福島を忘れてはいけないのである。(郡山/新月、一平、来来、Bar Coos)

2014/04/25

 
昼は寿司屋で昼酒し、夜は酒場を3軒まわった。

郡山 Bar Coos

福島を忘れてはいけないのである。

 

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サウナ暮らしも4日目となるのだが、実に快適である。

考えてみたらぼくはスーパー銭湯が大好きで、「ここに住みたい」と思ったくらいなのだから、サウナで生活するのは性に合っている。

 

朝は起きたら朝風呂し、それから休憩室のリクライニングチェアにもたれながら少し仕事をする。

一段落したら郡山駅ビルにあるタリーズへ出かけ、ブログ更新。

それが終わると昼酒をし、サウナにもどってひと風呂浴び、少し昼寝。

目がさめたらしばらく仕事をして夜の街へ出かける。

帰ってきたらまた風呂にはいって寝るという一日だ。

 

リクライニングチェアでの仕事がまた捗るのであり、ノートパソコンを操作するのに体勢的に大変ラクだし、休憩室には小さくテレビがついていて、人も何人かいたりもするので適度に気もまぎれる。

カフェだと長居し過ぎないよう気をつかう必要があるが、ここには宿泊しているからそんな心配はいらないし、もちろん水やお茶も完備している。

これなら「一生サウナ暮らしでもいい」と思うくらいである。

 

ただし問題があるのが「栄養」で、外食がつづいているからバランスが崩れているのが体でわかる。

野菜も足りていないし、だいたいおととい、先おとといとラーメンを三食連続で食べてもしまったから、体が塩漬けになったような感じがする。

それできのうの昼酒は、「味のうすいものをアテにしよう」と考えた。

そうなればやはり和食、一番なのは寿司だろう。

 

というわけで、向かった先は駅前大通にある寿司屋「新月」。

寿司「新月」

前に歩きまわった際、「わりと安い値段で食わせる店」としてチェックしていた。

お昼時でもランチの表示を出しておらず、「並にぎり1300円」からとなっているのだが、中にはいるとランチメニューがあり、にぎりとちらしは840円、海鮮丼980円、うな重1480円という激安価格。

なぜランチの表示を出さないのか、初めは不思議だったがすぐにわかった。

安いのを皆知っているからだろう、個室には予約がはいり、カウンターもすぐに一杯、何人か断ったりもしていたから、「これ以上来られても対応できない」ということだとおもう。

 

頼んだのはにぎり寿司。

寿司「新月」

板前は四十歳くらいだが、「創業昭和8年」となっていたから、三代目とかなのだろう。

ネタはもちろん高級なものはないが新鮮で、さらにマグロは火で炙ったり、イカは小さく網目に飾り包丁をいれたりなどされ、きちんと手がかかっている。

寿司「新月」

夜にちゃんと食べたらさぞおいしかろうと思ったし、にぎり5つと玉子のほか、鉄火巻き一本と海苔のみそ汁がついたから、値段的にも大満足である。

 

さて夜は「どこへ飲みに行こうか」と思っていたら、知り合いの女性から電話があった。

震災後にツイッターを通して知り合い、やり取りするようになり、今回も今日会う約束をしていたのが、「たまたま近くを通りがかったから」というので、「それでは」ときのう食事へ行くことにした。

 

行った先は、中町のビューホテルアネックス裏手にあるおでん屋「一平」。

郡山 おでん「一平」

ビューホテルアネックスでは、キャビンアテンダントなどから「どこかいいとこありませんか?」と聞かれるとここを紹介しているというから間違いない。

10人ほどが座れるカウンター席のほか、いくつかある座敷席のすべてが、食事どきになると一杯に埋まっていった。

郡山 おでん「一平」

マスターは四十代くらいのガッシリとした人で、さらに十代とも思える男の子が3~4人いたから、修行を受け入れているのだろうか。

 

女性は四十くらいの独身で、実際に会ったのは初めてだったが、これまでツイッターやらフェイスブックやらで写真は見ていたし、スカイプで話したりもしていたので、初めてのような気はしない。

