苦しいときは開き直るのが大切なのである。(小松菜入りの親子炒め)

2014/04/25

 
昨日は「小松菜入りの親子炒め」を作った。

小松菜入りの親子炒め

これを肴に酒を飲みながら、「苦しいときは開き直るのが大切だ」と改めて思ったのである。

 

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このあいだ「運と才能は最強に決めるのがいい」と書いたら、そのコメントに、

「色々あきらめようと思いかけていたけれど、これを見て、自分を信じてもう少し頑張ってみようと思いました」

という趣旨の発言を書き込んでくれた人がいた。

ぼくはこれを嬉しく思い、そういう人は他にも少なくないだろうから、ぜひ少しでも応援になるようなことを書いてみたいと思うのである。

 

何かの「志」がある場合、そこに向かって必死にがんばっているつもりでも、「結果が伴ってこない」ことがあると思う。

生活はしていかなければいけないわけだから、時間だけが徒にたち、それに見合う結果が出てこないのは、本当に「苦しい」ことである。

多くの場合、ここで悪魔がささやくのだ。

「お前は運も才能もないから、このままこれを続けていても結果を出すことはできないよ・・・」

「それはもっともだ」と思ってしまい、志をあきらめてしまう人は少なくないはずだと思う。

 

この「運や才能がない」ということについては、「全く根拠がない」ことは、このあいだ書いたとおりである。

さらにむしろ、悪魔が登場する時は、「結果が出はじめる直前」であることが多いのではないかと思うのだ。

それはぼくが、毎日ブログを更新する経験によっている。

ぼくはブログを更新するのに、毎回「プチ」な苦しみを味わっているのだが、先日はついに悪魔が登場した。

 

ブログを更新するのには、ぼくの場合は「材料」として、今は自分が作った料理のことと、それから飲み屋の話題がある。

ただし材料だけではブログは書けず、それを使って「何を伝えたいのか」がないといけないことになる。

前日の料理や飲み屋の話題そのものに強く「伝えたいこと」がある場合には、更新はわりとスムースに行くことになる。

でも多くの場合、「伝えたいことは」はっきりせず、それを考えるのに時間がかかることになるのだ。

 

初めに「一文」で書けるくらいの内容が思い浮かぶことはあるのだが、その「一文」は、ただそれだけ書いても誰にも何も伝わらない。

だからそこから出発し、あれこれと連想を膨らませることになる。

しばらくは、一つ浮かんで、それがきっかけとなって次が浮かんでと、考えが広がっていくことになる。

それはそれで、精神は集中させ続けないといけないから疲れるは疲れるのだが、楽しくないことはない。

 

ところがそのうち、何も浮かばなくなってくるのである。

と言って、それまでの考えだけでは「今ひとつ」な感じがして、「これを書きたい」と思えるようにもなっていない。

そこからの時間が辛いのだ。

時間ばかりが過ぎていき、何一つ前に進まないから「焦り」を感じるようになる。

 

先日は、ぼくのブログ更新史上最長の、「考えはじめてから3時間」がたってしまい、さすがに焦りはピークに達した。

ぼくも仕事はしないといけないし、のんびりと考えてばかりはいられないのだ。

「悪魔」が登場したのは、この時である。

「昨日は飲みに出なかったから、ネタがないんだよ・・・」

前日、いつもなら飲みに出たところを家飲みしたぼくは、「たしかにそうかも知れない」と思い、寸前のところで、「もう料理の小ネタをサクッと書こう」と考えそうになった。

 

しかしこの日は、「最後のワンピース」が、ぼくが開き直って、
「ええい、いくら時間がかかってもいい」
と思った途端に出てきたのである。

最後のワンピースが出たきっかは、
「そもそもぼくは何が伝えたかったのか」
を思い返してみることで、要は考えているうちについ忘れてしまっていた、初めに思い浮かんでいた「一文」を改めて据えることにより、全体がスッキリと流れるようになったのだ。

 

以上のことは、ぼくの小さな、個人的な経験だから、これを誰にでも当てはまる、一般的なこととは言えないのはもちろんである。

ただ間違いなく言えるのは、

「何かを生み出そうと思ったら、生み出されるのを待たなければいけない」

ということだと思う。

 

うまく行かなくなってくると、頭は「うまく行かない理由」をあれこれ考えようとする。

それは「運」であったり、「才能」であったりもすると思う。

でも「うまく行かない理由などない」のだ。

一見結果が見えないようでも、ぼくの体内では、必死で何かを生み出そうと猛烈な作業が行われていて、「あきらめようか」と思った時には、それは完成間近だったのである。

 

草木でも動物でも、それが生まれるためには決まった「時間」が必要だ。

人間が何かを生み出そうとする場合でも、おなじように時間が必要なのだと思う。

だから問題は、まだ結果が見えてこないあいだの時間を「待てるかどうか」にかかってくるのではないだろうか。

待ちさえすれば、その「何か」は必ず生まれてくると、ぼくは強く思うのである。

 

というわけで、昨日は「小松菜入りの親子炒め」を作った。

小松菜入りの親子炒め

親子炒めは簡単にできるのだが、ほっこりとした味になり、大変うまいのである。

 

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さて「親子炒め」なのだけれど、一般に、炒めものを卵で閉じるのはうまい。

卵によって「味がまろやかになる」ことはあるけれど、それだけでなく、「炒めものの油を卵がうまく吸ってくれる」からである。

卵の黄身とサラダ油で作る「マヨネーズ」で分かるように、卵は油を吸収すると「ふんわり」とすることになる。

だから炒めものに卵を入れると、卵の方もおいしくなり、残り油が有効活用されるのだ。

 

さらに卵を鶏肉と合わせれば、相性がいいのは言うまでもない。

小松菜入りの親子炒め 作り方

昨日は溶き卵は2個分、ぶつ切りにした鶏もも肉は250グラム。

小松菜1把はざく切りにし、塩少々を振り込んだ水で固めにサッとゆでておく。

合わせ調味料は、オイスターソースが大さじ1、酒と砂糖、しょうゆ、おろしショウガが小さじ1。

 

まずフライパンにゴマ油少々を引いて中火にかけ、鶏肉を皮目から焼く。

小松菜入りの親子炒め 作り方

皮に軽く焼き色がついたら、ひっくり返して反対側も焼く。

 

小松菜を入れ、サッとひと混ぜしたら、合わせ調味料を入れる。

小松菜入りの親子炒め 作り方

少し炒めて、鶏肉と小松菜に味をからめる。

 

味がからまったところで溶き卵を入れる。

小松菜入りの親子炒め 作り方

あまり細かく混ぜたりせずに、ゆっくりと火が通るのを待ち、上下を返すようにしながら炒めていく。

味見して、塩が足りないようなら塩をふり、卵に好きな加減で火が通ったら、火を止める。

 

好みで七味をふって食べる。

小松菜入りの親子炒め

 
 

小松菜もまた卵によく合うのである。

小松菜入りの親子炒め

 
 

昨日はあとは、豚粕汁の残り。

豚粕汁の残り

 

一味と味つけポン酢の冷奴。

一味と味つけポン酢の冷奴

 

大根の皮のじゃこ炒めの残り。

大根の皮のじゃこ炒めの残り

 

すぐき。

すぐき

 

酒はぬる燗。

酒はぬる燗

炒めものでもニンニクを入れなければ、日本酒は合うのである。

 

「開き直るのも度胸がいるね。」

チェブラーシカのチェブ夫

「クソ度胸」の出番なんだよな。

 

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-012 鶏肉