「食事は家でする」ことが日本の未来を拓くとおもうのである。(鶏めし)

2014/04/25

昨日の晩めしは鶏めしにした。

鶏めし

これを肴に酒を飲みながら、「食事はきちんと家でする」ことが、日本の未来を拓くことになると改めておもったのである。


 
これまでとくべつ「やりたいこと」が見当たらなかったぼくなのだが、今回めでたく秘密保護法案が成立することとなり、ようやくそれが見つかった。

「秘密保護法で逮捕される」ことである。

せっかく作った法律だから、政治家も早く使ってみたいだろうし、ぼくもどのように使われるのかを早く知りたい。

「安部首相の悪口をいえば逮捕されるのか」「カミソリくらいは送らないといけないのか」などなど、あれこれ頭を捻りはじめているのである。

 

とまあ、軽口はこのくらいにしておいて、政治家があのような法律を強行採決までして作りたがるのは、「国民を黙らせたい」からである。

国民は政治家にたいして問題点を指摘したり、批判したりする。

中には口汚く罵る者もいるだろう。

「それは失礼だ」というわけだとおもう。

 

問題など、本当はサッと解決してやればいいのである。

問題は、「問題」として認識された時点で、必ず解決できることが保証されている。全ての問題は、解決のための処方箋を書くことができるからである。

十分な権限さえあれば、その処方箋通りにやれば、問題は苦もなく解決されることになる。

そうすれば、関係者からよろこばれ、解決した人の株は大きく上がるのだ。

 

それをせずに、逆に問題を指摘する側を黙らせることをするのは、一つには「能力が足りない」ことは可能性として考えられる。

しかし問題を解決する能力など大したものは必要なく、よっぽどバカでない限り誰でもできるようなものだ。

それよりむしろ、「信念」が大きいのではないかという気がぼくはする。

「問題など指摘するから日本はダメになったのだ」と真剣に考えているのではないかとおもうのだ。

 

日本は美しい国である。

お互いの気持を気遣いながら、事を荒立てないようにして暮らしてきた。

それが戦後、アメリカなどの影響で、何でも率直にモノを言うようになってきた。

そのことが今、日本が没落している原因だ・・・、と思っているのではないかとおもうのである。

 

ぼくはそれは、全くわからないこともない。

たしかに西洋流の「合理主義」が、日本に害悪を及ぼしているところもあるとおもう。

 

合理主義は、「経済」などについては大きな威力を発揮する。

戦後日本が経済大国になったのは、合理主義のおかげだということは誰でも同意するだろう。

ただ合理主義では、どうしても解決できない問題もある。

たとえば「幸せ」だ。

 

「幸せとは何か」について、合理的に分析するとする。

そうすると合理主義は、「幸せになるための条件」を、これまで幸せになっている人を参考に挙げ連ねていくことになる。

たとえばそれは昔なら、「高学歴」「いい会社」「家」「車」・・・、などなどのことだった。

「それらを全て手に入れれば幸せになれる」というのが、合理主義の答えである。

 

しかしそれが「本当の幸せ」ではないことは、もう誰にもわかり切ったことである。

本当の幸せは、たとえば「食」についてなら、「時間をかけて思い浮かべたメニューをていねいに作る」ところにあるし、「恋愛」についてなら、「お互いの気持を時間をかけて配慮しあっていく」ところにある。

だから「これまであまりに合理主義的、物質的側面にばかり目が向きすぎていたから、これからはもっと日本的、精神的な側面に目を向けていきたい」という気持ちは、わからなくはない。

でもそれを、「仕事」に持ち込まれるのは困るのである。

 

政権の中枢は、「日本を美しい、幸せが感じられる国にするには、まず自分たちが美しく、幸せにならなければいけない」と思っているのではないかとぼくは見る。

それで首相官邸を美しく、幸せにするために、「見苦しい雑音を排除する」ことにしたのではないかとおもうのだ。

しかし「仕事」は、あくまで合理的に考えるべきものである。

政治家が、問題解決のために国民から権力を与えられているのは、言うまでもない話である。

 

