ラーメンは、各地にうまいのがあるわけだけど、新福菜館系のラーメンは特別ではないだろうか。何しろ「中毒」になるのである。
僕は京都へきて以来、基本的に週に1回、この新福菜館系のまっ黒いラーメンを食べないと、気がすまない。ほかのラーメンではダメだから、京都では、ラーメンの食べ歩きをすることができないのだ。
新福菜館系のラーメンがなぜ中毒になるかといえば、「蕎麦」の味に近いからではないかと思う。
濃い目のしょうゆに甘みをきかせた蕎麦つゆは、日本人なら誰でも好きな、「ソウルフード」といえる味だ。新福菜館系のラーメンスープはその味と非常にちかく、ラーメンというよりも「鴨南そば」といった方がいいような味なのだ。
そのようなラーメンは、他にはあまりない。ただし全国に「ブラック」と呼ばれるラーメンがあるのだが、これは新福菜館の影響を受けたのではないかと想像している。
郡山にも「郡山ブラック」と呼ばれるラーメンがあり、僕は以前郡山へ行ったとき、その「元祖」と呼ばれる店でラーメンを食べた。
すると新福菜館のラーメンとそっくりの味だった。
郡山ブラックの元祖店では、新福菜館とのかかわりを特に表明していない。しかし戦前に創業し、「ラーメン店の草分け」ともいえる新福菜館は、新規店の立ち上げを応援することにも昔から熱心だったようだし、ラーメンの作り方に特許などはないわけだから、古いラーメン店が新福菜館の影響をうけたとしても、おかしくない。
東北にも岩手と青森に、新福菜館の流れをくむラーメン店があるそうだ。
それではなぜ、その後のラーメンは黒くなくなってしまったのかと思うところだ。京都で戦後すぐ創業した「第一旭」にしても、新福菜館の影響をうけているのは明らかなのだが、スープの色は黒くなく、甘みもない。
これは戦後になって、「ラーメン・蕎麦戦争」が勃発したからではないかと僕は推測するのである。
戦前は、ラーメンはまだ日陰の存在で、多くが屋台で営業していた。ところが戦後になり、中国から引き揚げてきた人などがラーメン屋台をはじめるようになると、ラーメン組は一大勢力となり、さらなる拡大を模索しはじめたのではあるまいか。
そのころ「手軽に食べられる麺類」といえば、やはり蕎麦だっただろう。ラーメン組は、この蕎麦勢力を打倒するため、味の差別化を図ったのではないかと思うのだ。
その結果が、「ラーメンスープの甘みを消す」ということだ。
蕎麦といえば、やはりあの甘みが大きな特徴。その甘みを消すことで、ラーメンは独自の味を獲得し、爆発的にヒットしたのではないかと思うのだ。
そのときに大きな役割を果たしたのが、化学調味料ではなかったか。化学調味料を使うことで、甘みがなくても、きちんと味が整うようになるからだ。
以上は僕の推測だが、いずれにせよ、甘みがある、「ザ・日本の味」といえるラーメンは、新福菜館だけなのだ。
それできのうも、どうしてもそれが食べたくなり、出かけることにした。
行った先は、四条堀川にある「麺対軒」。
ここは新福菜館ではないわけだが、新福菜館と同様の、黒くて甘みがあるラーメンを出す。店主は以前、新福菜館・丸太町店で働いていたと聞いた。
ただしここのラーメンは、新福菜館の味に化学調味料とニンニク、それに背脂を加えたものになっている。
化学調味料もニンニクも使わない、新福菜館本店オリジナルの味があまりにも時代に逆行し、一般ウケが悪いと判断してのことだと思う。
でもこれが実は、けっこうむずかしい選択なのだ。
新福菜館・丸太町店は、たぶんおなじ味だったはずだ。その丸太町店は、僕が京都にくる前につぶれた。
それから新福菜館・河原町店も、やはりおなじ味だった。ここも3~4年前に、やはりつぶれた。
新福菜館・三条店は、化学調味料は使っていたが、ニンニクはほとんど入れずに頑張っていた。ところが3年前の春、それを増量した。
そうしたらその1年後に、三条店もつぶれてしまった。
僕はニンニクが増量されるまで、三条店に週に1回のペースで通っていたのだ。本店の味は理解できなかった僕なのだが、こちらは化学調味料が使われている分わかりやすくて、非常にハマった。
この三条店のラーメンが、たぶん本店もおなじだと思うけれども、人と話しながら食べてしまうと「しょうゆ臭い」としか感じられなくなるものだった。これは言語に左脳を使ってしまうと、味を分析的に捉えられなくなるからだと思っていて、本来の新福菜館のラーメンは、それほどの集中力を要求されるものなのだ。
ところがそうして集中して味わうと、奥深い世界が見えてくる。それこそが、新福菜館の本当の魅力なのだ。
ところがあるとき、三条店でニンニクが増量され、僕は本当にガッカリした。お店の人は、自分の商品に自信が持てず、一般に迎合した。
それで僕は、行かなくなってしまったのだが、たぶん常連さんで、そういう人も多かったのではなかろうか。色々と事情もあったことだと思うけれど、結局三条店はつぶれてしまった。
麺対軒は、それらつぶれた店の味を採用しているわけだから、お店を立ち上げるにあたり、その危うさは十分承知していたと思う。それで、この新福菜館系の味にくわえ、新しい味を開発した。
それが「生姜ラーメン」で、これはこの店のヒット商品になっている。お客さんを見ていると、新福菜館系の「醤油ラーメン」と、この生姜ラーメンをたのむ人で、半々くらいではないかと思う。
この生姜ラーメンも一度食べたことがあり、それなりにおいしかった。でもこの店へは、僕は新福菜館の味が食べたくていくわけだから、たのむのは醤油ラーメン。
本店の味と多少ちがうとはいえ、これでも十分「新福菜館欲」は満足できる。
ラーメンには、ミニチャーハンをつけたセットがある。
もちろん、それも注文する。
本店のチャーハンと同様、ラーメンの甘いタレを使ったもの。化学調味料が入っている分、こちらの方がわかりやすく、「本店よりおいしい」と感じる人は多いと思う。
ところが……。
このラーメンとチャーハンだけで終わっていれば、問題は何もなかった。しかし、それで済むはずはないのである。
何しろこの店は、ちょっとドヤ街風の、ベニアがむき出し、気がきいたインテリアが採用されている。
BGMは、おっさんには死ぬほど懐かしい、昭和歌謡が選ばれている。
酒を飲むには、まさにうってつけの店なのだ。
それで、まずビール。
餃子もいっしょに注文し、餃子が焼き上がるまで、「三種盛り」で一杯やる。
餃子が焼き上がってくるころには、当然一杯目のビールは飲み終わってしまっているから、さらにビールをもう一杯。
餃子を食べ終わったら、もちろんビールは飲み終わっているから、さらに残った三種盛りで、チューハイを2本。
さらにそれで終わりにならず、メンマをたのんで酎ハイをもう1本。
短い時間に、一人で黙々と飲んだから、ラーメンを食べるころには、もう記憶が怪しくなるほどヘベレケになってしまった。
家に帰って12時前に寝たのだが、けさ起きたのは10時。さらに昼ごろまでボッとして、仕事はほとんどできなかった。
「何であんなに飲んでしまうんだ……」
後悔は、もちろんする。しかし酒を飲み過ぎてしまうのは、「酒が好き」だからなのである。
翌日に後悔もしないようなら、それは酒が好きではないのだ。
だったら酒など、はじめから飲まない方がいいのである。