料理をすると味がわかるようになるのである。(油あげの大根煮)

2014/04/21

 
昨日は「お世話になった冬の食べものとの別れを惜しもう」シリーズとして、大根煮をつくった。

大根煮

料理をすると、味がわかるようになるのである。

 

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昼酒は、当然するのである。

喫茶店「PiPi」

昨日は喫茶店「PiPi」。

「喫茶店で酒をのむなど風情がない」と訝しがる向きもあるとおもうが、ここはちがう。

「ランチ」をたのむと、実に酒の肴に打ってつけのものが出てくるのである。

 

昨日のメインは、チキントマト煮。

喫茶店「PiPi」

これはまあ、酒の肴としては普通だが、副菜が気がきいている。

小松菜と油あげの炊いたんに、ブロッコリーとしめじのさっと煮、それにマカロニサラダ。

メインも含め、どれもうす味に仕立てられているから酒によく合う。

 

みそ汁は、竹輪とさやえんどう。

喫茶店「PiPi」

これでご飯もついて620円だというのだから、たまらないのである。

 

店主の「マチコちゃん」は若い女性だが、お父さんがレストラン経営をしていて料理の達人なのだそうだ。

小さな頃からプロの料理に触れているわけで、料理が並みの女性とちがうのは、そういうこともあるのだろう。

 

晩めしは、聖護院大根を買ってあり、「お世話になった冬の食べものとの別れを惜しもう」シリーズとして大根煮にした。

大根煮

大根煮も、冬の京都を代表する食べものの一つである。

色んな流儀があるようだが、うす味で油あげといっしょに煮るのが定番で、これがまたうまい。

大根は、ブリや豚肉、鶏肉など何と合わせてもうまいものだが、「油あげと合わせるのが最高だ」とぼくは思う。

 

大根に魚や肉を合わせるのと、油あげを合わせるのとで一番ちがうのは何かといえば、「味の方向」だ。

大根煮

魚や肉の場合には、魚や肉の味が大根にはいっていく、基本的に一方通行となる。

ところが油あげの場合には、味を出すばかりでなく、自分も味を吸うのである。

大根に油あげの味がはいり、油あげも大根の滋味でみたされてとなって、大根と油あげの両方が、おたがいを高め合うことになる。

 

さらに大根と油あげは、どちらもやわらかくてアッサリとした、「似たもの同士」であるのもいい。

大根、油あげ、大根、油あげ・・・、と代わる代わるに食べていくと、徐々に気持ちが高まって、しまいには「幸せの極地」とでもいいたくなる心境になるのである。

 

作るには、まずは大根の皮を厚くむき、2~3センチ厚さに切って、水で下ゆでする。

大根煮 作り方

中火くらいできちんと煮立たせ、竹串がすっと通るまでゆでる。

 

それからだしを取る。

大根煮 作り方

4カップ半、たっぷりの水に、10センチ長さくらいのだし昆布と、ミニパック8袋分くらいの削りぶしをいれ、強火にかけて、煮立ってきたら弱火にし、アクをとりながら5分煮る。

5分煮たら、ザルで漉す。

このだしに、うすくち醤油大さじ4、みりん小さじ4で、うどんだし程度の味をつけておく。

 

あとは下ゆでした大根と食べやすい大きさに切った油あげとを、このだしでコトコト煮る。

大根煮

油あげは、スーパーなどで売っているどこの誰が揚げたかわからないものを使うなら、熱湯をかけて油抜きしたほうがいいが、「油も味のうち」と承知するきちんとした人が揚げたものなら、そのまま使ったほうがうまい。

火加減は弱火で、沸騰するかしないかくらいを保つようにする。

30分くらい煮れば食べられるが、さらに鍋に入れておけば、味がしみてうまくなる。

 

それから大根は、皮をむいた場合には、茎やだし殻といっしょにジャコ炒めにするのがいい。

大根の皮や茎、だし殻のジャコ炒め

大根の皮や茎は、中身に負けず劣らずうまいのである。

 

フライパンにゴマ油とちりめんじゃこをいれ、それを脇に置いておいて、料理していくうちに出る根の茎やら皮やら、だし殻やらを、次々と放り込んでいく。

大根の皮や茎、だし殻のジャコ炒め 作り方

あとは中火でじっくり炒め、しょうゆを入れて、汁気がなくなるまでさらに炒める。

 

そのほか昨日食べたのは、まず一昨日の身しじみ煮物。

身しじみ煮物

 
 

あとはすぐき。

すぐき

 
 

酒はぬる燗。

酒はぬる燗

これを食べながら、

「料理をすると味がわかるようになる」

と、あらためて思ったのである。

 

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さて「味」なのだが、ぼくももちろん、料理をするようになる前は、外食が多かった。

食べ歩きをし、様々な飲食店をわたり歩いたこともある。

食べ歩きをすると、多くの飲食店を見るうちに目が肥えてきて、飲食店を自分の中でランク付けできるようになる。

「比較」ができるようになるからで、それで飲食店を網羅的に理解するのも、食の大きな楽しみだろう。

 

でもぼくは、自分で料理をするようになり、外食の際にも料理の味わいかたが変わったことを実感した。

ただほかの店の料理と比較するばかりでなく、「分析」ができるようになるからだ。

料理を食べると、自分が料理をするから、それをどのように作ったのかが想像できる。

それによって料理人の人格に触れられるようになるのである。

 

これは音楽や芸術、文学など、他の創作活動といっしょだろう。

ぼくはギターを少し弾くのだが、ギターが弾けるようになってくると、ギタリストのギターを聞いても、ギタリストの指の動きが目にうかぶようになる。

そしてその肉体の動きをとおして、ギタリストの息遣いや、さらには人格を、感じられるようになってくる。

これは音楽をただ「受け手」として楽しむのとは、次元がちがうことである。

 

料理をすることの楽しみは、これも大きいとぼくは思う。

味が、以前よりはるかに深く、「わかる」ようになるのである。

 

ただし食べてすぐにわかるのは、自分と同レベルか、それより下の料理人が作った料理だけである。

自分より上の人が作った料理は、食べただけでは「わからない」。

そういう店には、だから通うことになる。

それでそのうちこっそり、作り方を聞いたりして、勉強するわけである。

 

「料理も奥が深いからね。」

チェブラーシカのチェブ夫

ほんとなんだよ。

 

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