「谷」に飛びこむ勇気が必要なときもあるのである。(鶏と根菜のすまし汁)

2014/04/25

 
きのうは温かいものが食べたかったから、「鶏と根菜のすまし汁」を作った。

鶏と根菜のすまし汁

これを肴に酒を飲みながら、「谷に飛びこむ勇気が必要なときもある」と、ぼくはあらためて思ったのである。


 
冬将軍が「ここ一番」とばかりに暴れまわる季節となり、温かいものが食べたくなるわけである。

鍋やおでんは温まるには定番のメニューとなるが、根菜のたっぷりと入った汁も、この時期食べたくなるものの一つだろう。

となるとまずは筆頭に上がるのは、京都なら豚の粕汁、一般には豚汁になると思うが、冷蔵庫に入っているのは鶏肉だった。

そこでこの鶏肉で、根菜のたっぷり入ったすまし汁を作ることにしたのである。

 

「根菜のたっぷり入ったすまし汁」といえば、「けんちん汁」が有名だ。

ぼくもそれに、今日になってから気付き、
「自分が作ったものはけんちん汁だったのか」
とネットで調べてみた。

するとけんちん汁には肉をいれず、根菜はゴマ油で炒めるのが定番のようだった。

ならば、
「鶏のけんちん汁」
とでも呼ぼうかとも思ったが、いやなに、ぼくは別にけんちん汁を作ったつもりではなかったのだし、料理の名前などどうだっていいのである。

 

すまし汁の味付けをしただしで材料を煮るだけの話だから、別にむずかしいことはないのだが、すまし汁にするならば味が濁ってしまわないよう、下ごしらえを丁寧めにしておくのがポイントといえばポイントだ。

ナイロンたわしで洗ったゴボウと皮をむいたレンコンは、乱切りにして10分くらい水にさらす。

コンニャクはスプーンで千切り、水でサッと下ゆでする。

里芋は皮をむいて1センチ厚さほどに切り、大根と、きのうはなかったから入れなかったがニンジンは、皮をつけたまま乱切りする。

 

鶏肉はひと口大に切り、熱湯で湯通しする。

油あげは熱湯をかけて油ぬきし、食べやすい大きさに切る。

だしは自分で取れば、化学調味料を使うより、はるかにうまい。

鶏と根菜のすまし汁 作り方

4杯分で、水4カップ半にだし昆布とかつお節のミニパック4袋をいれ、アクをとりながら弱火で5分ほど煮出してザルで濾す。

 

あとはだしに酒とうすくち醤油を大さじ4、みりん大さじ1で味をつけ、材料を全ていれる。

鶏と根菜のすまし汁 作り方

弱火でコトコト、野菜がやわらかくなるまで、20分くらい煮れば出来あがりという話である。

 

青ネギをたっぷりかけ、一味をふる。

鶏と根菜のすまし汁

素朴な味で、しみじみとうまいのである。

 

あとは水菜のおひたし。

水菜のおひたし

ざく切りにした水菜をサッと塩ゆでし、水に取ってよくしぼり、ちりめんじゃこと混ぜて味つけポン酢をかける。

 

冷奴。

冷奴

わさび醤油。

 

すぐき漬け。

すぐき漬け

すぐきは肝臓にもいいそうだ。

 

酒はぬる燗。

酒はぬる燗

きのうはこれを飲みながら、

「人生には『谷』に飛びこむ勇気が必要なときもある」

と、あらためて思ったのである。

 

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というわけで「人生」なのだが、「人生山あれば谷あり」とはよく言ったもので、ぼくも人生は、「いいときもあれば、悪いときもある」というものだと思う。

これは周期的に繰り返すもののようで、ぼくは毎年冬場になると、ちょっとした試練に見舞われることになり、さらに10年ごとくらいで、けっこうな苦境が訪れることとなっている。

誰でも苦しみたくはないわけだが、これは「避けられない」ものであるとぼくは見ている。

自分が新たな地平に立つための、「産みの苦しみ」なのだろうと思うのだ。

 

この苦しさについては、ある程度の年をかさねた人なら誰でも知っていると思うから、あらためて繰り返すまでもないのだが、ひとことで言ってしまえば、
「先が見えない苦しさ」
だろう。

進んでも進んでも、希望の光が見えてこない。

ひどいときには、やること成すこと、全て裏目に出ることもある。

でもその苦しい時期は、いつか終わるものであり、気づいてみれば自分の前には、それまでには思いもよらなかったような道が開けているわけである。

 

さて苦しい時期に差しかかったとき、「やってはいけない」とぼくが思っていることは、
「苦しさから安易に逃れようとする」
ことだ。

これは全く不思議なもので、苦しさが極まってくるとかならず、
「こうすればラクになるのに・・・」
苦しさから逃れるための「名案」が、頭に閃くことになる。

これはおそらく、自己防衛のために「脳」がひねり出すものなのだろう。

しかし実のところ、これは「悪魔のささやき」のようなもので、それに素直に従ってしまうと、奈落の底へ転げ落ちることになるのである。

 

苦しいときは、脳が生み出す「理性」ではなく、「感性」に従うことが大切だとぼくは思う。

感性がささやく「声」は、
「自分はどうしたいのか」
を考えようとしたときに聞こえてくる。

理性は希望を照らしださず、「苦しさから逃れる」ことを提案するわけだから、感性に従おうとすると、真っ暗闇のなか、さらに一歩を踏み出さないといけないことになってくる。

まさに「谷」に飛びこむ勇気が、必要となってくるわけである。

 

でも感性とは、「動物」でもある人間の「本能」の働きではないだろうか。

歴史的には理性より、本能がはるかに先に生まれているわけだから、理性が答えを見出していない時点でも、本能は進むべき方向を察知しているということは、十分あり得るはずだと思うのである。

 

だからあと必要なのは、自分の本能を「信じる」ことだと思うのだ。

そうすれば、道はおのずと拓けると、ぼくは心底思うのである。

 

「おっさんみたいに本能の言うことばかりを聞くのもどうかと思うよ。」

チェブラーシカのチェブ夫

ほんとだな。

 

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すべては「想いを実現」するための「過程」なのである。
 

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