幸せは、あくまで「生活」のなかで見出していくものである。

ぼくは今の日本の最大の問題は、「仕事と生活を混同してしまう」ところにあるとおもっている。

 

西洋の場合、それらはハッキリと切り分けられている。

「仕事は科学にのっとって合理的に、そして生活は、宗教にしたがい幸せに」となっているのである。

日本はこのうち前者だけを輸入して、それを後者にまで当てはめてしまった。

これが現代日本のまちがいの根源だとぼくはおもう。

 

といってぼくは、「キリスト教を輸入しろ」と言っているわけではない。

「仕事とは別の価値観で生活を見なおせ」と言っているのである。

そのために有効だとおもえる一つの方法は、生活の中心である「食」を見なおすことである。

「家できちんと手をかけたものを食べる」ことは、そういう意味で、「日本の未来を拓く」ことになると、ぼくは真剣におもうのである。

 

というわけで、「鶏めし」である。

鶏めし

ぶつ切りの鶏肉をのっけて炊くこの鶏めし、非常にうまいのだ。

材料は、鶏肉のほかにはゴボウと油揚げだから、それだけ見ると普通の炊き込みご飯と何も変わらない。

でもゴロゴロの大きな肉があるというのが、見た目的にも、食べ応え的にも、細切れの肉があるのと全く違うことになるのである。

 

味つけは、「削りぶしのだし」を使うのがもちろん王道なのだけれど、王道すぎるのもやや面白みに欠ける。

そこで鶏肉のうまみを活かすため、昆布だしだけを使い、塩味をベースに行くことにした。

しょうゆをあまり使うと、削りぶしのだしがなくては肉とはうまく合わなくなる。

削りぶしを使わないなら、しょうゆはあくまで隠し味程度にしておくことが、ポイントなのである。

 

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さて鶏めしを作るのだが、これは大変簡単な話である。

鶏めし 作り方

材料を鍋にいれ、炊くだけだ。

 

まず鍋にだし昆布の切れっ端を敷き、研いでザルに15~30分上げておいた米1カップをいれる。

つづいて親指の先くらいのショウガの細切り、ささがきにして水にさらしたゴボウ2分の1本、細く刻んだ油揚げ2分の1枚をいれる。

表と裏にそれぞれ塩一つまみ(小さじ2分の1)ずつをすり込んだ鶏もも肉1枚(250グラム)をぶつ切りにしてのせ、水1カップ、酒大さじ1、しょうゆとみりん小さじ1、塩小さじ2分の1をいれる。

それだけいれたら、フタをして中火にかける。

 

鍋から勢いよく湯気が出てくるようになったら、弱火に落とし、10分炊く。

土鍋なら火を止めて10分蒸らし、金属の鍋なら火を弱火よりさらに小さくして5分蒸らして、さらに火を止めて5分蒸らす。

 

青ねぎと、好みで一味をふって食べる。

鶏めし

 
 

鶏のうまみがまっすぐに感じられるのがいいのである。

鶏めし

 
 

あとは、カブの赤だし。

カブの赤だし

だしに赤だし味噌を溶かし、厚く皮をむいたカブをやわらかくなるまで煮て、最後に小口切りにしたカブの茎をいれ、サッと煮る。

 

みょうがの冷奴。

みょうがの冷奴

タテに細く刻んだみょうがと、一味、味つけポン酢をかける。

 

カブの皮と葉、だし殻のキンピラ。

カブの皮とだし殻のキンピラ

ゴマ油と輪切り唐辛子で炒め、酒とみりん、砂糖とうすくち醤油で味つけし、汁気がなくなるまでさらに炒める。

 

スグキとちくわ。

スグキとちくわ

わさび醤油。

 

昨日はツイッターを相手に酒を飲んだ。

朝改めてツイッターを確認すると、あまりな妄言の数々で、呆然とするのである。

 

「カミソリなんて送らないでよ。」

チェブラーシカのチェブ夫

うん、わかってるよ。

 

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