お世話になっている京都・大宮のバー「Kaju」の新年会に参加した。
デモやカウンターは「自分のため」にやっていると、改めておもったのである。
自分を振り返ってみると、50余年の人生で、「国のあり方」について考えたことは、ほとんどなかった。
世代的に、成人するまでは高度経済成長のまっただ中、さらに20代でバブルを経験、国のことなど考えなくてもあまり問題なかったのだ。
しかしバブルは崩壊、景気は低迷するようになり、さらに福島で原発事故がおこるにいたって、ようやく、
「このままではいけないのではないか」
と考えはじめたわけで、だから、国のあり方について真剣に考えるようになったのは、ここ数年のことである。
考えるようになってみると、自分を筆頭として、日本人が、ここまで国のことを考えないのは、「やはり異常だ」とおもえてくる。
先日もパリで、雑誌社が襲われるテロがあると、早速それに反対し、100万人規模のデモがおこなわれる。
「表現の自由」は、民主主義国家にとって、もっとも大事な基本的人権の一つであり、
「暴力などからそれを守ることがどんなに大切か」
を、市民が骨身にしみて、理解しているからだろう。
しかし日本で、おなじような事件がおこったとして、それでは日本の市民が、はたしてそのようなデモに参加するかといえば、心許ないのではないか。
実際、福島での原発事故の直後、ドイツなどでは原発に反対する大規模なデモがあり、それによってドイツ政権は、「脱原発」に方針を転換することになったけれど、肝心の原発事故当事者である日本では、それよりはるかに小規模な抗議運動がおこるだけ。
「原発維持」の方針は転換されず、原発を再稼働すべく、政権は着々とうごいている。
さらには原発を「輸出しよう」とまで、しているのである。
これはおそらく、
「日本人が、民主主義を勝ちとっていないからだろう」
と、ぼくには思える。
戦前の「天皇主権」の独裁的な憲法は、戦後になって「国民主権」に書きかえられたが、これはアメリカによって押し付けられたものだ。日本の国民が、切実な必要を感じて制定にむけ動いたものではない。
ぼくなどは、恥ずかしながら、日本国憲法を最近まで、実際によんだことすらなかった。
そうして国のことなど考えなくても、とりあえず経済は発展し、物事はうまくまわっていたから、「それでいい」と、多くの国民がおもうようになったのだろう。
そうでなければ、安部首相が憲法を勝手に解釈、禁止されている「戦争」を、「できる」ことにしてしまっても、依然として多くの人が安倍首相を支持することが理解できない。
たとえばもしフランスなどで、国のトップが「憲法を勝手に解釈する」などのことをすれば、「暴動」すらおこるのではないだろうか。
民主主義は、本来、「独裁に対抗する手段」であり、それを市民が積極的に守ろうとしなければ、簡単に失われるものであることを、少なくともフランスなど、みずから民主主義を打ち立てた国の市民は、深く知っているだろう。
先日朝日新聞で、「批評家・小林秀雄が満州国で講演した記録が発見された」と報道された。
ぼくは小林秀雄にかぶれていて、全集も全部よんでいる。「講演記録は全集にも掲載されていない」というから、それが再録された文芸雑誌をさっそく買い、よんでみた。
内容は、これまで全集に掲載されていたものと、主張自体はほとんど変わらず、自分が知らないものではなかったことで、「安心」はしたのだが、同時に、「戦争と日本人」について改めてかんがえることになった。
小林秀雄は、太平洋戦争の開戦に「賛成」したことで知られている。
昭和16年、真珠湾攻撃のあった直後に、
何時(いつ)にない清々(すがすが)しい気持ちで上京、文藝春秋社で宣戦の御詔勅奉読の放送を拝聴した。(略)畏(おそ)れ多い事ながら、僕は拝聴していて、比類のない美しさを感じた。(略)
やがて、真珠湾爆撃に始まる帝国海軍の戦果発表が、僕を驚かした。(略)僕等は皆驚いているのだ。(略)何故なら、僕等の経験や知識にとっては、あまり高級な理解の及ばぬ仕事がなし遂げられたということは動かせぬではないか。名人の至芸と少しも異なるところはあるまい。(略)偉大なる専門家とみじめな素人、僕は、そういう印象を得た。
