金は「何とかなる」と決めるのが大事なのである。(蒸し鶏キャベツ)

2014/04/25

 
ツイッターで長野の人から「キャベツは蒸すとうまい」と聞き、昨日は「蒸し鶏キャベツ」を作った。

蒸し鶏キャベツ

これを肴に酒を飲みながら、「金は『何とかなる』と決めるのが大事なのだ」と改めて思い至ったのである。


 
野菜はおもに八百屋で買っているのだが、ぼくがよく行く八百屋は農家との直通ルートを持っていて、安いし新鮮だしだから、その直送品を買うことが多くなる。

今だったら大根やらカブやら、ほうれん草やら水菜やらが、直送品でいいのがある。

反面、直送品以外の野菜には、あまり手が伸びなくなる傾向がぼくの場合はこれまであり、それで最近、もやしやらレタスやらも買ってみて、使い方をあれこれ研究したりしているのだ。

ところが手が伸びなかったものの中でも特に「キャベツ」は、どうやって使ったらいいものやら、これまでイマイチよく分からなかったのである。

 

キャベツはまずは「せん切り」するのが王道だと思うけれども、ぼくはこのせん切りキャベツに合うような、味の濃いフライなどをほとんど食べることがないから、それだと使えないことになる。

ゆでたり煮たりする手もあるが、それは「白菜の方がうまい」というのがぼくの意見だ。

「炒める」手もあるけれど、青菜などと比べてそれほど優れているとも思えない。

「キャベツならでは」の使い方が今一つ見えなくて、これまでぼくは、キャベツに「敬して近寄らなかった」わけである。

 

ところが先日、ツイッターでこの話をしてみたら、心から「なるほど」と思える使い方を聞いたのだ。

「蒸したらおいしい」

と言うのである。

これは長野の人の意見で、長野はキャベツの名産地として知られている。

「広島のお好み焼きも『蒸す』わけですよね」

とさらに言うのを聞いたとき、ぼくは、

「まさにその通り」

とバシンと膝を打ったのだ。

 

広島に2年ほどいたとき、ぼくもお好み焼きはよく食べた。

広島のお好み焼きは、長野の人の言うとおり、豚肉の上に大量のキャベツをこんもりと盛り上げ、上に生地のフタをして、10分以上の時間をかけ、焼くのではなく「蒸す」のである。

蒸されて甘みが増したキャベツの味が、「広島のお好み焼きの味」だと言ってもいいくらいだろう。

そのため広島のお好み焼き屋の店主は、キャベツの仕入れに気をつかい、それぞれにこだわりを持っているのだ。

 

そういうわけで昨日は、この「キャベツの蒸し物」をすることにしたのだが、相棒は、冷凍してあった鶏肉を使うことにした。

長野の人は、「豚肉や桜えびやきのこなんかと・・・」と言っていたが、鶏肉でも悪い道理はないのである。

キャベツをどのくらいの大きさに切るかは、少しの時間考えた。

お好み焼きは、キャベツを細く切るわけだが、昨日はその方がうまみを感じやすいのではないかと考え、大きめにざく切りしてみることにした。

 

蒸し物は、蒸し器がなくても深めのフライパンがあればできる。

蒸し鶏キャベツ 作り方

フライパンに2カップほどの水をいれ、中に深めの皿をおく。

この皿には、まずは3センチ角ほどのざく切りにしたキャベツ4分の1個分、その上にやはり3センチ角くらいにぶつ切りにした鶏もも肉1枚を入れておく。

鶏もも肉は、切る前に、表と裏にそれぞれ塩小さじ4分の1ほどをすり込んでおくようにする。

 

フライパンのフタをして火にかけて、沸騰したら弱めの中火くらいにする。

蒸し時間は「15分」である。

 

蒸し上がったら、青ねぎとポン酢しょうゆをかけて食べる。

蒸し鶏キャベツ

 
 

甘みが増したやわらかなキャベツに、鶏のうま味がたっぷりとしみたのは、「たまらない」のである。

蒸し鶏キャベツ

 
 

昨日あと食べたのは、一昨日の豚肉と野菜の吸物。

豚肉と野菜の吸物

 

一昨日の廃材をつかい、野菜の皮とだし殻のじゃこ炒め。

野菜の皮とだし殻のじゃこ炒め

皮やだし殻は細く刻んで、ゴマ油とちりめんじゃこでじっくり炒めて、醤油で味つけする。

 

それに梅かつおの冷奴。

梅かつおの冷奴

豆腐の上に、梅肉とかつお節を包丁でよく叩いたものをのせる。

 

酒はぬる燗。

酒はぬる燗

昨日はこれを飲みながら、

「金は『何とかなる』と決めるのが大事だ」

と、改めて思い至ったのである。

 

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さて「金」についてなのだが、会社に勤めるのではなく、「志」を持って生きようとする場合、その志を途中であきらめることに繋がりやすい、大きな理由が3つある。

そのうち2つ、「運」と「才能」については、「最大」にしておくのがいいというのは以前に書いた。

努力してもなかなか結果が出ないとき、

「自分には運がないんじゃないか・・・」
「自分には才能がないんじゃないか・・・」

とは、考えてしまいがちなことである。

でも運はいつ開けるか、才能はいつ開花するかわからないものであり、「運がない」「才能がない」は、「錯覚の一種」ということだ。

 

それともう一つ、志をあきらめる理由になりやすいのが、「金」である。

志は、金に直結しないことが多いから、志に時間をつかうと、どうしても、金には苦労することになる。

しかしこれも、「何とかなる」ものなのである。

「金は何とかなる」と決めることで、道が拓けるとぼくは思う。

 

実際の話、ぼくもこれまで金は何とかなってきている。

贅沢はできないし、貯金もないが、何とか毎日、うまい酒を飲むことはできているのだ。

葬式に行く金がなく、「絶体絶命」と思ったこともあったが、そういう時でも、「ポコッ」と金が入ってきたこともある。

もちろん金策には苦労するが、志すことを続けるためなら、それも苦にはならないのである。

 

ところが今回、「最大のピンチ」と思えるような事態が訪れた。

いつも前借りをさせてもらっている広告会社の社長から、今回は前借りを断られたのである。

理由はぼくが11月から12月にかけ、ブログにあまりに時間を使いすぎたことで、前回の前借り分をまだちっとも消化できていなかったから、これは当然といえば当然すぎる話なのだ。

 

しかしぼくは、「また前借りをさせてもらえる」と甘く見ていたものだから、予定が狂ったことに呆然とし、すかさず今度は友人に、借金を申し込んだ。

「これは大丈夫だろう」と思っていたら、その借金も、断られた。

「お先まっ暗」とは、まさにこの事なのである。

 

そうなると、沸き上がってくるのは「恐怖心」だ。

恐怖心に駆られると、

「やはりぼくには、これを続けることは無理なんじゃないか・・・」

つい考えてしまうことになる。

しかし恐怖心に駆られた思考は、「理性的な判断ではない」のである。

理性的な判断に基づかないで行動しても、ロクなことにならないのは決まった話だ。

 

そこで今回、ぼくは改めて、

「金はなんとかなる。」

と思い定め、ジタバタしないことにした。

その途端、入金の可能性があることを思い出したり、支払いを遅らせられるものがあることに気づいたりして、先の見通しがつき始めているのである。

 

「金は何とかなる」のである。

一見、何の根拠もないようにも見えるこのことが、「最も理性的な考え方」だとぼくは思う。

 

「でも何とかならなかったらどうするのさ?」

チェブラーシカのチェブ夫

まあそうなんだけどな。

 

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