酒は意味がまったくないのがいいのである。(生節と豆腐の煮物)

2014/04/25

 
昨日はとろろ昆布のうどんで昼酒をし、生節と豆腐の煮物で晩酌をした。

生節と豆腐の煮物

酒は意味がまったくないのがいいのである。

 

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昼酒の満足感といったら、実際のところ夜に飲む酒の6倍はいくだろうと思えるほどで、つくづく気分がいい。

とろろ昆布のうどん

明るい昼間、ぼんやりと酒を飲むのはこれ以上ない幸せである。

おなじ一杯でも昼のほうが満足感が高いのだから、だったら昼に飲んだほうがいいだろう。

夜の酒も飲みすぎず、サックリ寝られるようになるし、昼酒はいいことずくめだ。

 

昨日のアテはとろろ昆布のうどん。

とろろ昆布のうどん

あっという間に出来てうまい。

どんぶりにとろろ昆布とうすくち醤油、みりんをいれておき、ゆでて戻した冷凍うどんをお湯ごと注いでよくまぜる。

卵を割りおとし、かつお節と青ねぎをふって、一味をかける。

 

昨日は昼寝から覚めたら、引越し準備を少しした。

引越しは明日に予定しているから、あまりゆっくりしていられない。

サイズが変わって着られなくなった服や、もう読まない本など大量に捨てた。

捨てたもののほうが、運ぶものより多いくらいだと思う。

 

あとは食器と調理器具を梱包し、大掃除するだけのところまでやって、やればまだ、やることはいくらでもあるけれど、7時になったから酒を飲むことにした。

まずは焼酎のお湯わりを、ダラダラと2杯くらい飲むのだが、この時間も気分がいい。

早く風呂に入り、食事の支度をすればいいのに、しないのである。

ぼうっとして、まったく何もせず、考えずに時が流れる。

 

さて晩酌は、生節を豆腐と炊くことにした。

生節と豆腐の煮物

さっぱりとした生節は、春の味なのである。

長くつづいた厳しい寒さもようやく緩み、春がはじまり出している。

春は春で、食べるものが色々あるのが嬉しいところだ。

 

生節はすでに火が通されていて、ショウガ醤油でそのまま食べたり、ツナのようにサラダにいれたりしてもいい。

だから炊く場合には「煮すぎない」のが大事になる。

鍋にだし昆布を敷き、生節と、生節とおなじくらいの高さに切った焼き豆腐をならべたら、生節と豆腐がちょうどかぶるくらいの水を入れる。

生節と豆腐の煮物 作り方

中火にかけ、煮立ったら弱火にし、2~3分、かつおの香りがぷんとしてくるまで煮る。

 

そうしたら、いれた水が2カップなら、酒と砂糖、みりんをそれぞれ大さじ3いれ、さらに2~3分、酒の匂いがしなくなるまで煮る。

生節と豆腐の煮物 作り方

最後に醤油大さじ3をいれ、ひと煮立ちさせて火を止める。

フタをして、30分ほど煮汁にひたしておくあいだに味がしみ込むことになる。

食べる前にあたため直し、最後に水菜をサッと煮て添える。

 

ほっくりとした生節と、味がしみた豆腐はしみじみとした酒の肴だ。

生節と豆腐の煮物

水菜のシャキシャキも、また嬉しい。

 

昨日はさらに春のものを用意した。

新子

新子(シンコ)。

「新子」は東日本ではコハダの子供をさすと思うが、こちらではイカナゴの子供である。

おなじものが、東日本では「コウナゴ」と呼ばれるらしい。

 

ショウガに味ポン酢で食べる。

こんなに小さな体なのに、しらすとはまったく違い、驚くほど濃厚なうまみがある。

 

あとは水菜の吸物。

水菜の吸物

吸物だしで油あげとしめじ、水菜をサッと煮る。

 

長芋千切り。

長芋千切り

わさび醤油。

 

すぐき。

すぐき

 
 

酒はぬる燗。

酒はぬる燗

これを飲みながら、

「酒は意味がまったくないところがいい」

と思ったのである。

 

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酒を飲むにはそれなりに金がかかるが、その対価として、これほど何も残らないものは世の中に珍しいのではないだろうか。

ぼくもこれまで、酒には千万単位の授業料を払っているが、もちろんのことすべて泡と消えている。

酒は飲まなくても生きていけるものだから、「趣味」の一つと捉えることができるだろう。

趣味はどんなものであっても、内的であれ外的であれ、お金に見合った「成果」を問うことになると思う。

 

酒を飲んでも、たとえば酒の種類に詳しくなり、利酒大会に出るなどする人もいるだろうが、それは酒の飲み方としては、どちらかといえば特殊だろう。

「カラオケ」が上手くなるなどということもあると思うが、それは酒に付随するものであり、酒の楽しみそのものではない。

趣味をとおしての人間関係はどんな趣味でも得られるだろうし、あえていえば「きれいな飲み方」が出来るようにはなるが、それはほとんど自己満足の世界だ。

「酒をとおして得られるもの」は、ほとんど思い付かないのである。

 

にも関わらず、人類がこれだけ長いあいだ酒を飲みつづけ、今でも膨大な数の人が、莫大なお金を使いながら酒を飲むのは、しかしこの「無意味さ」こそが貴重だからではないだろうか。

大なり小なり生産活動をしなければならない人間にとって、ここまで意味のないことができるのは、酒を飲むときくらいである。

 

すべてに意味がつけられている世界で、無意味な行いをするのは「快感」である。

結局のところ、酒を飲む楽しみとはそこにあるのではないかという気が、ぼくはする。

 

「まったく意味のない快感だね。」

チェブラーシカのチェブ夫

ほんとだな。

 

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