食べるのは「愛」の一つの形なのである。(金目鯛あら煮付け)

2014/04/25

 
きのうは魚屋で金目鯛のあらが出ていたから素早く買い、ゴボウといっしょに煮付けにした。

金目鯛の煮付け

これを食べながら、「食べる」ことは「愛」の一つの形だと、あらためて思ったのである。


 
お店で金目鯛のあらをもし見つけたら、素早く手に取るのがおすすめだ。

金目鯛

次の瞬間には誰かに取られてしまうかも知れないからである。

養殖され、漁獲量が安定している鯛やブリは、あらも年間を通していつでも手に入るけれど、天然魚である金目鯛やタラなどは、水揚げされる時が限られている。

金目鯛は漁獲量のバラツキが特に大きいそうだから、一度チャンスを逃してしまうと次は半年後になってしまかもしれないのだ。

 

金目鯛は臭みが少なく、肉質もプリプリしていて、煮付けにすると最高にうまい。

そして一緒に合わせるのは、やはり「ゴボウ」という話になる。

ゴボウの苦味は、魚のクセをうまいこと抜いてくれる。

さらにそうめんを合わせ、煮汁を吸わせるようにすれば、「黄金のトリオ」が完成するわけである。

 

金目鯛は、水で丁寧に洗えばよく、湯通しなどは必要ない。

金目鯛の煮付け 作り方

鍋にだし昆布を敷き、3ミリぐらいの厚さに切って水に晒したゴボウをならべ、その上に洗った金目鯛をおく。

水は2カップ。

それに酒とみりんを大さじ3、砂糖大さじ2をいれて強火にかける。

 

煮立ってきたら強めの中火くらいにし、出てくるアクを丁寧にとる。

金目鯛の煮付け 作り方

アクをとるのに2~3分はかかることになるわけで、そのあいだに甘みがしみることになるから、ここで醤油を大さじ3いれる。

 

落としブタをし、沸騰してから10分煮る。

金目鯛の煮付け 作り方

10分たったら火を止めて、そのまま煮汁にひたしておいて味をしみさせる。

 

食べる前に温めなおし、皿に金目とゴボウを盛り、煮汁をかける。

金目鯛の煮付け 作り方

煮汁は少し残しておいて、2~3倍くらいに水でうすめ、それでそうめんを乾麺のままかために煮る。

 

あらは骨ごと口にいれ、チューチューとしゃぶるのがいいのである。

金目鯛の煮付け

そうめんは初めから食べてもいいし、しばらく置いて、皿の煮汁をさらにたっぷり吸ってから食べてもまたうまい。

 

煮汁がしっかりしみたゴボウがまたたまらない。

金目鯛の煮付け

煮付けを食べるたびいつも、

「日本人は何というすばらしい料理を考え出してくれたのだろう」

と、ぼくは先人に深く感謝するのである。

 

きのうはあとは、豚の煮汁のぬく奴。

豚の煮汁のぬく奴

豚肉の煮物ののこり汁で豆腐を煮、青ねぎと一味をかける。

 

レンコンの甘酢漬け。

レンコンの甘酢漬け

レンコンは皮をむいてうすく切り、水に30分ほど晒したあと、酢大さじ1、砂糖小さじ1、塩少々の割合の甘酢に30分ほど、輪切り唐辛子といっしょに漬ける。

 

冷蔵庫に入っていた野菜クズとだし殻のじゃこ炒め。

野菜クズとだし殻のじゃこ炒め

粉山椒をかけるのもいい。

 

すぐき漬け。

すぐき漬け

三条会商店街の豆腐屋の隣で売っている。

 

酒はきのうも日本酒ぬる燗。

日本酒ぬる燗

これを飲みながら、

「食べることは『愛』の一つの形だ」

と、あらためて思ったのである。

 

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さて「愛」なのだが、動物どうしが食べたり食べられたりすることは、一般に「弱肉強食」といわれて、「戦い」の一つの形であると考えられている。

強いものが弱いものを食べることで、「生存競争に生き残る」というわけだ。

でもぼくは、そういう見方はどうも嫌いなのである。

ぼくは動物界をそのように見るのは、人間が、自分たちが争うことを正当化しようとしているのではないかと睨んでいる。

 

「食べたり食べられたりすること」は、種が異なる動物どうしが取りむすぶ基本的な関係だ。

それが「戦い」であるというのは、あまりに殺伐としているだろう。

ぼくはそれがそうでないのを「証明したい」わけである。

戦いではなく、「食べることは『愛』の形だ」と言いたいのだ。

 

それが証拠に、ぼくは金目鯛が「かわいい」のである。

イワシなどは、目がクリとしていて、もっとかわいいと思うし、サバなどはしゅっとしていて、「カッコいい」と思う。

ぼくは魚が、かわいかったりカッコよかったりして「好き」だから、「食べたい」と思うのだ。

決してイワシやサバが「憎いから」ではないのである。

 

これは動物だって同じだろう。

自分の餌は、「好きだ」と思っているはずだ。

「好きだから食べる」のは、まさに「愛」の一つの形だ。

決して「戦い」などではないのである。

 

ただしこの「好きだから食べる」は、「相思相愛」ではないのである。

ライオンは鹿を好きでも、鹿の方では、べつにライオンが好きではない。

 

だから鹿は、嫌いなライオンから逃げるから、それで何となく「戦い」のように見えてしまうのではないだろうか。

でも鹿だって、自分の好きなものは食べるのだから、全体として辻褄は合っているのである。

 

「おっさんはぼくのことを食べたいの?」

チェブラーシカのチェブ夫

それはまた別の話だよ。

 

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