正しい。
肉など他の具材は、ある程度の量でかまわないから、ほうれん草だけは、ひと箸ずつ皿からとって、サッと温め、肉などといっしょにタレに浸して食べるようにするのがいい。
ほうれん草と豚肉は、ほんとうに相性最高、、
最後は、鍋用のラーメンでしめたら、「酸辣湯のつけ麺」的になって、大変うまい。
酒は、焼酎水わり。
きのうは、疲れは取れていた。なので、酒も進むのだ。
おかげできょうも酒が残って、仕事がはかどらない可能性が高いわけだが、それも仕方がないのである。
「そのうち絶対痛い目をみるよ。」
そうだよな。
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