「わからないこと」はべつに悪くはないのである。(タラとまいたけの酒蒸し)

2014/04/25

 
昨日は安くなっていたタラを買ってあったので、それとまいたけで酒蒸しにした。

タラとまいたけの酒蒸し

これを肴に酒を飲みながら、「わからないことは、べつに悪くはない」と、改めて思ったのである。


 
タラは先週末に魚屋で買ったもので、大きな切身が一つ150円、「いつもの半値以下だろう」という値段で売っていたのだ。

魚屋の若大将に、

「今日はずいぶん安いですね」

と聞いたら、

「大量に水揚げがあったみたいなんですよ」

と笑っていた。

タラなどの天然魚は、水揚げの量により、値が大きく動くことになる。

ぼくは東北の凍てついた浜に、大きなタラが次々運び上げられる様を思い浮かべ、

「こうして遠いところと繋がっている感じがするのはいいな」

と思いながら、その切り身を一つ買ったのである。

 

タラなどの臭みがない、白身の魚は、「酒蒸し」にするのも定番の食べ方だろう。

煮汁にうまみが溶け出さないから、その分、魚の味を楽しめることになる。

タラは鯛などにくらべると淡白だから、酒蒸しには香りの強いものを合わせるのがやり方だ。

魚屋のおばさんは、

「しめじでもいいし」

と言っていたが、昨日はまいたけを合わせることにした。

 

酒蒸しは、電子レンジで非常に簡単にできるのだが、電子レンジを使わなくても、簡単であるには変わりない。

タラとまいたけの酒蒸し 作り方

ちょっと深めの皿にだし昆布を敷き、洗ったタラとまいたけをいれ、塩小さじ4分の1ほどと酒小さじ1~2をパラパラとふりかける。

2カップほどの水をいれた深めのフライパンに小皿を敷き、その上にタラをいれた皿をのせ、フタをして強火にかける。

タラとまいたけの酒蒸し 作り方

沸騰したら中火にし、10分蒸せば出来あがりである。

 

青ねぎと味ポン酢をかけて食べる。

タラとまいたけの酒蒸し

ほっくりとしたタラは、冬の味わいなのである。

 

あとは春菊と豆腐の吸物。

春菊と豆腐の吸物

青菜を吸物にするには油揚げと合わせるのが定番なのだが、春菊だけは、豆腐もとてもよく合うのである。

 

2カップ半の水にだし昆布と、削りぶしミニパック4袋分をいれ、中火にかけて、沸騰したら弱火にし、アクを取りながら5分煮出してザルで濾す。

春菊と豆腐の吸物 作り方

うすくち醤油大さじ2とみりん小さじ2分の1で味をつけ、豆腐と春菊の茎、しめじを順に煮て、春菊の葉をいれたら火を止める。

 

豚肉の卵炒め。

豚肉の卵炒め

卵炒めは、炒め物がやさしい味になるのがいい。

 

フライパンにサラダ油少々を引いて中火にかけ、豚肉100グラムを炒めたら、砂糖としょうゆ小さじ1で味をつけ、少し炒める。

豚肉の卵炒め 作り方

削りぶしと青ねぎ一つまみをいれたらサッと混ぜ、溶き卵2個分をいれてさらに炒める。

 

塩もみ白菜のじゃこポン。

塩もみ白菜のじゃこポン

1センチ幅くらいに切り、一つまみの塩で揉み、10分ほどおいて水で洗い、よく絞った白菜を、ちりめんじゃこと混ぜて味ポン酢をかける。

 

すぐき漬け。

すぐき漬け

何もかけない。

 

酒は昨日もぬる燗だ。

酒は昨日もぬる燗だ

これを飲みながら、ぼくは

「『わからないこと』は、べつに悪いわけではない」

と、改めて思ったのである。

 

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さて「わからないこと」なのだが、世の中に「わからないこと」がたくさんあるのは、言うまでもないのである。

わからないことがあるからこそ、「わかる」こともできるわけで、世の中にわからないことが失くなってしまったら、人間が成長することも失くなってしまうだろう。

しかしこの当たり前であるはずのことが、今の世の中ではわかりにくくなっていると思うのである。

「わからない」ということが、「悪い」とされることが多いだろうと思うのだ。

 

ぼくはそれが、「試験」のせいだろうと思っている。

試験では、わからないと「バツ」をつけられることになる。

試験の結果が悪ければ、その後の自分の人生にも影響をおよぼすことになる。

バツをつけられ続けているうちに、誰でも「バツを少しでも減らしたい」と思うようになるのは無理もないことだろう。

 

それでここで、昨日の話と関係してくることになるのだけれど、人間にとって「究極のわからないこと」があるのである。

それが「死」だ。

死んだらどうなるのかについては、人間は生きている限り、決して知ることができない。

だから今、死は人間にとって「究極の悪者扱い」をされているように思うのだ。

 

死がどれほど悪者扱いをされているかは、「タバコ」の扱われようを見ればわかる。

タバコ飲みは、今や街から次々と追放され、税金もむしり取られるだけむしり取られて、それで誰も「おかしい」とは思わない。

人権は、なきに等しいわけである。

タバコがこれほど嫌われるのは、死の病の原因になるからだろう。

 

でも死をそれだけ嫌い、「亡き者」にしようとすることに、「何かいいことがあるのか」とぼくは聞きたいわけなのだ。

ただ膨大な医療費がかかることになってきて、健康保険制度を破綻の危機にさらしているだけではないのか。

医療費がかかればかかるだけ、儲けるのは「医者」である。

ぼくはタバコの撲滅キャンペーンなどは、医者が自分の利権を守るための差し金ではないかと疑っているのである。

 

誰でもいつかは死ぬのであり、それはただ、「早いか遅いか」だけの話だなどというのは、今さら言うまでもないことだ。

それを「平均寿命をのばす」ことなどを目標に掲げ、年寄りの「長生き競争」を煽るなどというのは、大人がやることではないだろう。

 

死んだらどうなるのかは、「死ねばわかる」ことなのだ。

誰でもいつかはわかるのだから、畏れることもないのである。

 

「苦しむのは嫌だけどね。」

チェブラーシカのチェブ夫

それはたしかにそうだよな。

 

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