沖縄の人たちの腹のすわり方に驚かされた一日

高江 阻止行動 沖縄での社会運動

沖縄へ来て、1ヶ月ぶりに高江での米軍ヘリパッド工事・阻止行動に参加した。6時に、工事現場へとつづく道にかかる橋の手前で集合。

まだ日の出前。

高江の海と山

沖縄の海と山、それに空は、ほんとうに美しい。

 

その日の行動は、通る車を一台一台確認し、住民の車ならもちろんそのまま通ってもらい、工事現場の作業員が乗った車が通ったら、そのままお帰りいただくこと。

高江 阻止行動

 

阻止行動の目的は、もちろん工事を阻止したいのだけれど、日本政府は全国の機動隊を総動員して阻止行動を抑えようとしてきている。なので完全に阻止することは無理だとしても、「少しでも遅らせること」となる。

これまで数週間は、米軍基地内の工事現場に直接すわり込み、それで工事を止めていた。

これは効果が大きかったのだけれど、さすがに政府や工事現場を管轄する防衛局も手をこまねいているわけはなく、機動隊が基地内で逮捕することができるようにアメリカと話をつけたり、カミソリが無数についた超危険な有刺鉄線を工事現場のまわりに張り巡らせたりするようになった。

なので工事現場での阻止行動はちょっとむずかしくなってきて、この日は基地に入るようになる前にやっていた、工事の作業員にお帰りいただき、工事をさせないという手段をふたたび試してみることになったのだ。

 

プロテクターは30人以上が集った。1ヶ月前より人が増えているようだ。

多くの場合、作業員は素直に帰ってくれる。でも中には怒って荒れ狂い、前にプロテクターがいるのにもかかわらず、車を進めようとしたり、降りてきて食って掛かってくる人もいて、場が騒然とすることもある。

高江 阻止行動

でも、それも無理のない話なのだ。相手も仕事なのだから、それができなくなるとなれば、生活に差し障る。

しかしプロテクターも、沖縄の人たちの生活を脅かすことになる新基地の建設を指をくわえて見ているわけにはいかない。なのでできる限り穏やかに、ていねいに話をし、納得してもらうようにする。

 

そのうち機動隊がやってくる。

高江 阻止行動

でもこの機動隊は、単に勤務が交代となり、宿へ帰る人たちがちょうど通りかかったというだけで、阻止行動を止めろと指示を受けているわけではないから、プロテクターを排除できない。

この日の阻止行動は、前日までとはちがうことを突然はじめた。そのため機動隊も戸惑って、組織でうごく機動隊のこと、すぐには対応できないようだ。

 

作業員のあとから砂利を積んだダンプが来たから、それも止めることになった。車をノロノロ運転させてダンプの前を走り、ダンプが現場に到着するのを少しでも遅らせる。

僕はダンプの2台前で、バックミラーで後ろを見ながら、ダンプのすぐ前にある車のスピードの合わせて運転した。

高江 阻止行動

 

後ろの車に乗っているプロテクターは、若い女性が2人だった。はじめは時速10キロくらいだったのが、5キロ、3キロ……と、だんだんスピードが落ちていく。

ノロノロ運転する場合、スピードの調整はとても重要。遅いほうが効果は高くなるのだが、警察が後ろにいる場合、追いつかれると止められてしまうことになる。

ところがこの日は、プロテクターを排除するための警察はまだ到着していなかった。

 

そこで「大丈夫」と踏んだのだろう、後ろの車は徐々にスピードを落とし、最後には停まってしまった。僕はこれにはほんとうに驚き、舌を巻いた。

警察がいないとはいえ、停まってしまえば、今度はダンプの運転手が降りてくるかもしれない。怒り狂ってドアを蹴り上げていくなど、よくあることだ。

しかも後ろの車は、若い女性が二人。ダンプを背にしてジッと停まっていることは、男の僕でもちょっとコワイ。

 

高江 阻止行動

結局それから、延々6時間以上、夕方近くになってようやく警察が排除に来るまで、2台のダンプは止められたままになった。

もちろんダンプはほかにもあるから、工事は完全に止められたわけではないけれど、2台でも半日止められたのは大きなことだ。

 

あとでダンプを止めた女性2人に話を聞いたら、

「警察もいないし、できるかな~と、2人で話をしてやったんですよ~。うまくいってよかった~」

と、ケロッとしたもんだった。

 

「若い」といっても、活動歴は、新参者である僕よりもはるかに長い。それに沖縄は、70年にわたって抵抗運動をつづけてきているのである。

沖縄の人の腹のすわり方は、ほんとうにハンパではないと、つくづく思った。

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