魚屋で大きなツバスを一尾まるまる安く買い、半身を刺身にして酒を飲んだ。
他人を教育する義理も責任もないのである。
いつも通り、仕事を終えて家に帰るとまず何もしないで酒を飲む。
昨日は昼に飲み過ぎて、そう飲みたいわけでもなかったのだが、といって他にすることもないのでやはり飲むことになる。
テレビを置いていないから、家で飲むときはツイッターが相手となる。
タイムラインに次々と現れる投稿を横目で眺め、興味を引かれたものがあるとコメントを書き込んだりする。
フォローしている人はほとんどが、相手もこちらをフォローしているから、コメントを書き込むと、その反応がタイムラインに現れることもある。
昨日の話題の一つは、「ポールの日本公演中止」だった。
異国へ来て病気になってしまうのは、たしかに心細かろうとは同情する。
ツイッターに上がってくるのも、ポールを気遣う内容がほとんどである。
しかしこれは、「バチ」が当たったのではないか。
過去の名声のみをネタに、8万円やら10万円やらのチケット代をむしり取るのは、あまりにエゲツないだろう。
そう投稿したら、「その通り」と同意する意見がいくつか寄せられた。
それでこちらは、軽く溜飲を下げるのである。
さらに酒を飲んでいると、ある女性の投稿が目に止まった。
東京に住んでいるのだが、スーパーでカートを片付けない男性に対し、
「お忘れ物ですよ」
と声をかけ、「教育的指導」をしたそうだ。
その女性は以前も電車で、若い男性の投げ出された足を軽く踏みつけ、やはり教育的指導をしたと書いていた。
数年前なら、ぼくはこの女性に尊敬の念を抱いたかもしれないと思う。
赤の他人に、そうして労力を惜しまずに教育的指導をすることは、その女性にしてみれば、「相手に親身に接すること」なのだろう。
でも今は、ぼくの感じ方は変わっている。
「東京の女性は怖いなあ・・・」
酔った頭で、ぼんやりと思うのである。
京都の人は、よっぽど親しくならない限り、教育的指導はしてこない。
他人が非常識なふるまいをしていると、自分に類が及ばぬよう、やんわりと距離をおく。
でもそうして距離をおくことが、逆に教育的効果を示すことがある。
相手は「なぜ距離をおかれたのか」と自分で考えるからである。
それが人といらぬ争いを避けるための「都の流儀」なのだろう。
そのやり方が身に付いてきて、ぼくも最近では他人に教育的なことをするのが「面倒」と思うようになっている。
労力を使い、意見を戦わせてまで他人を矯正してやる「義理も責任もない」と思う。
ただし身近な、どうしても教育しないと自分が困る人については、ぼくも仕方なく教育する。
でもその場合でも、問題点を指摘することはぼくはせず、まず自分がやって見せ、手本を示すようにする。
これが意外に大きな効果があることは、入居したころは汚れがちだった家の共同トイレが、今では使用する住民全員の手によって、常にピカピカに保たれていることからも実証済みなのである。
しかしそのやり方は、京都のような小規模な街だからできることなのだろう。
東京などの都会は人が多くて、距離をおかれても手本を示されても、「気が付かない」のに違いない。
そんなことを、ツイッターを見ながらぼんやりと考え、だいぶ酔いも回ってきたから食事の支度をすることにした。
大きなツバスが安く手に入ったから、半身を刺身にしたのである。
ツバスはハマチの子供、ということはブリの子供で、旬は秋口となる。
それから大きくなり、脂が乗って、寒さが厳しくなる頃にブリになるから、脂の乗りはそれほどでもないのだが、とにかく安い。
昨日も30センチを超える大きなのが、450円という値段だった。
半身でも一回で食べるには多いから、これで数日分のおかずになる。
魚屋で二枚に下ろしてもらい、骨のない方は刺身に、骨のついた方は煮物と焼物にすることにした。
天然物で活きがよく、脂はそれほどではないとはいえコリコリの食べ応え。
もし魚屋で見かけたら、ぜひ丸ごと買うのがおすすめである。
それからタケノコとえんどう豆のじゃこ煮。
削りぶしでだしを取るのが、もちろん上品な味にはなるが、じゃこを使えば手軽だし、味もこれはこれでいい。
えんどう豆はサヤから出し、サッと2~3分下ゆでしておく。
鍋に5センチ角ほどのだし昆布を敷き、水1カップ、ちりめんじゃこ大さじ1ほどを入れて中火にかけ、煮立ったら弱火にし、アクを取りながら2~3分煮てだしを取る。
だしが取れたら、昆布もじゃこも取り出さず、そのまま酒とみりん、うすくち醤油それぞれ大さじ1ずつで味をつける。
3ミリ厚さほどに切ったゆでタケノコ、下ゆでしたえんどう豆を入れ、弱火で10分ほど煮る。
火を止めたらフタをしてそのまま冷まし、味をしみさせる。
酢の物。
キュウリは薄い小口切りにして、塩一つまみで揉み、少しおいて水で洗って水気を拭きとる。
ゆでワカメ、薄く切ったちくわと一緒に、砂糖小さじ1、酢大さじ1、塩少々の割合で和え、ひねり潰したゴマを振る。
とろろ昆布の吸物。
一味ポン酢の冷奴。
酒は冷や酒。
昨日はさらに、2合飲んだ。
「ぼくはおっさんにはきちんと教育するからね。」
いつもありがとな。
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コメント
私は京都の人ではありませんが、よほど親しくない限り教育的指導はしません。東京の女の人は、強いイメージですね♪
大人になったのか、そのちょっとした距離感が心地よくなってきました。
距離感、ぼくも同感ですねー。