山鉾は野趣にあふれて素朴なところがいいのである。

山鉾巡行 京都名所

山鉾巡行は、いつも新町通に待機して、放下鉾と南観音山、北観音山、八幡山が出て行くところを見るようにしていた。人が少ないし、新町通は狭い道だから山鉾をすぐ間近で見ることができ、迫力があるのである。

今年もおなじ場所で見ようと、蛸薬師通を東へ歩いていた。すると堀川通を渡ったところで、池井くんからメールがあった。

 

「拝観券があるから一緒に見ないか」というのである。取引先の人からでももらったのだろう。

いい場所から見られるのだろうから、異論があろうはずはない。池井くんと落ち合い、改めて自転車で、四条寺町にある拝観場所へ向かった。

 

拝観席は、歩行者天国になっている四条通に設けられていた。

山鉾巡行

ベンチがあり、座って見れるようになっている。

 

とりあえず、ビールで乾杯。

山鉾巡行

ぼくが誕生日だということで、池井くんはロング缶をおごってくれた。

 

拝観者には、八坂神社発行の公式パンフレットが配られる。祇園祭の歴史やら、山鉾一つ一つの詳しい説明やらが書いてあるから、それを見ながら見る山鉾巡行は、去年までとは違った姿で見えてくる。

拝観席には屋根はないが、薄曇りの天気だったから、暑さは耐えられないこともない。池井くんは仕事があって、途中で退席したのだが、結局ぼくは初めから最後まで見て、とても面白かったのである。

 

山鉾は、それぞれが贅を凝らした造りをしている。

山鉾巡行

いずれも重要文化財に指定されているとのことで、「動く美術館」とも言われるそうだ。

大きな、背の高いのが「鉾」、小さなのは「山」と呼ばれ、パッと見た目には鉾の方が迫力がある。しかしパンフレットを見ながら見ると、山もなかなか味わい深いことがわかったのだ。

 

山鉾は、室町時代から江戸時代にかけて作られたそうだが、すべて「町衆」、地元の商工業者の手によるものだ。町ごとに競い合い、飾り立てられていったようだが、日本の神話や伝説、中国の故事などになぞらえて、それぞれに意味がある。

山の中には人形が据えられたものも多いのだが、それらはそれぞれ、聖徳太子だの白楽天だの、特定の歴史上の人物だそうだ。題材についても町ごとに、少しでも箔がつくようなものを探したのだろう。

 

さらに面白いのは、それらの題材が、観音様など仏教や、儒教、道教などからも取られているとのことなのだ。また装飾には、古代ギリシアの抒情詩ホメロスや、旧約聖書などから取られた絵柄もあるという。

祇園祭は八坂神社のお祭りだから、「神道」のはずなのだが、山鉾の内容は、そこから外れるものもある。この節操のなさ加減こそ、「いかにも日本」という感じがする。

 

面白いものをいくつか紹介すると、たとえば「孟宗山」。

孟宗山

シルクロードのような、らくだの絵が描かれてる。

 

「綾傘鉾」。

綾傘鉾

お釈迦様のような柄。

 

神社の鳥居が配されたものもある。

霰天神山

これは「霰天神山」で、天神様を祀っているそうだ。

 

「蟷螂(とうろう)山」には、カマキリが飾られている。

蟷螂(とうろう)山

カマキリはカラクリ仕掛けになっていて、羽根が開いたり、カマや首が動いたりする。

 

先頭の「長刀鉾」には、人間の子供の「お稚児さん」が乗っているのだが、お稚児さんの人形が乗せられたものもある。

月鉾

この「月鉾」は、明治時代までは生きたお稚児さんが乗っていたそうだ。

 

「保昌山」は、平安の歌人和泉式部の恋物語を題材としている。

保昌山

平井保昌が和泉式部に梅を捧げ、求愛している場面だそうだ。

 

「郭巨山」は、後漢の郭巨が貧しさで子供を埋めようとしたら黄金が出てきた故事にちなむ。

郭巨山

子供の人形がかわいい。

 

変わった形で人気の船鉾。

船鉾

神功皇后の船出に題を取っているそうだ。

 

山鉾には非常なバラエティがあり、それぞれを注意深く見ていると、作った人たちの心意気に触れられるような気がする。しかもそれが、風流というよりも、いかにも野趣にあふれた、素朴なものであるのがいい。

それを京都の人たちは今に至るまで営々と、組み立てては街を引き回し、すぐに壊しと、かなりの時間と労力を使って繰り返しているのである。山鉾巡行をひと通り見て、「祭」の持つ力について、思いを馳せることとなった。

 

最後の船鉾が通り終わると、その後を作業員とトラックが続き、畳んであった信号機を元にもどす作業がされる。

山鉾巡行

それを見たら、ちょっと寂しくなり涙が出た。

 

「お祭りはいいよね。」

チェブ夫

ほんとにな。

 

◎関連記事

宵山は、面白いものはちょっと寂れたあたりにあるのである。

京都三条会商店街のイベント「夜店」はすごい人出だったのである。

嵐山に穴場中の穴場があるのである。(琴ヶ瀬茶店)

金がなくても遊ぶからこそいいのである。(新福菜館三条店、南禅寺の桜)

ぼくは酒を飲むために生きているのである。(南禅寺もみじ)

タイトルとURLをコピーしました