四条大宮は街全体が、一つの飲み屋みたいなのである。

京都 スピナーズ 京都・大阪の飲食店

昨日は四条大宮で外飲みし、4軒の店をまわった。

京都 スピナーズ

四条大宮は街全体が一つの飲み屋みたいな雰囲気で、とても居心地がいいのである。

 

 

「おもしろい飲み屋は、中心街から少し外れたところにある」というのがぼくの考えなのだけれど、それは「飲み屋街」にも言えるとおもう。

京都の飲み屋街は、「中心」となると祇園・木屋町、次に烏丸も、ビジネス街だから飲食店はたくさんある。

大宮は、そこからさらに、一駅離れたところにあり、二条城もちかいし嵐山へも便がいいから、昼は観光客もけっこういるが、夜になるとそれもなし、会社もあまりないからサラリーマンも少なくて、お客さんはほとんどが地元に住んでいる人である。

またそのお客さんが、老若男女、品よく飲む人が多く、これは大宮が元々、京都繁華街の中心だったからだと聞くが、からまれたりなどイヤな思いをしたことは、ぼくはこれまでほとんどない。

 

さらに大宮がいいのは、街全体が、「一つの飲み屋」のような雰囲気があることだ。

これはまず、飲み屋の店主同士が、お互いに仲がいいのが、理由としては大きいとおもう。

お客さんを取り合うようなことがなく、互いの店を行き来して、励まし合いながらやっているのが垣間みえる。

 

また大宮の飲み屋は、ほとんどがチャージがないから、お客さんも何軒かの店をハシゴして飲むことが多い。

ある店で会うお客さんと、別の店でも会うことになるから、あまり行かない店でもなじみやすくなる。

大宮はほんとうに、居心地がいいのである。

 

昨日はブログの更新に全精力を使いはたし、もう仕事はもちろん、買い物したり、料理したりする気にもならなかったので、食事は外ですることにした。

四条大宮

誰かといっしょに飲むのなら、どこかの店に腰を落ち着けるのがいいが、ひとりで飲むなら、やはりハシゴ酒である。

 

皮切りは、立ち呑み「てら」へ行くことにした。

立ち呑みてら

てらは、大宮通錦小路を東に入ったところにある、飲み屋アパートの1階奥にある。

この飲み屋アパートが、いかにも怪しい雰囲気で、初めてだと入るのにためらう人もいるとおもうが、別に変な人はいないから、心配は無用である。

 

まずビール。

てら 生ビール

早めの時間だったから、まだ年配のお客さんが多い。

もう少し時間が遅くなると、若いお客さんが増え、多い時には、椅子に座れば5~6人で一杯になる小さな店に、20人近くがひしめいていることもある。

 

たのんだのは、鶏のお造り盛合せ。

てら 鶏のお造り盛り合わせ

キモとズリ、ササミのとびきり新鮮なのが、てんこ盛りになって650円。

遠いところから、わざわざこれを食べるために来る人もあるほどなのだが、たしかにその価値はある。

 

串かつ。

てら 串かつ

1本80円~100円。

衣はサックリとして、かつやわらかい。

 

スパサラ。

スパサラ

100円。

たぶんカレー粉か何かかくし味が入っていて、きちんとひねりが利いている。

 

てらは安いだけの店でなく、本当にうまいのだ。

さらに大将のてらさんが、人柄はまじめでしかも明るく、店の雰囲気もとてもいい。

 

お腹が落ち着いたからてらを出て、錦小路を10メートルほど西へ行き、飲み屋街「寛游園」の入り口を入る。

京都 Kaju

一本目の路地を入ったところに、お世話になっているバー「Kaju」がある。

 

Kajuは今年で10周年、大宮の飲み屋のなかでは古い部類にはいる店で、マスターのカジュさんは、その落ち着いた人柄から、このあたりの店では兄貴分的な存在だ。

Kaju 焼酎

ここも8人入れば満員になるほど小さな店だが、昔のジャズ喫茶のようなしつらえで、何とも落ち着けるのである。

 

つまみもカジュさん手製のおいしいものがあれこれある。

Kaju キムチ

中でもぼくが毎回たのむのは、キムチ450円。

これもカジュさん自家製で、ニンニクは少なめで、さわやかなコクがある。

 

Kajuでは焼酎を2杯のみ、大宮通を北に上がった。

京都 ピッコロ・ジャルディーノ

「スピナーズ」へ行こうとおもったが、途中のイタリアンバル「ピッコロ・ジャルディーノ」へ立ち寄った。

ここのマスター「ハルオさん」も、飄々としながら骨があり、ぼくは大好きな人の一人だ。

 

グラスの赤ワインを一杯。

ピッコロ・ジャルディーノ 赤ワイン

一人でカウンターに座っても、お店の元気な女の子がきちんと相手をしてくれる。

 

たのんだツマミは、「コッパ」550円。

ピッコロ・ジャルディーノ コッパ

豚の耳やら足やらを煮込み、冷やして固めたものだそうだ。

コリコリとした肉とやわらかなゼリーの歯ごたえが楽しく、ワインのツマミには打ってつけである。

 