と書いている。
しかしこれは、多くの日本人にとっても同じだったようだ。
開戦をよろこぶ声がほとんどで、「反対」はごくわずかだったという。
小林秀雄は戦後になり、「なぜ戦争に反対しなかったのか」と問われたとき、
頭のいい奴はたんと反省するがいい。僕は馬鹿だから反省しない。
といったそうだ。
小林秀雄らしい、笑える発言で、これは「小林秀雄の生き方」だから、戦争に賛成したことが小林秀雄の価値をさげることになるとは、ぼくは全くおもわない。
しかし戦争前後の著作をみて、明治生まれの小林秀雄にとって政治とは、
「政治家や軍人など、専門家にまかせるもの」
であったのだと痛感する。
「家長のいうことに家人はしたがうべき」
という感覚で、天皇が決めたことには、国民はしたがわなければならないと、素直に信じていたようにみえる。
しかし小林秀雄のこの考えは、「民主主義」ではないのである。
民主主義では、主権者は天皇ではなく、あくまで「国民」にあり、
「国民の決めたことに政治家をしたがわせること」
が「政治」となる。
戦後になり、民主主義になったはずの日本だが、依然として戦前の、独裁体制のころの感覚を、多くの日本人がもったままなのではないか、、、
ぼくは小林秀雄を改めてよみ、そんなことをかんがえた。
きのうは夜、お世話になっている京都・大宮のバー「Kaju」の新年会だった。
会場は、西洞院を五条ちかくまで下がったところにある宴会場「光悦」で、6千円で4時間の飲み放題、さらにごちそうが、食べきれないほどたんまり出てくる。
料理をひと通り食べおわり、さらにダラダラのんでいると、隣に元・在日朝鮮人で、現在は帰化した青年がきて、「カウンター」の話になった。
青年は、もちろんこれまで、多くの差別を経験してきてはいるそうだが、差別をするような輩はただ
「頭の弱いバカ」
とおもうばかりで、あまり気にならにそうだ。
ぼくは、青年の「凛」とした姿勢に感銘をうけながら、
「自分がカウンターに参加するのは、この人たちのためではない、、、」
改めておもった。
在日の人たちが気の毒だから、差別に抗議するのではないのである。
「差別」は、基本的人権の侵害の、代表的な例の一つだ。日本国憲法には、
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
と、はっきりと書かれている。
「基本的人権の尊重」こそは、民主主義がめざす、もっとも大きなものだろう。
ぼくはそれが、「きちんと尊重される日本」にしたいのだ。
カウンターは、そのための具体的な行動の一つとなる。
「在日の人のためじゃないんだ、ぼくは自分のために、カウンターに参加している、、、」
酔ったいきおいで、つい熱弁を振るってしまったが、青年は、うなずきながら聞いてくれる。
そのうち話題はうつり、ぼくは酔いがまわって、ますますワケがわからなくなった。
会は10時すぎにおわり、烏丸通ぞいにあるバーへ、2次会にながれた。
ぼくは酎ハイを3杯のみ、千鳥足で家にかえった。
ここ数年で、ぼくは考え方が大きく変わった。
それまでは考えたことがなかった「国のあり方」について考え、デモやカウンターにも参加するようになった。
でもたぶん、いま多くの日本の人が、おなじように考えを変え、行動しつつあるだろう。
「その小さな考え、小さな行動の一つ一つが、結果として、日本を変えていくのだ、、、」
ぼくはそうおもいながら、歯をみがいて布団に入った。
「デモやカウンターばかりじゃなく仕事もね。」
そうだよな。
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#12月7日京都ヘイトアクションを許すな ~「カウンターは新しい」と思うのである
日本について思うところがある人は、デモやカウンターに参加するのがオススメなのである(2014.10.12 大阪カウンター)
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治著)のご購入をおすすめします