おっさんひとり飯 サイン会を開催した。
しかしサイン会は、惨敗だったのである。
きのうはまず、西宮市大谷記念美術館で行われている「四谷シモン展SIMON DOLL」へ再び出かけた。
もう一度よく見ておきたいと思ったからだ。
お人形に「不気味さ」を感じる人は、多いと思う。「人の形をしていながら生きていない」わけだから、お人形作りをする上で、「死」や「暗さ」をモチーフとすることは、設定上簡単だろう。
小さな子供の人形「チャッキー」のホラーなどは、その代表といえるものだ。
でもシモンさんのお人形には、そのような「不気味さ」「暗さ」は、微塵も感じない。伝わってくるものは、むしろ「生」であると思える。
そのポイントは、シモンさんのお人形の「視線」にあるのだろう。
目の前の徒然ではなく、すべて「遠い未来」を見つめているように思える。
人間なら、未来に待ち受けているのは「死」だ。しかしお人形は、生きていないから、死にもしない。
作者のシモンさんが亡くなったあとも、存在を続けるだろう。
真っ直ぐと未来を見据え、そこに思いを馳せているかのように見えるお人形。
それが「死なない」ことで、「永遠の生」を感じさせるのかなと思う。
それからシモンさんのお人形は、すべて「ピュア」だ。子供のお人形はもちろん、娼婦のお人形にも、それを感じる。
完全にピュアなものは、現実には存在しない。しかしシモンさんは、おそらく数々の不純なものを削ぎ落としていくことで、それをお人形に具現している。
完全にピュアな、永遠に生きる存在、、、。それを「神」と名付けることもできるだろう。
シモンさんのお人形は、まさに神々しい、輝きを放っていると、ぼくには思える。
10月11日(土)~11月30日(日)
西宮市大谷記念美術館
そして夜は、サイン会。
まずは立ち飲み「てら」で、腹ごしらえ。
スパサラに、、、
鶏天おろしポン酢。
それと、「お肉屋さんのメンチカツ」。
飲んでいると、隣にいた青年に声をかけられた。
「高野さん、、、ですか?」
関東の人だが、ぼくのブログを見てくれているそうで、友達の結婚式で京都へ来て、「この機会に」と四条大宮へ飲みに来たという。
ぼくはそうしょっちゅうは飲みに出ないし、7時台に飲むことは、めったにない。
「これは奇遇」と、早速持っていた本を買ってもらい、サインした。
青年には、「せっかく大宮へきたのだから」と、酒房京子へ行くことをすすめた。
「朝まで飲むつもり」とのことだったから、最後は大宮では一番遅くまでやっている「スピナーズ」でシメることも指南した。
サイン会の会場は、ギャラリー&バー「スピナーズ」。
まずは、さらに一杯。
ほどなくして、一人目のお客さんが来た。
四条大宮の飲み仲間だが、いまは九州へ帰っていて、やはり友達の結婚式で、たまたま上京したそうだ。
「幸先いい、、、」
喜んだのだが、それも束の間、、、
あとはいつまで経っても、お客さんがやって来ない、、、
1時間経ち、2時間が経ち、、、サイン会の時間は終了した。
ガックリと肩を落として食べる、「少し辛めのグリーンカレー」。
何が悪かったのだろうか、、、
「行きたかったけど行けない」という人の話は、何人か聞いていた。
宣伝の方法なのか、日取りなのか、時間なのか、、、
飲み仲間が慰めてくれたので、多少は気が紛れてありがたかった。
まだ少し食べたかったから、スピナーズから移動して、酒房「京子」へ。
セロリの酢の物に、、、
キスの煮付け。
大根なます。
おでん。
おでんの真っ白な大根は初めは隠れていて、食べ進むにつれ、雲間から姿を現すお月さんのように、出てくるようになっている。
京子には、先ほどの青年がまだいた。カラオケもして、楽しかったようだ。
「炭水化物が食べたい」と言ったら、京子さんと3人で、「餃子の王将」へ行くことに。
餃子にラーメン、チャーハンなど。
半ばヤケ食いの様相だ。
ようやく腹が膨れたから、さらに青年と一緒にスピナーズへ。
これはヤケ飲み。
久しぶりに朝方までいて、「もうこれ以上飲めない」というところまで飲んだ。
それほどたくさん来ないにしても、4~5人は来ると思っていた。まったくの惨敗だ。
しかしまあ、そういうこともあるのである。
「人生山あり谷ありだからね。」
そうだよな。
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