郡山 おでん「一平」

震災直後はかなり悩んだ様子もあったが、その後楽器をはじめたり、大型バイクの免許をとったり、様々なセミナーに参加したりなどしながら多方面で活躍している。

 

頼んだのは、まずはトマト。

郡山 おでん「一平」

野菜不足は解消する必要がある。

おでんはチクワと大根、玉子にロールキャベツ。

郡山 おでん「一平」

 

さらにタコとがんも、タケノコ。

郡山 おでん「一平」

うすいめの、「王道」ともいえる味で、奇をてらうことなく基本に忠実に作られている。

 

女性とはあれやこれやと話をしたが、震災の話にはならなかった。

色々と思うところもあるはずだが、そう簡単に口にできることでもないのだろう。

 

今日も仕事の女性とはここで別れ、ぼくはもう少し、一人で飲むことにした。

郡山 居酒屋「来来」

ちょうどおでん屋の向かいに、興味深い居酒屋があったので入ってみることにした。

 

ぼくは初めての街で、知らない飲食店に一人ではいるのが非常に好きで、これは最も楽しいことの一つではないかと思っている。

どの店にはいるかは、ネットの情報などは一切参考にせず、街を歩きまわって店構えだけを見て決める。

店構えはお店の「顔」で、ここで感じとった印象は、実際に中にはいってほぼ外れることがない。

 

ぼくが店を選ぶにあたり、ポイントと考えているのは「ワケの分からなさ」であって、店構えを見てほとんど分かってしまうような店にはまずはいらない。

時流に沿った店構えにし、メニューをならべ立てた店はそれだけの話であり、いざ店にはいってみても、何も面白いことはない。

店構えの「ワケの分からなさ」にこそ店主の想いと、「入ってくればわかるよ」という自信を感じるのであり、ぼくはそこに興味が湧く。

 

きのう入った居酒屋「来来(ココ)」も、まずこの店名からして意味がわからない。

郡山 居酒屋「来来」

店主の何らかの想いの産物なのだろう。

それをおそらく自分で、落ちている樹の枝をねじ釘でとめつけたであろう看板を作っていて、この決して趣味がいいとは思えない看板からも、店主の何かの、つよい思い入れを感じる。

こういう店には、ぼくは入らずにはいられないのだ。

 

階段を上がって中をのぞくと、お客さんは他にいなかったから、ぼくは店主とサシで話すことに腹を決め、中にはいった。

郡山 居酒屋「来来」

店主は男性で、年はたぶんぼくより少し上くらい。

「梅チューハイ」というのがあったから、「どんなものだろう」とおもって頼んでみたら、チューハイに梅干しをいれたものだった。

カウンターは4席ほどの小さなものだが、店自体はかなり大きい。

郡山 居酒屋「来来」

郡山 居酒屋「来来」

テーブル席や座敷もあり、さらに階段を上がってロフト状の場所へいくと、座敷に個室もあるそうだ。

 

店主はここで、もう30年近くもやっているそうだ。

ただ30年前にはまだ近くに住んでいる人も少なくなかったものが、今ではそれもお年寄りばかりになり、若い人は郊外に住むようになっている。

そのため車社会の郡山ではこのあたりで飲み屋をやるのはだんだんと厳しくなり、中町の飲み屋も減る傾向にあるという。

 

さらにそれを、3年前の震災が追い打ちをかけた。

この店が入っている「文化マート」と呼ばれる飲み屋街は、いかにも「昭和」、平屋の飲み屋が細い路地の両側に軒をならべているのだが、その古い建物が、地震のために壊滅的な被害をうけた。

それで文化マートはずいぶんと人が出ていき、今では閑散としてしまっているという。

 

お通しはロールキャベツと春雨。

郡山 居酒屋「来来」

 

さらにぼくは、野菜不足を解消するため野菜炒めをたのんだ。

郡山 居酒屋「来来」

いずれも気取りはないが、なかなかうまい。

 

さらにトマト酎ハイを一杯飲み、お勘定は2千円。

「また顔を出します」と約束し、店をでた。

 

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まだ時間は11時過ぎだった。

あと一軒、一杯くらい飲んでいく時間はある。

 

