カウンターの仲間と酒を飲むのは楽しいのだ。

えいちゃん 京都での社会運動

きのうはカウンターが中止になり、ぼっかりと暇になってしまった。

えいちゃん

すると結局、「えいちゃん」へ行ってしまうわけなのだ。

 

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カウンターは、大阪で予定されていた。「竹島の日」ということで、差別団体「在特会」が、韓国領事館前での街宣および、御堂筋でのデモを計画していたのだ。

ところが直前になって、どちらも中止。

「悪天候が予想される」とのことだったのだが、雨は、降っているといっても小雨が時々ぱらつく程度、街宣やデモができないほどでは全くなかった。

事情はよく知らないが、事前にツイッター上でカウンターの意気は上がっていたから、「それに怖れをなしたのではないか」と、ぼくは勝手に思っている。

 

在特会は、要は「差別を楽しみたい」のだ。薄ら笑いを浮かべながら人を傷つけたいと思う、まさに人間のクズの集まりだ。

それをカウンターが強力に罵倒することで、差別を楽しむことができなくなった在特会の街宣やデモには、参加者が激減していて、このことは、カウンターの差別抑止効果の最たる例ではないかと思う。

 

だからもちろん、差別デモが中止になるのはいいことなのだが、予定が急になくなってしまうのは、こちらとしては、ちと困る。

今さら仕事をする気にもならないし、「どうしようか」と思ってみると、気持ちは「大阪」に向いてしまうわけなのだ。

 

このところ、大阪・動物園前の中国居酒屋「えいちゃん」に、ハマりにハマっていることは、ブログを見てくれている人なら知ってのとおりだ。

えいちゃん

2週間前に初めて行き、この1週間でも、すでに2回も行っている。

居酒屋料金でありながら、ママや女の子は超スナック級、まったく「天国」としか言えないわけで、しかも中国人の女の子たちは気取りがないから、居心地がいいことこの上ない。

なんとなく、「家」のような気さえしてくる始末だ。

 

しかし週に3度も、わざわざ大阪まで出かけていくのは、自分でもハマり過ぎなのは分かっている。

それでとりあえず、「外で飲む」ことだけは決め、まずは近所の「餃子の王将」でビールを一杯。

餃子の王将

餃子の王将

 

すると携帯に、メールが届いた。

「高野さん、『えいちゃん』に行きますか?」

カウンターの仲間からで、ぼくがえいちゃんにハマっているのをよく知っていて、大阪でのカウンターが中止になれば、「えいちゃんに行くだろう」と踏まれたようだ。

えいちゃんに行くことは、まだ決めていなかったけれど、連絡をもらってしまったのなら仕方がない。

えいちゃんで落ち合う約束をし、ビールをのみ終わったら店へ出て、阪急電車で大阪へむかった。

 

えいちゃんでは、カウンターの仲間3人が、すでに飲んでいた。

えいちゃん

 

ぼくも、とりあえず酎ハイ。

えいちゃん

 

それから焼き鳥やら、イカ焼きやらをつまみながら、カウンターの話に花が咲く。

えいちゃん

 

カウンターの仲間と酒を飲むのは、ぼくにとっては「かなり楽しい」ものの一つである。

まず「共通の話題がある」から、話が盛り上がる。これは「趣味のサークル」などの場合とおなじような所があるのではないかと思う。

それから、カウンターの人たちが、「ものすごくいい人たちだ」ということもある。

ぼくはカウンターに参加するようになり、そのことがまずとても印象的だった。

 

カウンターは、差別主義者の口汚い、最低最悪の差別発言を浴びながら、それに罵声を浴びせてやり返す。

はじめてそれを見た時には、男のぼくでも「ちょっと怖い」と思ったほどで、実際ちょっと前までは、街角の人たちが、差別主義者だけでなく、カウンターにたいしても、眉をひそめることが少なくなかったのだそうだ。

ところがその、激しい罵倒をしていた人たちが、カウンターが終わってみると、日本人の標準より、「はるかにいい人たちばかり」と思えるのだ。

ほとんどの人たちが、標準以上に穏やかで、むしろ「はにかみ屋」とすら思えるくらい。人によく気をつかい、礼儀正しく、空気を読まずに自分を変に主張するような人は、ぼくはこれまで、カウンターではまだ見たことがない。

 

しかしカウンターは、そういう人たちだからこそ、「やろう」と思うのだと思う。

カウンターは、精神的にも肉体的にも、けっこうキツイ。日本人でも、あの最悪の差別発言を浴びるのはつらいものだし、在日ならなおさらだろう。

こちらも怒鳴りつづけるから、翌日には大隔膜が筋肉痛になったりする。デモだと並走して走りつづけたりもするから、肉体的な疲労はかなりのものだ。

 

