運と才能は「最強」と決めるのがいいのである。(カブの吸物)

2014/04/25

 
昨日は2日目のブリ大根を肴に酒を飲んだ。

2日目のブリ大根

飲みながら、「運と才能は『最強』と決めるのがいい」と改めておもったのである。


 
先日キム君が、

「自分のこれからの人生をどう考えているの?」

というぼくの問いかけに対し、

「自分が生きた証を残したいと思うんですよ」

と答えたのを聞いて、

「実に男の子らしい」

とおもったのである。

男は「生きた証」を求めたがる生き物だとおもう。

 

女性にとっては多くの場合、「生きた証」を得るための方法として、強力な選択肢がある。

それは「子供」だ。

自分の子供はだいたいは、自分が死んでからも生き続けるわけだし、「生きた証」と呼ぶにふさわしい。

男性の場合は、もちろん子供の生産に協力はするにしても、自分で産むことはできないわけで、女性でも、「子供は産まない」と決めた人や、何らかの事情で子供が産めない人にとっては男性と同様に、子供とは別の、何らかの「生きた証」を求めることになるのだろう。

 

「生きた証をどうやったら残せるのか」について、一般的な方法はもちろん存在しないとおもうけれども、ぼくはぼく自身のことについては思う所はある。

ぼくには「その答えが見つかったら明日死んでもいい」と思える問いがあり、それをあと10年くらいのあいだで何とか見つけてみたいものだと漠然と思っているからだ。

ぼくはそれを、見つけられるのではないかという「気」がしている。

「途中であきらめさえしなければ、見たいとおもうものは見られる」と思うのである。

 

何故ぼくがそう思うのかといえば、毎日、自分がそれなりに納得がいくブログを更新できているからだ。

ブログも人生も、似たようなものではないかと安易に思っているのである。

 

ブログを更新するに当たり、「何を書くか」を考えることには、かなりの時間を割いている。

昨日も少し書いたけれど、いつも2時間くらいをかけていて、今日のこのブログについては3時間以上がかかっている。

初めは昨日作った料理や、あった出来事などを思い出すところから考えはじめ、そのうちあれこれ取り留めもなく、思いが浮かぶにまかせて考えつづける。

そうすると、途中で考えるのを辞めさえしなければ、最終的には、自分が「これを書きたい」と思える、納得のいく構想が出来あがるのである。

 

その過程は、わりとすんなり行く場合もないではないが、多くはかなりの紆余曲折がある。

8割方「できた」と思っても、「今一つな感じ」を拭い去るのにとんでもない時間がかかることもある。

最後のワンピースがはまることで、それまでの考えが全て再構築されることもあるし、考え方の方向を全く変えてみることで、全体がうまく流れるようになることもある。

何度も経験しながらも、自分でも「こうしたらいい」という方法論はないのだけれど、「考えつづければ見つかる」ことだけは、間違いがないのである。

 

だからぼくは勝手に、人生も同じだろうと思っている。

考える時間は苦しくても、それを途中であきらめなければ、自分なりの結論には至れるのではないかと思うのだ。

 

ところでぼくは、何かを途中であきらめないために、「とても重要だ」と思うことがある。

それをするかしないかで、最後まで続けられるか、それとも途中であきらめてしまうかが大きく変わるとおもうのだ。

それが、

「自分の運と才能を『最強』と決める」

ことである。

ぼくはこのことだけは、誰にでも言えることだと思っているから、「生きた証を残したい」と思っている人には是非ともおすすめしたいのだ。

 

志を途中であきらめる大きな理由となるのが、

「自分には運がない」
「自分には才能がない」

と自分で思ってしまうことだ。

そこでこれらにどの程度の真実味があるのかを、ここで検証してみたい。

まず「運」は、99回失敗しても、最後の1回で大逆転して成功することがある。

つまり今現在運が悪いように見えても、それは単に、「成功に向けてのプロセス」なのかもしれないのだ。

 

また「才能」についても同様で、才能は、ある日「開花」することがある。

今一見自分に才能がないように見えても、それは単に、「まだつぼみの状態」なのかもしれないのだ。

以上のように、「運がない」「才能がない」と自分で思うことについては、「全く根拠がない」のである。

根拠のないことに基づいて行動してはいけないことは、言うまでもない話なのだ。

 

自分の運と才能を「最強」と決めておけば、それらを思い煩うこともなくなる。

そうすれば、志半ばであきらめてしまう危険も減ることになるのである。

 

というわけで、昨日は2日目のブリ大根を食べたのだ。

2日目のブリ大根

ブリ大根は、2日目がうまいのである。

 

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さてブリ大根だが、煮物は2日目がうまいのである。

だから煮物を作ったら、その日に食べ切ってしまわずに、翌日の分を残しておくのがおすすめだ。

 

昨日の2日目のブリ大根・・・。

2日目のブリ大根

2日目のブリ大根

味はしみまくっている。

さらに今回、煮汁がたっぷり残っている。

それをどうやって再利用するかは、現在検討中なのである。

 

あとは昨日は、カブの吸物。

カブの吸物

カブは味噌汁もいいけれど、吸物がまたホッコリしてたまらないのだ。

厚く皮をむき、タテ6等分にしたカブと、熱湯をかけて油抜きし、細めに切った油揚げを、2カップのだしに酒大さじ1、うすくち醤油大さじ1強、塩少々をいれた汁で煮て、最後にカブの茎の小口切りをサッと煮る。

ゆずの皮を浮かべるのが最高だが、一味を少しふるのもいい。

 

ちくわとキュウリの酢の物。

ちくわとキュウリの酢の物

ちくわは酢の物の材料としてとてもいいから、冷凍して常備するといいのである。

ちくわはうすく切り、キュウリはうすく切って一つまみの塩で揉み、5分ほどおいて水で洗って水気をよく拭きとる。

酢大さじ1、砂糖小さじ1、塩ほんの少々で和える。

 

カブの皮と葉、だし殻昆布とかつお節のじゃこ炒め。

カブの皮と葉、だし殻昆布とかつお節のじゃこ炒め

ゴマ油とちりめんじゃこでじっくり炒め、酒としょうゆで味つけしたら、汁気がなくなるまでさらに炒めて一味をふる。

 

酒はぬる燗。

酒はぬる燗

ブリ大根に燗酒は、「たまらない」のひと言である。

 

「ぼくも生きた証を残したいな。」

チェブラーシカのチェブ夫

大丈夫、このブログがお前の生きた証だよ。

 

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