生き物の目的が、まず第一に「生きること」そのものであることは、言うまでもないだろう。
庭の雑草でも、少しでも光を浴び、栄養分をつくり出すために、太陽に向けて背を高く伸ばす。野良猫も、近所を徘徊しては餌をさがす。
人間もおなじである。様々な行動は、まずは第一に、「食べること」が目的だ。
食べるために、様々な人と関係をつくり、仕事をする。お金を得て、食材を調達し、料理をする。
その最終成果物が、食卓に並んだ料理である。
だから食卓に並んだ料理は、自分のすべての行動、すべての努力が集約されたものなのだ。そこにこそ、自分という人間が最もハッキリ、表れているといえるだろう。
世の中には、牛丼だの、コンビニの弁当だの、クソつまらないもんばかり食べている奴がいる。
そういう奴は、牛丼やコンビニ弁当級の、つまらない人間だということだ。
さてきのうは、出始めの万願寺とうがらしを豚肉と炒め合わせることにしていた。
万願寺とうがらしの定番料理は、ちりめんじゃこで煮たものだ。しかしそれ以外でも、素焼きにしたり、炒めたりしてもまたうまい。
万願寺とうがらしは、ピーマンとちょっと似ている。でもピーマンよりも皮が丈夫で、炒めてもシャッキリ感がなくなりにくいのが特徴だ。
万願寺を豚肉と炒めるとなれば、味付は、青椒肉絲などのように、しょうゆベースにオイスターソースを隠し味にしたものがまずは定石となるだろう。これがうまいのは間違いなく、きのうもつくり始めるギリギリまで、それで行くつもりだった。
しかし、生卵を乗せたくなったのだ。
炒め物に生卵を乗せるのは、最近マイブームになっている。ドロリとしてタレと溶け合い、味が一気にまろやかになって、目玉焼きを乗せたりするよりうまいのではないかと思う。
生卵を乗せるとなれば、味はしょうゆベースより、やはりみそ味。しかも普通のみそよりさらにコッテリとした、八丁味噌がいいのである。
それできのうは、ピリ辛の甘辛い八丁みそ味で万願寺と豚肉を炒めることにしたわけで、これが実にうまかった。
万願寺とうがらしはヘタを落とし、タテ半分に割ってわたを取り、大きければ二つくらいに切る。
これをサラダ油少々で、あらかじめ中火でサッと炒め、皿にとり出しておく。
ここで万願寺を炒め過ぎないことが肝心だ。
合わせ調味料も仕立てておく。
- 八丁味噌(赤だし味噌) 大さじ3
- 砂糖 大さじ1
- 酒 大さじ2
- みりん 大さじ2
を、よく溶き伸ばす。
フライパンに、
- ゴマ油 大さじ1
- ショウガみじん切り 2センチ大
- 豆板醤 小さじ1
- 豚こま肉 200グラム
- 食べやすい大きさに切った油あげ 2分の1枚(あれば)
を入れ、中火にかける。
豚肉に火が通るまで炒めたら、合わせ調味料を入れ、ひと混ぜする。
とり出しておいた万願寺とうがらしと、シメジ(あれば)を加え、1~2分、みそダレが万願寺に絡まるまで混ぜながら炒める。
皿に盛り、真ん中を凹ませたところに生卵を落とす。
生卵をどのタイミングで破るかは、好み次第だ。
あとは、とろろ昆布の吸物。
一味ポン酢の冷奴。
キムチ。
酒は、冷や酒。
うまい肴で酒を飲むのは、何ともいえず幸せだ。
この幸せのためならば、少しくらい飲み過ぎるのは仕方がないことである。
「仕事もちゃんとしないとね。」
そうだよな。