京都に住むことを決めたのは、「京都に住んでみたかった」からである。
それまでもたびたび引っ越しをしてきたが、親元に住んでいたころはもちろん親の都合、会社に勤めていたころは会社の都合で住む場所が決められ、自分の意志でどこに住むかを決めたことはなかった。
会社を辞め、自分で仕事していくことになってはじめて、どこに住むかを決める自由を得たわけだが、それが「京都」だった。
札幌で生まれ、4歳から40過ぎまで東京で過ごし、名古屋と広島にも転勤したことがあるぼくは、関西圏は、仕事や遊びでちょこちょこ行ったことがあるにせよ、未知の土地だった。
そこに住み、関西の文化を体で感じてみたいと思ったのだが、「ならば京都だろう」ということである。
ただそれを決めるまでには、多少の迷いはあった。
自分の住む場所を、「住みたい」という理由で決めていいのかどうか、わからなかったのである。
執筆業で身を立てたいと思っていたから、ならば出版社が多い東京に住むほうが有利であるようにも思える。
仕事はやはり大事だから、それが少しでもうまくいくような場所を選んだほうがいいのではとも思った。
でも結果としては、京都を選んでよかったと思っている。
京都での生活はこの上なく居心地がよく、仕事もそこそこ、何とかなっているからである。
京都に住みはじめてから4年が過ぎ、このところますます居心地がよくなっている。
京都の人は、よそ者に心を開くまでにある程度の時間がかかるが、一度気心がしれたあとは接し方が何ともていねいだとおもう。
長い歴史がある街だから、他人どうしが節度をたもちながらも親しくつき合う「作法」がある。
その作法にこちらも従うことで、人から人へと、つながりがどんどん拡がっていく。
すでにある人間関係の輪のなかに、自分も居場所をつくってもらえることになるのである。
先日も通っているバーの若いマスターと銭湯で偶然会った。
マスターにとって見ればぼくは「お客」で、仕事上の関係者となるが、店が休みの日にくつろいでいる時にも、「裸のつき合いですから」と言いながら、親しげに話してくれる。
壁越しに女湯にいる奥さんにも「高野さんいる」と声をかけ、脱衣所をでて休憩所のソファでも、さらに3人で話をする。
こういう若い人でも、京都では「仕事」と「生活」を両立させる作法を心得ているようにぼくには見える。
銭湯をでてマスター夫妻と別れたあと、ぼくは心がじんわりと温かくなった。
いつも買い物をする三条会商店街でも、もちろんぼくはまずは「お客」なのだが、それを超えるつき合いが広がっている。
古い街である京都は、多くの人が、表向きの顔とは別に、地域での立場をもっている。
たとえばぼくがお世話になっている八百屋のご主人は、祇園祭のお神輿の会の会長を代々世襲で受けつぐ家の当主だったりする。
ご主人の好意で、非売品である祇園祭の神輿弁当をわけてもらえるようになったり、今回は八坂神社又旅社の春祭でミニライブをさせてもらえるようになっている。
何ともありがたいことである。
ミニライブの話は1ヶ月ほど前に声をかけられ、しばらくギターは中断していたから、郡山から帰ってきてから、酒をのむ合間に練習をつづけてきた。
昨年春の「三条会商店街夜店」でやった曲からいくつか選び、さらにオリジナルの新曲「三条会商店街ブルース」を披露することにした。
きのうは無事、境内にもうけられた10数脚の椅子はほぼ埋まり、境内の外でも10人くらいの人たちが演奏を聞いてくれた。
演奏は自分なりには満足のいく出来で、聞いていた人も喜んでくれたとおもう。
「三条会商店街ブルース」が終わったとき、商店街の人が大きな拍手をしてくれたのはうれしかった。
ライブが終わってから、ブログを見て来てくれた人と少し話した。
30代くらいの人たちだったが、みな大人しそうな、好青年である。
商店街から、演奏にたいして「薄謝」をもらった。
ぼくはギターでギャラをもらったのは初めてのことだから、大変うれしかった。
しかしそれよりさらにうれしかったのは、神様に捧げた食物の「お下がり」をもらったこと。
野菜や果物、お米に酒。
さらに大きな鯛ももらい、これは魚屋で預かってもらって、今日さばいてもらうことにしている。
こんな貴重なものをもらえる人は、世の中にそう多くはいないだろう。
ぼくは「京都に住んでよかった」と、しみじみ思った。
夜は「自分へのご褒美」として、四条大宮へ飲みに出た。
もらったギャラは、一晩飲むには十分な額である。
行ったのは、たこ焼き「壺味」。
店に入りきれないほどのお客さんで賑わうことも多い壺味だが、きのうはそれほどお客さんも多くはなく、のんびりと時間を過ごした。
食べたのは、まずは豚の焼きそば。
以前牛すじのも食べたのだが、ここの焼きそばはとてもおいしい。
まず野菜が「莫大」ともいえるほどの量、入っているのがよく、とくにキャベツ、もやしに加えて玉ねぎがたっぷり入っているので、ホンワリとした甘みがある。
また麺が太てコシがあり、さらにソースも、甘さと辛さのバランスがとてもよい。
それからイカ明太。
終盤は日本酒を飲んだので、それには定番の肴である。
それからタコきゅうり、これもうまかった。
タコときゅうり、それにわかめの入った酢の物で、すりゴマがたっぷりとかかっている。
「お母さん」がつくるもので、ぼくと同年代の2代目店主が子供のころから食べてきた「おかんの味」だそうである。
しみじみとする味で、まずはこの店で、一品目にたのむものとして打ってつけだ。
酒もたっぷりと飲み、もらったお金はほぼ使いきり、家に帰ってそのまま寝た。
このところ飲みつづけなのだが、人との関わりでそうなっているのだから、それはそれでいいのである。
「ぼくも京都は居心地がいいよ。」
可愛がってもらっているもんな。
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コメント
大人になってから居場所が見つかるってすごいですね!
タカノォ~シュンヒィチ~。いつも酔っぱらってる。(そこにいる) wow!wow!タカノォ~シュンヒィチ~おっさんひとり飯~イイヨ!
昨日も最高でした!