そろそろ涼しくなってきたから、晩酌は常夜鍋にした。
一人鍋は、「静寂」を味わえるのが醍醐味である。
このごろは、朝晩などは寒いほどで、テーブルにカセットコンロを持ち出すのも抵抗がない季節になってきた。
となれば、「鍋」である。
ぼくは鍋が大好きで、ある冬などは、毎晩鍋を食べ続けたこともある。
手軽にでき、うまくて、面白く、さらに風情もある。
「鍋は料理の王者だ」と、ぼくは思っているのである。
手軽にできることについては、言うまでもないだろう。事前の準備は材料を切るのとだしの調整だけ、あとの調理は食べながらやる。
この調理しながら酒を飲むのが、実にいい。
ぼくは普段も、調理の最中酒を飲むのだが、調理と酒は、相性が抜群なのだ。
おそらく酒の力で本能が解放され、食の欲求に忠実になるからだろうと思うのだが、酒を飲みながらだと調理が一層楽しくなり、また楽しくなるから、酒も進むことになる。
さらに鍋は、作ったその場で、どんどん食べる。いわば「公然のつまみ食い」だ。
調理をし、食べたい気持ちが高まったところで、タイミングを逃さず食べるのだから、まずはうまいに決まっているし、しかもそれが、「煮えバナ」だ。
どんなものでも、出来立てがうまい。
鍋はそれを、出来た瞬間に食べるのだから、「うまさ」でいえば、これ以上のものはないのである。
それから鍋は、材料をただ煮て食べるだけだから、簡単といえばこれ以上簡単なものはないのだけれど、奥が深い。
簡単に見えるものほど奥が深いのはよくある話で、鍋は考えどころが山ほどあり、「無限」とも思える可能性を秘めている。
例えばまず、「材料の選び方」に熟慮が必要だ。
鍋に決まりは特にないから、何を入れてもいいのだけれど、この「何でもいい」のがむずかしい。本当に何でもかんでも入れてしまうと、ただのゴミのような、ごった煮になってしまうから、そうならないための取捨選択は、よくよく時間をかけないといけない。
また材料も、例えば肉や魚なら、そのまま使うか、つみれにするかで風情がまったく違ってくるし、味を汁に付けるのか、タレで食べるのかによっても違う。
その味付も、様々なものがあり得るわけで、一つの料理が、これだけの可能性を持ち得るものは、他にはないだろう。
ここに、鍋の「面白さ」があるのである。
しかしそれも、料理の歴史を思い起こせば、当然とも言えることだろう。
鍋は料理の「原点」とも言えるもので、現在の料理のほとんどは、鍋から始まっているのである。
さてこの鍋だが、一人でやるのは「寂しい」と、抵抗がある人もいるだろう。
それはぼくも、解らなくはないのだけれど、「そんなことはない」ことについては、力説したい。
もちろん、大勢でワイワイと囲む鍋が、楽しいことは言うまでもない。家族の鍋もいいだろうし、恋人としっぽり二人でつつく鍋も、また乙だ。
しかし一人の鍋は、一人鍋にだけある風情があるのである。
一人の部屋が寂しいのは、これは言うまでもないだろう。「シン」として、空気が凍ったようで、一人の部屋に帰宅して、すぐにテレビを付ける人も少なくないことと思う。
しかしその凍った部屋に、カセットコンロを持ち出すと、「火」が灯るわけである。
火は、キャンプファイヤーでも焚き火でも、ただそれを眺めるだけで、心も温まってくる。
そして、弱火にしたカセットコンロに、水を入れた鍋をかければ、やがて沸き立ち、小さく「コトコト」と音を立てるようになる・・・。
ここに、「静寂」が訪れるのだ。
静寂は、ただ静かで、寂しいのではない。
カワズがポチョンと池に飛び込み、小さな音を立てるように、わずかな音があって初めて、浮き彫りになってくる。
鍋が沸き立つ音に静寂を感じられるのは、一人だからだ。
これこそが、一人鍋の醍醐味だと、ぼくは思うのである。
きのうの一人鍋は、常夜鍋。
豚肉とほうれん草だけのシンプルなものなのだが、一人鍋の基本といえば、やはりこれになるだろう。
常夜鍋は、魯山人が紹介したもののようだが、元々は中国の食べ物らしい。「宵夜(じょうや)」と書いて、中国語で「夜食」のことなのだそうで、中国では、小腹が空いたときに食べる簡単な鍋などが、「宵夜」として出されるそうだ。
魯山人も「宵夜鍋」と書いているが、これが時代が下り、字が似ている「常夜」と誤表記されるようになったのだろう。
簡単すぎて、店などではまず出されることがないけれど、知る人ぞ知る一人鍋の代表選手で、向田邦子も、これを好んでいたそうだ。
材料は、豚肉とほうれん草のみ。
一人鍋は、できるだけシンプルにするのがポイントである。
ほうれん草はアクが出るから、あらかじめサッと下ゆでしておく。
豚肉も、湯通ししてもいいけれど、肉のアクは見た目が悪くなるだけで、味は左右しないから、別にそこまで気にしなくていい。
鍋にはだし昆布を敷き、水と酒を入れる。酒は多ければ多いほどうまいのだが、きのうは水3カップに酒1カップとした。
弱火にかけ、小さく煮立たせ、食べる分だけをサッと煮る。
ほうれん草は、もう火が通っているから温めるだけでいい。
味ポン酢と、一味をかけて食べる。
こんなにも簡単なのに、これがしみじみ、うまいのである。
鍋には、いくつか箸休めを用意しておくといい。
おとといの大根煮。
それにトマトとしめじのツナマヨ和え。
くし切りにして種を除いたトマト、それにサッとゆでたしめじを、ツナとマヨネーズ、レモン汁、塩コショウで和える。
酒は焼酎水割り。
飲み過ぎるのは、決まったことだ。
「ほんとは寂しいくせに。」
そうなんだよな。
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