昼は立ちのみ「庶民」で昼酒し、夜は「アサリと春キャベツの蒸し物」を肴に家飲み、さらに「酒房京子」で飲みなおした。
夢の大きさでは負けないのである。
五十をすぎて「夢」などというのは「恥ずかしい」というのがぼくの考えで、「そんなこと言ってる暇があったら早くお亡くなりになれ」と思うわけだが、生きてしまっている以上前に進むための何らかの糧は必要になるわけで、どうしても夢を思い描いてしまうことにはなる。
これが中途半端な大きさでは、五十男がもつものとしては不足であり、やはり「誰よりも大きい」ものでなければいけないだろう。
夢は大小を論じるものでないのはよく承知している。
しかし負けず嫌いは、夢であろうとも人に負けるのは嫌なのである。
その夢が何であるのかはさておき、昨日はブログ更新を終え、天気もいいし、ポカポカと暖かかったから、「昼酒は外で飲もう」とおもうに至り、最近ちょくちょく昼酒の場所としている喫茶店「PiPi」は日曜で休みだったから、四条大宮ロータリーに比較的最近できた、立ちのみ「庶民」へ行くことにした。
ここは「激安価格の店」として大宮の飲み助に広く知られることとなり、夜が押すな押すなの大混雑であるのはもちろん、昼間でも毎日「ほぼ満員」ということになっている。
それもそのはず、昨日たのんだにぎり寿司。
本マグロは一つ200円、ブリとしめサバは100円ながら、ネタは分厚く大判で、「回転寿司の半値ほどか」と思うくらいである。
家にかえって1時間ほど昼寝、起きたらプリンターを設置することにした。
NTT西日本のポイントが無効になるというからたいして欲しくもなかったけれど交換したものなのだが、接続に機器が必要であることがわかりできなかった。
そのあと郡山についてあれこれ調べた。
夜行バスもマンスリーマンションも手頃な値段であることがわかり、「来週あたりにでも一度行ってみようか」と思ったが、こちらもそろそろ桜の季節になるわけで、それを満喫してから行くことにした。
晩酌の肴は、いよいよ旬に突入したアサリと、やはり季節のものである春キャベツをいっしょに蒸した。
ブリと大根にしても、わかめとタケノコにしても、同じ季節に旬をむかえる海のものと山のものとは相性がいい。
ふつうに酒蒸しにしてもいいだろうが、キャベツはやはりこってりとした味が合う。
そこでバターを加え、さらにサッパリとさせるために味ポン酢をかけることにした。
アサリ酒蒸しは異様なまでに簡単だが、多少の下処理は必要となる。
海水くらいの濃さの塩水に30分ほどひたしたあと、両手で殻をこすりあわせながらよく洗う。
そのアサリと、ざく切りにしたキャベツをフライパンにならべ、酒と水それぞれ大さじ2くらい、うすくち醤油とバター小さじ1程度をいれる。
フタをして中火にかけ、アサリの殻がぜんぶ開いたら火を止める。
皿に盛り、青ねぎと一味、味ポン酢をかける。
簡単なのだが、黄金のうまさである。
あとはきのうは菜の花の吸物。
昆布と削りぶしのだし1カップにつきうすくち醤油大さじ1、みりん小さじ1くらいで味付けした汁で、細くきざんだ油あげをサッと煮て、ゆでて水に取り、よくしぼった菜の花を浮かべてちょっぴりのショウガを盛る。
ポパイ炒め。
オリーブオイルでほうれん草を炒め、砂糖とうすくち醤油小さじ1ずつで味付けしたあと溶き卵を流しいれ、大きめにまとめて皿に盛ったらちりめんじゃこと一味をかける。
イイダコの煮汁で煮たごぼう。
煮汁は徹底的につかいまわす。
すぐき。
三条会商店街、山崎豆腐店の隣で店をひらく上賀茂農家のおばさんのすぐきだが、5月くらいまではあるそうだ。
以上の肴でぬる燗を2合のみ、歯をみがいて歯間ブラシまでして「さあ寝よう」とおもったところで、「酒房京子」の女将から電話がはいった。
「二十歳5人来てますけど」とのことである。
「5人」といっても「3人分は私ですけど」というから「2人」という意味なのだが、女将はぼくのブログ読者の女性がくると、気が向くと電話してくる。
それがいつも決まって絶妙なタイミングなので出向くことになるのだが、行けばただでは帰れないのは昨日にかぎらないことなのである。
「二十歳」ときいたが、実際には三十で、大学の同窓なのだそうだ。
一人はいったん実家の高知へ帰ったが、「やはり京都で暮らしたい」と半年前に出てきたそうだ。
もう一人がぼくのブログ読者で、京子ははじめて来たという。
高知の女性は今はアルバイトをしているが、「結婚しないかもしれないから」と、きちんとした就職先をじっくり探していると話す。
食べたのは、マグロ生節を煮付けたもの。
それに桜えびと大豆の煮物。
さらにおそらく、おでんの作りかけ。
牛すじだしに酒と塩だけで味がつけられ「おっ」とおもう味である。
もう酒は十分はいっているから、間をおかずにカラオケタイムと相成った。
ひとしきり歌い終わって、女性ふたりは帰っていった。
さらにそれから、女将とふたりでしばらく話した。
ぼくがやりたいと思うのは、「生きる」とは何かを知ることだ。
べつに自分がわかればそれで良く、人のことはかまわない。
少なくともそれは、「死ぬとき」にはわかるだろうと思っている。
今は「生」が、かぎりなく見えなくなっている時代である。
「寿命」や「脈拍」「血圧」など、すべてが数値に置き換えられ、実際の中身については問わないことにされている。
数値になれば「わかった」とおもうのは馬鹿な話で、思想の貧困以外の何者でもなかろうとぼくはおもう。
といって数値を全否定することができない今の時代、それを含みこむさらに大きな思想があるはずであると信じている。
そんな話を女将にしたら、
「私もね、阪神大震災を経験して、『人間明日死ぬかもしれない』と思ったのよ。
それならば、今日やりたいと思うことを全部やっておくようにしないといけないなって・・・」
自分に言い聞かせるように女将はいう。
その頃には意識朦朧としてきたぼくは、店を出て、ずいぶん暖かくなった明け方の道をトボトボ歩いた。
歩きながら、ぼくは女将の言葉を思いだしていた。
「やりたいことは、やっておかないといけないな・・・」
家へ着き、布団にもぐり込むとすぐ、その言葉がグルグルまわっていたぼくの頭は夢の世界にはいっていった。
「おっさんは長生きすると思うよ。」
がんばらないとな。
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