魚の煮汁は再利用するのが、家庭料理の知恵なのである。(炒り豆腐)

2014/04/25

昨日は、おととい煮付けた魚の煮汁が残っていたから、これをつかって炒り豆腐をつくった。

炒り豆腐

魚の煮汁は再利用するのが、家庭料理の知恵なのである。

 

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「煮る」ことは、今は世界のどこでも当たり前に行われる、料理の中心的な技法になっているけれど、これはもちろん、初めからあったわけではない。

ある時発明されたのである。

煮るためには「鍋」が必要なわけで、日本の場合、古代の鍋は縄文土器だっただろう。

縄文土器は、1万6千年くらい前から作られるようになったと考えられているそうだ。

 

鍋が発明され、「煮る」ことができるようになったことで、料理は巨大な進歩を遂げたのだとおもう。

ぼくは鍋の発明を、「料理のビッグバン」とでも呼びたいくらいだ。

 

鍋が発明される以前の料理が、どのようなものだったかを想像してみると、まず「焼く」ことはされていただろう。

「火」の使用は、人類誕生とともに始まったと言われているくらいだからだ。

それから塩に漬け込んで発酵させることも、保存を兼ねて、されていたようにおもう。

塩も、人間が生きていくためにはなくてはならないものだから、人類の誕生とともに、身近にあっただろう。

 

でも鍋以前には、「料理法」としては、そのくらいではなかったのか。

ところが鍋が登場することにより、料理は激変したのである。

 

鍋によって煮ることができるようになり、それ以前と決定的にちがったのは、「煮汁」を手に入れたことだ。

人間が初めて、肉だの魚だの、野菜だのを煮て、その煮汁をなめてみたとき、歓喜の声をあげたのではないだろうか。

材料のうまみが出た液体を飲むのは、材料そのものを食べるのと、まったく異なる体験であったはずである。

さらにその液体は、入れる材料をあれこれと変えることで、いかようにも味を変えることができたのだ。

 

また鍋の登場により、材料どうしに、それまでとは次元の異なる「関係」をつけられるようになった。

複数の材料をいっしょに煮ることで、それぞれの材料から味がしみ出し、その味は、またそれぞれの材料に返っていくことになる。

どんな材料といっしょに煮るかで、一つ一つの材料の味も変わっていく。

それ以前でも、材料を混ぜ合わせたりはしていただろうが、材料どうしがおたがいに、直接「味」に影響をあたえ合うのは、煮ることなしにはできなかったはずである。

 

だから今の料理の基本的な形は、鍋の誕生とともに生まれ、発展していったのだ。

おそらく長いあいだ、「ごった煮」のような形だっただろうけれど、それが発展するにつれ、汁物や煮物など、さまざまな形の料理が生み出されてきたわけである。

 

材料どうしが関係をもつようになると、生まれるのは「役割」である。

材料には、味を「出す」ものと、味を「吸込む」ものとがある。

それをどのように組み合わせ、全体としてどのような味に仕立てあげるのかが、「料理」であるということになった。

これは日本にかぎらず、どこの国でもおなじだとおもうけれど、日本の場合、特に「吸込む」ことに重点が置かれることが、他の国の料理とはちがうのではないかとおもうのだ。

 

たとえば日本では、お煮しめなど「煮込み」は、汁をほぼすべて、煮詰めてしまう。

これは煮汁をすべて、材料に吸込ませるためだ。

このような料理法は、日本以外であるのだろうか。

西洋では、煮汁は「スープ」や「ソース」として独立したものになっているわけだし、中国の炒めものでは、煮汁はとろみを付け、材料にまとわりつかせる。

 

煮物の中心はやはり「煮汁」で、本当はそれを味わいたいのに、日本では、それを独立して味わわず、その煮汁を吸込んだ材料を食べることで味わうわけだ。

なんとなく、日本らしい「奥ゆかしさ」があるようにおもうのである。

 

