芸道などで悟りを開くことを意味する「開眼」は、自炊にも存在する。
それは、レシピなどを見なくても、自分が食べたい通りの料理を自由自在に作れるようになることだ。
「レシピを見ないと料理が作れない」という人は多いのではなかろうか。
もちろん、それでも自炊をしないよりは100倍マシなわけだが、レシピを見ずにおいしい料理を自由に作れるようになると、自炊が本当に楽しくなる。
この記事では自炊における開眼とは何か、および開眼する方法を紹介したい。
自炊における「開眼」とは何か
自炊において「開眼」とは何かをまず見ていこう。
開眼したかどうかは自炊の場合、自分が決めるものなのだが、料理体系の意識的な理解がないと意外に開眼できないのだ。
自炊における「開眼」の定義
自炊における「開眼」の定義は、
「『おいしい』と自分が思う料理をレシピを見なくても自由に作れるようになること」
である。
自炊の場合、料理の作成者と評価者はどちらも自分となる。
したがって、自炊に開眼したかどうかは純粋に自分が決めればよい。
「自分が決めればよいのなら誰でも開眼できるのでは?」
そう思う人もいるかも知れない。
しかし、意外にそうでもないのである。
自炊料理の作成に失敗した経験をもつ人は多いのではなかろうか。
これはすなわち何を意味するかといえば、人間の舌は誰が作成したかによらず「おいしい」と「まずい」を判定できるものであり、たとえ自分が作ったものでも「まずい」と判定することはあるということだ。
自炊に開眼するためには、自分が自由に作った料理が「おいしい」ものでなければいけない。
そのためのハードルは、それほど低くはないのである。
料理体系の意識的な理解が必要
それでは、自分が自由に考案・作成した料理が「おいしい」ためには何が必要なのだろうか。
必要なのは「料理体系の意識的な理解」なのである。
料理法は単に、それぞれの料理で個別に存在するわけではない。
全体として体系が存在する。
その料理体系は、日本料理や中華料理、西欧料理などそれぞれの料理で存在するのみならず、それらを普遍的につらぬく「人間の料理」としての体系も存在する。
長い時間をかけそれぞれの地域で歴史的に構築されてきたそれら料理体系は、料理を食べる者なら誰でも直感的に認識している。
したがって、既存の料理体系から大きく逸脱した料理は、たとえ自分が作ったものでもまずいのだ。
この料理の体系を、消費者としてではなく作成者としてどう意識的に理解できるかが、自炊に開眼するための大きなポイントとなるのである。
ただし、料理体系をすべて理解しなければ開眼できないわけではない。
料理体系は、段階的・階層的に構築されており、まず入り口の階層に立つことができれば、あとは段階的に理解を深めていけるからだ。
この料理体系の入り口に立つことを僕は「開眼」と呼んでいる。
開眼できると、その後の自炊は「体系の理解」と「創意工夫」に収斂され、本当に楽しくなる。
自炊に開眼する方法は2つ
自炊にどうしたら開眼できるかを紹介しよう。
その方法は「だしを自分で取ること」と「気に入った料理本の料理を片っ端から作ってみる」ことの2つである。
1. だしを自分で取る
自炊に開眼するための方法は、日本人なら、文句なくまず「自分でだしを取ってみること」なのである。
これは、筆者自身が自炊に開眼したきっかけでもある。
また、料理上手の男性に料理にハマったきっかけを聞いてみると「だしを取ったこと」という回答が複数あったうえ、料理を始めたばかりの友人に試しに「だしを自分で取ってみなよ」とアドバイスしたところ、その友人も見事に料理にハマったことがある。
なぜだしを取ることが自炊に開眼する方法となるかといえば、日本料理の体系は「だし」を中核として構成されているからだ。
日本人なら、日本料理を作ることが多いだろう。
日本料理を作る際、だしを自分で取ることは、日本料理の体系を理解する近道となるのである。
また、天然素材を利用して自分でだしを取れば、顆粒だしなどを利用したのとくらべ、料理が数倍おいしくなる。
味付けなどに多少の失敗をしたとしてもそれなりにおいしく食べられるのが、だしを自分で取ることの利点でもある。
だしは、たとえば味噌汁などに使うかつお節の2番だしなら、5分もあれば取れてしまう。
その5分を省略しないことが、開眼には重要なのだ。
2. 気に入った料理本の料理を片っ端から作ってみる
料理に開眼するための2つ目の方法は、気に入った料理本を1冊選び、そこに掲載されている料理を片っ端から作ることだ。
料理本は「自分に合いそう」と思うものなら何でもよい。
ただしその際、留意点として以下の2点があげられる。
(1)完全にレシピ通りに作ること
まず重要なのは、レシピ本のレシピに完全に忠実に作ることだ。
「大さじ1」と書いてあれば、きっちり大さじ1を計り、目分量などにはしない。
調味料が「大さじ1」なのか「小さじ1」なのかは、料理体系を理解するうえで大きな違いなのである。
また、レシピ本の筆者はレシピにより、伝えたい料理の味が再現されることも目指しているから、レシピ通りに作ることでその味を確認することも大切だ。
(2)レシピを記憶してから作ること
次に重要なのは、レシピをすべて記憶してから作ることだ。
記憶は理解の入り口だからである。
レシピを見ながら作っていては、いつまで経っても理解には至らない。
逆に、レシピをすべて記憶してから料理を作れば、それはすでに「レシピを見ずにおいしい料理を作っている」といえることになるのである。
まとめ
自炊にも、レシピを見ずに食べたい料理を自在に作れる「開眼」の境地がある。
開眼すれば、その後の自炊は本当に楽しくなる。
自炊に開眼するための重要なのは、
- だしを自分で取る
- レシピ本の料理を片っ端から、レシピを記憶して作る
の2つだけだ。
簡単なようで難しい、しかし難しいようで簡単なこの自炊料理の開眼に、ぜひチャレンジしてほしい。