すべては「想いを実現」するための「過程」なのである。(酒房京子)

2014/03/03

 
元旦は朝から酒を飲んだあと、初詣へ行き、夜は酒場で友だちと飲んだ。

元旦の夜は酒場で飲んだ

飲みながら話をし、「すべては想いを実現するための過程なのだ」と改めて思ったのである。


 
元旦はこの一年で唯一、ブログの更新を前日に終わらせ、朝から酒を飲んだから、

「おそらくこのまま潰れてしまうだろう・・・」

ぼくは飲みながら、そう思ったのである。

夜は東京から来ていた友だちと飲む約束があったから、「そのまま昼寝でもして、また飲みに出かけるか」と思っていた。

でもそのうちに、このまま飲んで寝て、また飲むだけで一日を終わらせてしまうのは、「あまりにもったいない」と思えてきたのだ。

そこで、せめて初詣くらいには、行くことにしたのである。

 

「定番の一つだろう」と、わりと家から行きやすい八坂神社へ行ったのだが、すごい人である。

八坂神社

 

中に入っても・・・、

八坂神社

 

お賽銭をあげるときにも・・・、

八坂神社

行列になっている。

何も好き好んでこんな人混みのなかに来なくても良さそうなものではあるが、初詣はこの人混みも、風情の一つだとも言えるのだから仕方がない。

人混みも、東京にくらべれば、京都はかわいいものだろう。

 

初詣といえば「おみくじ」が付きものだが、ぼくはおみくじは引かないことに決めている。

人間が作ったおみくじごときに、自分の大事な人生を「いい」とか「わるい」とか言われたくないのである。

 

その代わり、八坂神社の先にある円山公園で、凍てつく池をながめ・・・、

円山公園

 

坂本龍馬と中岡慎太郎の堂々とした姿を拝み・・・、

円山公園

帰ってきたというわけだ。

帰ってから1時間ほど、気持ちのよい昼寝もした。

 

さて目が覚めたらもう夜である。

酒房京子

友だちと待ち合わせ、出かけた先は「酒房京子」。

ぼくがよく行っている飲み屋は元旦はあらかた休んでいたが、酒房京子は「開ける」と聞いていたのだ。

お客さんは他にもいたから、元旦も飲み屋の需要は少なくないのだろう。

 

酒房京子ではおせちを出してくれた。

酒房京子

家で食べたのとほぼ同じだが、人の味つけはやはり勉強になるのである。

お雑煮も食べた。

お雑煮

昆布だしに、かつお節をあとから振るもののようだ。

 

友だちとは、それから酒房京子に長居をしながら、最近起こった出来事をおたがいに話をした。

話をしながら、

「すべては想いを実現するための過程なのだ」

と、改めて思ったのである。

 

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というわけで「想い」なのだが、何と友だちはぼくと同様、彼女に最近、いきなり連絡を絶たれる形で別れることになったそうだ。

「同類相憐れむ」こととなり、恋愛話に花が咲いた。

「まだ吹っ切れていないんだよ・・・」

友だちは言う。

「何とかヨリを戻したいという気があるんだよな・・・」

辛そうな顔である。

 

彼女とは、2年ほどのあいだ付き合っていたのだそうだ。

「彼女は本当は、ぼくでないとダメなんじゃないかと思うんだ・・・」

最後に友だちが彼女にいれた連絡は、

「またやり直したいと思ったら連絡してくれ」

なのだそうだ。

「いきなり連絡を絶たれたから、何が悪かったのかもよく分からないし・・・」

それはぼくも同じである。

「あと3ヶ月くらいは待ってみようかと思っている」とのことなのだ。

 

それに対して、ぼくの答えは一つである。

「そんな風にいつまでも女にしがみつかずに、次へ行けよ・・・」

これはぼくが四条大宮の飲み友達から、何度となく言われたことだ。

付き合っていた彼氏にいきなり連絡を絶つような女は、ロクなものではないのである。

そんな女にしがみついても、人生にプラスは一つもない・・・。

 

これはぼくの実感でもある。

ぼくも何度思ったか知れない。

「彼女にもう一度連絡してみようか・・・」
「彼女は後悔しているのではないだろうか・・・」

でも今は、「連絡しなくてよかった」と思っている。

連絡し、仮にヨリが戻ったとしても、そうなったらぼくにとっては「面倒な荷物を背負い込むだけ」のことになったのではないかと思うのだ。

 

ぼくは人生とは、「想いを実現する」ためにあるものではないかと思う。

想いが実現することは、植えられた草木の種が芽吹いて育つのとおなじように、「たしかなこと」である気がするのである。

想いが実現したときに、人生を振り返ってみれば、すべては「実現に向けた過程」となる。

その時はつらいことでも、「それがあったからこそ今がある」と思えるようになるわけだ。

 

そうして想いを実現しようとするときに、一番さまたげとなるものは、「不義理」や「恐怖」、そして「執着」ではないだろうか。

そのようなものが自分の中にあるときは、人生を前向きに考えられなくなってしまう。

それらを捨て去ることは、もちろんそう簡単ではない。

でもそこから自由になれさえすれば、「実現」は「保証されている」とすら言えるのではないかと思うのだ。

 

ぼくは元旦の夜、酒房京子で、そんな話を友だちにした。

友だちは浮かない顔をしていたが、もちろんあとは自分の人生なのだから、好きにすればいいのである。

 

「友だちは説教されて迷惑がっていたんじゃないの?」

チェブラーシカのチェブ夫

そうなのか。

 

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