それだけのことをして、何が報われるかといえば、個人的な利益は、ほとんどない。

交通費などのお金が持ち出しになるのは、カウンターは基本的にボランティアだからもちろんだし、趣味のサークルの場合のように、何かの作品を作ったりして、それによって自分がちょっと名が知られたり、褒められたりするようなことも、まったくない。

またカウンターは、「在日のためにやっているわけではない」し、在日の人もみずからカウンターをするわけだから、誰に感謝されることもない。

 

ただ、「差別は社会の公正さを損なうから、なくさなければならない」という思いだけで、みな、カウンターをしているのだ。

そういう理由で、あれだけキツイことができるのが「ふつう以上にいい人たち」であることは、当然のことだろう。

 

さらにカウンターは、かなり「奥が深い」のだ。

 

それにはまず、「差別問題」の深さがある。

たとえば日本で、日本人が在日を差別するという場合、日本人は多数派だから、差別される側になることがない。だからまず、差別される体験をもたない日本人が「在日差別」を理解するには、自分の個人的な体験によるのでなく、相手の立場に立ち、「相手の気持により添う」ことが必要だ。

またそれも、差別とは、たんに「死ね」「日本から出て行け」などの、ハッキリと差別とわかる言葉が使われるときにだけあるのではない。

差別はあくまで、「差別される人がどう感じるか」という、気持ちの問題の部分が大きく、たとえば「黒人にたいしてバナナをかざす」などのように、事情を知らない人にとってはなにが差別かわからなくても、「黒人がサルに例えられてきた」という歴史をふまえると、それが明らかな差別であることが初めてわかることもある。

 

それから、一見「ほめている」ように見えて、実は差別であることもある。

「黒人は、リズム感がいいよね」などといえば、ほめ言葉に聞こえるだろう。しかし実際には、黒人にだってリズム感がいい人も、悪い人もいるのであり、そうして「黒人」という属性で何かを語ること自体が、内容によっては差別と受けとられることもある。

 

だから差別問題は、たんに社会問題であるのではなく、「他者をどう理解し、接するか」という、人間にとって根本的な問題の、おそらくは中核なのだ。

だからこそ、そこには汲めども尽くせぬ、深さがあるのだとぼくは感じる。

 

それから次に、日本における差別問題は、日本の社会や政治、そして歴史にもちろん直接、そして深く関係する。

在日差別一つを例にとっても、それは戦前に朝鮮を併合したことの責任を、戦後70年たった今になっても、日本がきちんと果たしていないことが大きな原因となっている。

また差別は、「人権侵害」という、より大きな枠組のなかで捉えることもできる。

すると今、日本では、福島で、そして沖縄で、政治による巨大な人権侵害が公然とおこなわれているわけだ。

差別問題は、それら人権侵害に、日本人としてどう向き合うかという問題にも、広がりをもってくる。

 

さらにはカウンターをする場合にも、ただ怒鳴っていればいいのではない。差別主義者にダメージを与えるためには、差別主義者が発するデマや嘘について、知識をもたなければいけないし、そこに言い返す論法も必要になる。

また警官は、現在差別主義者でなく、カウンターを規制しようとしてくるから、相手を罵倒しながらも、警官に逮捕されないよう、やり過ぎない冷静さが必要だし、といって警官のいうことを必要以上にきかないよう、かけ引きも必要だ。

 

このようにカウンターには、「とてつもなく」と言っていいほど広範な、様々な問題が、深く関係することになる。

だからおそらく、カウンターをしている人たちの「よろこび」があるとすれば、

「自分自身がそれらの広い問題を学び、認識を深めること」

なのではないかという気が、ぼくはする。

 

カウンターの参加者はそのような人たちなのだから、話をして楽しくないわけがないだろう。

きのうも、3時に始まり9時近くまで、延々と盛り上がったわけなのだ。

 

もちろん、男同士で話をしているだけではない。

えいちゃん

お店の女の子にだって、チョコチョコとちょっかいを出す。

 

そしてカラオケ。

えいちゃん

4人で20曲以上は歌ったのではないかと思う。

 

ツマミはそれほど頼まなかったが、酒は全員フルに飲み、それで一人3000円ほどだったから、やはり「えいちゃん」は、安いのだ。

 

えいちゃんを出て、動物園前駅ちかくのラーメン屋でシメをした。

ラーメン

 

台湾ラーメンセット、680円。

ラーメン

中国人がやっている店のようだが、この唐辛子がたっぷり入った激辛ラーメンと、やさしい味のチャーハンが、どちらもとてもうまかった。

 

地下鉄と、阪急電車で帰路につく。

きょうは、これまで顔は見かけていたが、はじめて話した人もいた。

そういう人でも、カウンター同士なら、すぐに話が盛り上がり、一度でかなり親しくなれる。

このカウンター同士の飲み会も、「カウンターの大きな楽しみ」であることは、言うまでもないことだ。

 

「ちゃんと礼儀正しくしてよ。」

チェブ夫

そうだよな。

 

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