だから日本の料理は、「吸込ませる技法」が発達している。

煮物にイモや大根、豆腐、厚揚げなどを炊込むのはもちろんそうだし、煮魚にそうめんを添えるのも、おなじ話だ。

さらには焼き麩など、味を吸込むためだけに存在するものもある。

日本の料理は、「いかに煮汁を吸込ませるか」を考えることが、料理をつくるにあたっての、大きなポイントになるとおもうのだ。

 

だから魚の煮汁が残ったら、それを再利用し、何かに吸込ませることで、さらに一品、別につくるのは、日本では当然だ。

これは手をかけず、金もかけずに料理をつくる、家庭料理の知恵である。

魚の煮汁を吸込ませるものとして、「おから」が定番になっている。

おからも、豆腐をしぼったあとに残る、「残りもの」なわけだから、魚の煮汁と合わせるのは、
「残りものどうしで、こんなにおいしいおかずになるんですよ」
という、一つの「美学」であるようにもおもう。

 

昨日はぼくも、魚の煮汁を、おからと合わせようかとも思ったのだが、おからだとどうも、メインにするには物足りない。

そこで吸込ませる相手を豆腐にし、「炒り豆腐」としたのである。

 

炒り豆腐は、空炒りした豆腐に具材と煮汁を入れてつくる。

炒り豆腐

これは豆腐の性質を、うまく利用したものだ。

豆腐は空炒りされることで、水分がなくなって、味を吸込む能力を、極限まで高められることになる。

さらに煮汁を煮詰めるから、煮汁の味は、すべて豆腐に収められるわけである。

 

だから具材は、「味が出る」ものを入れる。

昨日の炒り豆腐に入れたのは、ニンジンとしいたけ、それに鶏肉である。

また作るときに、具材を炒めないのもポイントだとぼくはおもう。

炒めるのは、油によって味をつけ、また油でコーティングすることで味が出にくくするためで、炒り豆腐では、具材の味を「出したい」のだから、それでは意味がないのである。

 

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さて魚の煮汁をつかった炒り豆腐だが、作るのはまったく簡単である。

まずは魚の煮汁だが、1カップほどの量にしておく。

もし煮汁の量が足りなければ、水を足し、味がうすければ醤油なり砂糖なりを足す。

もちろんこれは、魚の煮汁でなくっても、自分で一から、甘めの煮汁を作ってもいい。

 

具材は、どのような量でもよく、好きな大きさに切っておく。

炒り豆腐の作り方(1)

小さく切れば豆腐となじむし、大きく切ればアクセントになる。

 

まずはフライパンを中火にかけ、油を入れずに、そのまま豆腐一丁を入れる。

炒り豆腐の作り方(2)

ヘラでよくくずしながら、水気がほぼなくなるまで空炒りする。
 

そうしたら、魚の煮汁と具材を入れる。

炒り豆腐の作り方(3)

落としブタをして、10分ほど煮る。
 

最後は落としブタをはずし、上下を返しながらさらに煮る。

炒り豆腐の作り方(4)

煮汁がほぼなくなれば、完成である。

 

器によそい、青ねぎなどの青みをふる。

炒り豆腐

 
 

味を吸込みまくった豆腐は、たまらないのである。

炒り豆腐

 
 

あとはとろろ昆布のにゅうめん。

とろろ昆布のにゅうめん

お椀にとろろ昆布としょうゆを入れ、1分ゆでたそうめんを入れてお湯をそそぎ、三つ葉をちらしてユズの皮の切れっぱしをのせる。

 

焼きナスのポン酢。

焼きナスのポン酢

5ミリ厚さくらいに切ったナスを、フライパンでこんがり焼き、削りぶしとポン酢醤油をかける。

 

ワカメの酢の物。

ワカメの酢の物

水でもどしたワカメと、塩もみし、水で洗ったきゅうり、ちりめんじゃこを、酢1:みりん2:うすくち醤油0.5の三杯酢で和える。

 

「日本の料理は奥が深いね。」

チェブラーシカのチェブ夫

ほんとにそうおもうんだよ。

 

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