バーへ行ってみようと思い、陣屋をひと通り歩き回ってみたのだが、興味を引かれたのはこの店である。

Bar Coos

「Bar Coos」。

看板はこれだけで、だいたいこの「Coos」が、「Coo's」「Coors」「Cools」などでもなく、意味が全くわからない。

 

中へ入ってみると、いわゆる正統的なバー。

郡山 Bar Coos

マスターは四十過ぎだが、蝶ネクタイをして髪をポマードで撫でつけている。

ハーパーのロックをたのみ、店の名前の由来をきいたら、自分がお世話になった店の名前から何文字か抜き、さらに沖縄の「クースー」とかけたとか。

やはりこのマスター、見た目はハンサムでスマートだが、想いはつよい人なのだ。

 

カウンターには男性のお客さん二人がいて、そのうちの一人と話になった。

ぼくは郡山へ来て、飲み屋でお客さんと話をするのは初めてである。

 

四十代くらいのその男性、ぼくがライターの仕事をしながら、一週間ほどここで遊んでいると言ったら、

「カッケーですねー」

という言い方をする。

「カッコいい」の意味だが、べつに郡山の方言ということではなく、ざっくばらんな人なのだろう。

ぼくのタバコが「エコー」なのを見ては「カッケー」、さらにジッポのライターを見ては「カッケー」。

「ぼくはタバコは吸わないんですが、こういうバーなどへ来たときは、吸える人はうらやましいと思いますよね・・・」

しばらくはそんな他愛のない話をした。

 

そのうち男性は、

「なぜ郡山へ来ようと思ったんですか?」

と聞いてくる。

「前から気になっていて、足を運びたいと思っていたんです・・・」

答えると男性は、

「それは被災地だからですか?」

と聞く。

「そうだ」と答えると、それから男性が語りはじめた。

 

実際の話宮城や岩手では、ガレキの処理はほぼ終わったが、福島は全くちがう。

いわばまだ「戦時下」で、放射線との戦いがつづいている。

毎日テレビで「今日の放射線量」が告知され、線量計は「一家に一台」が当たり前になっている。

除染についての話題などは、すっかり日常に溶け込んでいる。

「これって異常なことですよね?」

男性は、普段は忘れようとしているけれど、時たまそう思うこともあるという。

 

といって男性は、深刻ぶる様子はまったくない。

自分の家が、屋根の線量が高かったから、自費で10万円を払って除染したそうだ。

その費用を請求しようと東京電力に電話したら、対応した女性にていねいに断られた。

「東電はあれ絶対、いかにも申し訳なさそうに謝れる女性を選んで対応させているにちがいないですよ・・・」

男性の軽妙な語り口に、いけないとは思いながらもつい笑ってしまう。

男性は、その女性の対応に、「いいよ、我慢しよう」と請求をあきらめたそうだ。

 

男性の家の庭に植えられていた花が、原発事故があった年だけ、それまでも、それ以降もなかったほどきれいに咲いたのだそうだ。

「セシウムが原因だと思うんですよ。セシウムは、肥料につかわれるカリウムと性質が似ているそうなのでね・・・」

多くの人が、庭の除染をしたあと上をコンクリートで固めたそうだ。

「魚を釣っても、放射線の検査ができないから食べられず、またそのまま放さないといけないですしね」

カウンターに座っていたもう一人の男性も、その頃には話にはいってきていた。

 

やがて深夜0時も過ぎたので、男性は二人とも帰ることになった。

帰り際、

「福島のことを忘れないでください・・・」

男性はボソリと言い残していった。

 

ぼくは残っていたバーボンを飲みおわると店を出た。

陣屋や大町の街はまだ大勢の人でにぎわい、黒服の呼びこみが、ぼくに何人も声をかけてくる。

でもあの人達のすべては、男性の言葉を借りれば、まだ「戦時下」にいるのである。

「福島のことは忘れてはいけない・・・」

サウナへの道を歩きながら、ぼくはつよく、つよく思った。

 

「ぼくも忘れないようにするよ。」

チェブラーシカのチェブ夫

うん、頼んだぞ。

 

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