ピッコロ・ジャルディーノを出て向かったのは、いつも行くバー「スピナーズ」。

京都 スピナーズ

常連さんでカウンターは満員だったが、ぼくは端にすわっていた画家小森さんの隣に立ち、あれこれ話しをさせてもらったのである。

 

ぼくはこのところ、関西の人の「おもしろい話」が、礼儀の一種なのではないかと考えるようになっている。

おもしろい話は、ほかの人を楽しませるわけだから、ある意味「へりくだる」ようなことになるわけだ。

関西の人は、自分が失敗したときなど、「ここぞ」とばかりそれをネタにし、練りに練った笑い話を披露する。

「自分を落とせる」笑い話は、礼儀として考えたばあい、「最もへりくだる」ことになるのではないだろうか。

 

それで最近は、ぼくも関西流のおもしろい話に、少しチャレンジしようとしている。

やはり「失恋」は、ネタの一つになるだろう。

それで昨日も、

「ぼくは元カノのことを、まだ引きずってしまっているんですよ・・・」

と、隣にいた小森さんに話してみた。

すると小森さんは、そこそこ楽しそうにしてくれて、少し話が盛り上がった。

 

小森さんは、元カノが突然連絡を絶ったことを、

「それは元カノさんの『手』の一つだったんじゃないですか」

と言う。

なるほど、言われてみたら、そう考えられないこともない。

「男は単純ですからね、女性からしてみたら、赤子の手をひねるようなものですよ。」

小森さんは明るく笑った。

 

それから小森さんに、昨日ぼくが、ブログに書いたことを話した。

「今必要なのは、これまでとは異なる、新しい価値観を見つけることなのではないか・・・」

小森さんはうなずいて、次のように話してくれた。

 

「新しい価値観」とは、それが考えだされる時点では、世の中の価値観とは異なることになる。

だから景気がいい時代には、それが一般ウケすることはない。

またそれを考えるにあたっても、世の中の人はそうは考えないわけだから、「人といっしょに考える」タイプの人には向かない。

人とはちがうことを、ひとりで考えつづけるタイプでないと、新しい価値観を生み出すことはむずかしい。

 

さらに新しい価値観は、理解してくれる人が少ないから、食べていくのもむずかしい。

小森さんは、宮沢賢治と金子みすずの名前をあげたが、そのような新しいことを考えた人たちは、きびしい生活を送っている。

ただ景気が悪くなってくると、新しい考えも、人に認められる可能性が高くなる。

「だからたしかに、今はいい時期かもしれませんね・・・」

小森さんは、にっこり笑った。

 

小森さんは、自分の絵をCDに入れ、それをぼくたちに見せてくれた。

小森文雄 絵

小森さんの絵は、一見大胆に見えながら、じつは非常に繊細で、ぼくはとても好きである。

 

スピナーズでは、焼酎を2杯飲んだ。

スピナーズ 焼酎

そろそろ眠くもなってきたし、ぼくはそれで、引き上げることにした。

 

家に帰って、さらにツマミを少し作って、ちょっとだけ飲むことにした。

家に帰ってもう一杯

 

野菜をあまり食べなかったから、冷蔵庫にあった白菜菜(はくさいな)をおひたしに。

白菜菜 おひたし

 

さらに一昨日の残りの、サバ酢のなます。

サバ酢のなます

なますは味がしみ、とてもおいしくなっていた。

 

ツイッターでぐたづたとつぶやきながら、

「ぼくはこうして人に恵まれ、幸せだな」

と改めておもった。

そのうちソファで寝そうになってきたから、歯をみがき、歯間ブラシまでして布団に入った。

 

「明日はサボらず、きちんと仕事もしないとね。」

チェブラーシカのチェブ夫

そうなんだよ、がんばるよ。

 

 

◎食べログ

立ち呑み「てら」

ダイニングバー「Kaju」

イタリアンバル「ピッコロ・ジャルディーノ

ショットバー「スピナーズ」
 

◎関連リンク

 

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一杯のつもりで飲みに行ったら、10杯飲んでしまったのである。

一杯のつもりで飲みに行ったら、6軒ハシゴしてしまったのである。

コメント

  1. わさび より:

    この細い通路は何だか引かれます。
    誘われてる感じ。
    風情があっていいですねぇ…シミジミ

    串カツも衣が薄くて美味しそう。

    温かな雰囲気は、
    関西特有かもしれませんね。
    ここ、東北はやっぱり少し閉鎖的かな。
    そのぶん、仲良くなればいい所ですよ(笑)

    人と比べない。
    自分を信じて生きる。
    そんなことを目標に生きてます。
    そこまで崇高な理念が
    あるわけではないので、
    楽しいのが一番かなぁ、と。

    • 高野 俊一 より:

      閉鎖的といえば、京都だってそうですし、名古屋も広島もそうでした。
      やっぱり人間の関係をとり持つうえで、ある流儀がある地域は、その流儀を知らない人にとっては、閉鎖的に映るのだとおもいますけどね。
      ぼくは外の人が、ある地域を閉鎖的と感じることは、その地域のよしあしとは、全く関係がないとおもいます。

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