50をすぎると「死」は身近になるのである。(新福菜館三条店)

2014/03/02

 
昨日はラーメン屋でビールを飲み、さらに軽いつまみで晩酌した。

新福菜館三条店

ダラダラと飲みながら、「50をすぎると死は身近になる」と、改めて思ったのである。


 
一昨日朝まで飲んだため、昨日は起きたのがもう昼だったのである。

ぼくの場合自由業だから、遅く寝ると、その分きっちり遅く起きることになる。

よく「遅く寝ても、毎朝決まった時間に起きるといいのに」と言われるのだが、だいたい目覚ましをかける気がしない。

自由業になって何がうれしいと言ったって、一番なのは、「目覚ましをかけなくていい」ことなのである。

 

しかしこの「朝起きる時間」は不思議なもので、毎日決まった時間に寝ていても、起きる時間はマチマチになる。

寝てから6~7時間後を中心として、前後に1~2時間のブレが出るのだ。

また体調も、特別な理由がなくても、いい時もあれば、わるい時もある。

こうして自分の体調に敏感になれるのも、自由業の特権だろうと思うのである。

 

そういうわけで、昨日は昼に起き、それからブログを更新したから、ラーメン屋へ行ったのは夜だった。

新福菜館三条店

本当なら、ビールは昼から飲みたいのだが、自分が前日遅かったのが悪いのだから、仕方がない。

さらに本当は、毎日昼から飲みたいのだが、ぼくは酒がそれほど強くないために、飲むとそのあと仕事ができなくなってしまう。

中島らもや高田渡などのように、朝から酒を飲みつづけ、50代で死ぬのが理想なのだが、それはどうも、果たせぬ夢のようである。

 

ラーメンは、昨日もうまかった。

新福菜館三条店

このラーメンがうまいのは、もうほとんど「地球は丸い」などというのと同じように、「客観的な事実だ」と言ってもいいのではないかという気すらする。

食べなくても「うまい」と分かっているのなら、もう食べなくても良さそうなものであるが、そういうわけには行かないことは言うまでもないのである。

昨日もこれを食べ、死ぬかと思うほど満足し、家に帰って1時間ほど「夜寝」した。

 

夜寝から覚めたら、もう晩酌の時間である。

遅く起きると一日があっという間だ。

軽いつまみで、さらに酒を飲むことにした。

軽いつまみで晩酌

つまみは冷奴とじゃこおろし、それにすぐきにした。

 

前日遅くまで飲んでいたから、昨日もなかなか眠くならず、結局1時過ぎまでダラダラ飲んだ。

飲みながら、ぼくは

「50をすぎると『死』は身近なものになる」

と、改めて思ったのである。

 

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さて「死」なのだが、若い人と「死」の話をすると、だいたい嫌そうな顔をする。

若いうちは、「自分が死ぬ」というのを想像することもできないだろう。

以前話した30代の男性は、
「自分が死ぬのは、天変地異か不慮の事故以外に思いつかない」
と言っていた。

もちろんぼくも、30代の頃はおなじであった。

 

でもこれが40代も半ばをすぎると、話は違ってくるのである。

話をすれば、だいたい一度は「死に方」の話題が出る。

またこれが、盛り上がるのだ。

さらに50をすぎると、今度は「病気」の話題で盛り上がることになる。

 

ぼくは自分のことをいえば、もう「いつ死んでもいい」のである。

それが「明日」であったとしても、何の不都合も感じない。

やりたいことがないではないが、それは「生きているから仕方ない」という話であり、もう生きなくていいのなら、無理にしなくてもかまわない。

とにかくあとは不義理をなくし、「きれいに死ぬ」のが人生最後の目標だ。

 

目安としては、「65歳」と思っている。

これも何歳でもいいのだが、「60歳」というと「早すぎる」と言われるから、65歳にしているだけである。

きついタバコを毎日スパスパ吸っているから、どのみち肺がんになるのではないか。

がん検診の無料券が来たのだが、もちろんのことそれは捨て、健康診断も、これまでいつも「問題なし」の結果だし、どうせこれからも問題ないだろうから、もう受けないことにした。

 

だいたいぼくに言わせれば、がん検診など「必要がない」のである。

ぼくは「本能主義」で、
「生きていくために必要なことは、本能が感じ取るようになっている」
と信じている。

だからもし初期がんが、自覚症状がないのなら、それは「分かる必要がない」のである。

自覚症状が出てきたときには手遅れになっていたのなら、それは神様がお迎えに来てくれたというわけだから、ありがたく従うまでなのだ。

 

しかしそういうことをお医者に言うと、だいたいいつも、
「そう都合よく行きますかね」
とニヤッとされる。

「そういうことを言っている人に限って、長生きするものなんですよ」
と言うお医者もいる。

自分が80まで生きるなど、全くゾッとするのであるが、もしそれが「定め」であるなら仕方がない。

しかしできれば、少し早めにお役御免にしてもらいたいと、神様にはお願いしたいところなのである。

 

「生きてるうちは頑張らないとね。」

チェブラーシカのチェブ夫

そうなんだよな。

 

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自分の「本能」を信じることが大事なのである。

アホにはアホなりの生き方があるのである。

50を過ぎたら早く死んだほうがいいのである。

ぼくは酒を飲むために生きているのである。

ぼくの幸せは、これなのである。
 

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