専門家を信じ過ぎてはいけないのである。

2014/04/25

 
昨日は節分だったから、節分イワシと恵方巻きを食べた。

恵方巻き

これを肴に酒を飲みながら、「専門家を信じ過ぎてはいけない」と改めて思ったのである。


 
東京で育ったぼくは、「節分」といえば「豆まき」で、その豆は食べるにしても、それ以外になにか特別なものを食べるとは聞いたことがなかったのである。

「恵方巻き」を初めて知ったのは、6年前に広島へ引っ越してからで、4年前に京都に来てからは、皆が食べているようなので、ぼくも食べるようになったわけだ。

聞くところによると恵方巻きを食べるのは、元々は大阪を中心とした関西圏の習慣で、それが15年ほど前からセブンイレブンが売り出すようになり、それで全国に広まったのだそうだ。

せっかく「節分」という行事があるのだから、そのときに食べるものがあったほうが、食品を販売する業者にとっても、献立を考える家庭の主婦にとっても、よかったということなのだろう。

 

それからもう一つ、これは関西なのか、京都なのかはわからないのだけれど、節分にはイワシが大々的に出まわる。

普段は見かけないような30センチほどもある大羽のイワシで、塩漬けにされているから、夏場の旬の時期に冷凍し、節分のときに一気に放出されるのだろう。

恵方巻き同様、イワシも厄除けの意味があるというから、ぼくもそれを信じるわけではないけれど、一応食べるわけである。

恵方巻き

恵方巻きは買ったもので、イワシもただフライパンで焼いただけだ。

 

恵方巻きに入っていたのは、だし巻き卵に高野豆腐、かんぴょう、しいたけ、キュウリなど。

恵方巻き

かなりの大きさだったから、半分は翌日の昼めしにしようと思っていたけれど、結局全部食べてしまった。

 

昨日あと食べたのは、畑菜の吸物。

畑菜の吸物

吸物だしで、油揚げとしめじを煮、最後に下ゆでして水で冷やして、よく絞った畑菜を温める。

 

それにこの間のブリ大根。

この間のブリ大根

ずっと冷蔵庫に入っていたのだが、究極に味がしみている。

 

オニオンスライスのちくわポン。

オニオンスライスのちくわポン

水でさらした玉ねぎのうす切りをちくわと混ぜ、ポン酢をかける。

 

すぐき。

すぐき

 
 

酒はぬる燗。

酒はぬる燗

燗酒をぬるめにするのは、「それが好き」というのもあるが、時間をかけて熱くするのが「待ちきれない」というのもある。

これを飲みながら、ぼくは

「専門家を信じ過ぎてはいけない」

と、改めて思ったのである。

 

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さて「専門家」なのだが、3年前の原発事故をとおして、ぼくたちが目の当たりにしたのは、「専門家が自分たちの利益のために、いかにたやすく言うことを変えるか」だったのではないだろうか。

原子力発電所の設計自体が、「安全」よりも「経済性」を優先したものだったし、放射線が「危険」とされる範囲についても、事故が起きてから縮小されることになっている。

素人は、専門家に「こうだ」と言われれば、それを信じるしかないだろう。

しかし専門家は、それが間違っていたとしても責任を取るでもなく、「想定外だった」と言って逃げるわけである。

 

専門家が犯罪的行為に手を貸すことは、べつに今に始まったことではなく、昔から山ほど行われてきたと思うけれども、わりと最近の例としては、「原爆の開発」が有名である。

アインシュタインを初めとする、当時「一流」とされる物理学者が、「ナチスドイツに対抗するため」と信じて原爆を開発したのである。

その原爆は結局日本に落とされて、数十万の罪もない市民が虐殺されることになった。

アインシュタインはその後、原爆への反対を表明することになったが、多くの物理学者は、「仕方ない」で済ませてしまったことだろう。

 

専門家がただ「研究」をしている限りにおいては、どんどんやってもらったらいいのである。

しかしその知識を、「原子力発電所をつくる」とか、「原爆をつくる」とかいう、一般の人にも影響があることに使おうとする場合には、本来はそれによって、「どのような影響があるのか」を熟考してもらわなければいけないはずだろう。

しかし悲しいかな、専門家にとって「一般の人への影響」は、「専門ではない」のである。

だから政治的な圧力があったりなどした場合には、多くの専門家がたやすくそれに従ってしまうことになる。

 

ぼくは医療の現場でも、似たようなことがあるのではないかと見ているのである。

多くの医師は、良心的に仕事をしていることだろう。

しかし医師は、「人の命を救う」ことが仕事である。

「命を救ったらいいのかどうか」を問うことは、仕事の範囲外にあるはずだ。

 

それでひたすら、「平均寿命をのばそう」という話になる。

それによって健康保険が破綻しようが、医師にとっては自分の専門領域とは「関係ない」ことになるだろう。

 

もちろん本来、健康保険の問題は、「政治家」の専門領域となっている。

しかし残念ながら、政治は今、全く機能していないのである。

そうであれば素人は、自衛しなければならないだろう。

そのために必要なのが、

「専門家の言うことを信じ過ぎない」

ことだと思う。

 

専門家がテレビやネットで、一般の人にたいして何かを言う場合には、すでにそれは、その人の専門領域の外にあることなのである。

専門家は、一般の人に何を伝えるべきかについて、専門的な教育を受けていない。

専門家が言うことが、その人の専門領域の中では正しいことであったとしても、「ふつうの人の生活」の中で考えて、正しいとは限らない。

それは今、一人ひとりが、自分で判断していかないといけないことになっているのだ。

 

そのためには、「根拠」に耳を貸しすぎないことが必要なのではないだろうか。

専門家は、専門だから、素人にはわからない根拠をいくらでも出せるのだ。

それよりもその専門家の「人間」を見ないといけないとぼくは思う。

その人が「信用に足るのかどうか」を、十分吟味する必要があるのである。

 

「信用できるかどうか」に、専門知識は必要ない。

日常の感覚で、十分判断できることなのだ。

 

「ぼくはおっさんを信用するよ。」

チェブラーシカのチェブ夫

そうかい、ありがとな。

 

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