スタミナには「豚とニラ」なのである。(豚玉ニラ炒め)

2014/04/25

昨日は「豚玉ニラ炒め」を食べた。

昨日の晩酌 豚玉ニラ炒め

スタミナをつけるには、圧倒的に「豚とニラ」なのである。

 

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「会社など辞めたほうがいい」とは簡単に言えないのは確かであり、ぼくもブログの読者が、
「高野さんの真似をして会社を辞めましたが生活できません」
と言ってきても責任は持てないから、積極的に勧めるつもりがないのはもちろんだ。

でも会社を辞めても、生活は「意外に何とかなる」ものなのである。

 

会社を辞め、退職金でブラブラしている頃、
「自分がやりたいことは何だろう」
とあれこれ考えた。

それまで会社勤めをしていた時は、やりたい事が色々あったような気がしていたけれど、それらは全て、「仕事」をするために、半ば無理やり「やりたい」と思い込んでいたのであり、そんなものは結局のところ、「大してやりたくない」ことに、まず気がついた。

そして「本当にやりたい事」は、「うまい酒を飲むこと」に尽きると思い至ったわけである。

そこでぼくは「朝寝朝酒朝湯が大好き」な、小原庄助さんを目指すことに決めたのだ。

 

といってもつぶす「身上」があった小原庄助さんとは違い、ぼくは金を稼がなければ酒を飲めない。

小林秀雄にかぶれているぼくは、職業として「執筆業」を選ぶことにしたが、これが意外に生活できるものなのである。

初めの頃は原稿料も安かったけれども、自炊中心で生活をまわしていたので、お金がかからない。

「唯一の贅沢は、週に一度のラーメンとバー」というような生活をしていたが、自炊の食事はそれなりの満足が得られるから、それで不足も感じなかったわけなのだ。

 

でもそのうちにだんだん、もう少し生活を広げたくなってくる。

四条大宮のバーをあれこれ開拓してみたくなったり、そこで常連になったバーで彼女ができたりするわけである。

ところが「お金」は、それについてくるのである。

 

ぼくは基本的に「お金はすべて使い尽くすタイプ」で、「お金に余裕があるからこれをしよう」などとは一切考えないのだが、生活のうえで「やりたい事」が出てくると、うまいタイミングで原稿料を高くくれるクライアントさんが見つかったり、さらに本が出版されることになり、多少の印税が入ったりして、やりたい事ができるようになってきている。

これは全く不思議なことで、お金を使いすぎて数日極貧生活をしないといけないことはあるが、深刻な資金ショートにも陥ったことはない。

ぼくはこれは、「神様」が付いているのではないかとおもうのだ。

 

ぼくは特定の宗派や宗教団体は信じておらず、興味も持っていないのだが、「神様」は信じるほうである。

昔から、「これは神様が助けてくれた」とおもうことが何度もあったのだが、最近の例では、友人の葬式の時のことだ。

 

絶対外せない葬式だったにもかかわらず、交通費や香典代のためのお金がない。

人に借りようと思ったのだが、連絡の行き違いなどもあり、うまく借りられなかった。

絶体絶命とおもった瞬間、絶妙のタイミングで予期せぬ入金があったのだ。

ぼくはそのお金を引き出しながら、
「やはりぼくには神様が付いている」
と、改めておもったのである。

 

そんなわけで、ぼくは「やり残した」とおもう事があるわけでもなく、「長生きしたい」とは全くおもわない。

明日死んでも、とくべつ悔いはないとおもう。

ただこのところ、「果たさなければならない責任」があるとは感じるようになっている。

「果たさなければならないのなら、果たして死にたい」とはおもうのだ。

 

もちろん責任には、まず一つは「身内」のことがある。

親や子供にたいする責任は、果たさなければならないのは言うまでもないことである。

ただぼくは、それ以外にも、「日本国民としての責任」があるように、漠然と感じはじめている。

 

今の日本の不甲斐ない状況を見るにつけ、
「この状況をつくった責任の一端は自分にもある」
とおもうのである。

20代だったバブルの時代、ぼくも浮かれて好き放題をやっていた。

そのツケを、若い世代にただまわしてしまっては、いけないとおもうのだ。

 

だからその責任を、「果たしてから死にたい」とはおもうのだが、それは「神様」が決めることだ。

神様が、「ぼくが責任を果たすべきだ」とおもうなら、ぼくを生かしておくだろうし、もし「そんなの余計なお世話だ」とおもえば、ぼくの寿命は尽きるだろう。

「もうお役御免だ」となった時には、
「それじゃお先失礼します、後はヨロシク」
と、ぼくは明るく立ち去りたいとおもうのだ。

 

だからぼくは、長生きしたいとはおもわないけれど、「死ぬまでは元気でいたい」とはおもう。

それであれこれ「健康」には気をつかう。

「豚とニラ」も、そういうぼくの健康法の一つでもあるというわけだ。

 

豚とニラの「疲労回復効果」は、本当にすごいのである。

昨日も豚玉ニラ炒めを食べたら、今朝は体がポカポカして、脚の疲れも取りきれてしまっている。

これはニラにふくまれる「アリシン」という栄養素のおかげだそうだ。

これが豚肉にふくまれるビタミンB1と結合することにより、糖の代謝が活性化されるとのことである。

 

アリシンがふくまれる代表的な食品は「ニンニク」なのだが、ちなみにぼくは、日本人が「風呂」と「酒」が好きなのは、「ニンニクを食べないから」ではないかと踏んでいる。

風呂も酒も、「体を温める」ことと「疲労を回復する」ことが大きな効果だとおもうけれども、これはどちらも、まさにニンニクの効果である。

だからニンニクを常用する、日本人以外のほとんどの人たちは、ニンニクを食べれば、風呂など入らなくても十分なのではないだろうか。

日本人はニンニクを食べないかわりに、風呂と酒が必要なのだとぼくはおもうのだ。

 

というわけで、今日も延々と前置きが長かったが、「豚玉ニラ炒め」である。

豚玉ニラ炒め

豚肉と玉子、ニラの相性が最高なのは、知れた話だ。

味つけは、オリーブオイルとオイスターソース。

オリーブオイルとオイスターソースの組み合わせは意外にも思うとおもうが、これが「バター醤油」的な味になり、大変うまいのである。

 

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さて豚玉ニラ炒めをつくるのだが、気を付けることは特にない。

簡単で、誰でも失敗なくできると思う。

 

まずはオリーブオイル少々をいれたフライパンを中火にかけ、豚肉コマ肉200グラムを炒める。

豚玉ニラ炒めの作り方1

中華料理ではないのだから、火加減は中火でいいのである。

 

豚肉の色が変わったら、合わせ調味料をいれる。

豚玉ニラ炒めの作り方2

合わせ調味料は、酒とオイスターソース大さじ1、砂糖としょうゆ、おろしショウガを小さじ1。

 

少し炒め、肉に味をしみ込ませたら、ざく切りにしたニラ1把をいれる。

豚玉ニラ炒めの作り方3

ニラはすぐに火が通るから、「炒め過ぎない」のがコツといえばコツとなる。

 

ニラがしんなりしてきたら、溶き卵2個をまわしかける。

豚玉ニラ炒めの作り方4

あまり細かくかき混ぜず、「焼く」という感じで上下を返しながら火を通す。

 

七味をかけて食べる。

豚玉ニラ炒め

 
 

オイスターソースが、また豚肉と合うのである。

豚玉ニラ炒め

 
 

あとは玉ねぎと油揚げの赤だし。

玉ねぎと油揚げの赤だし

だしに赤だし味噌を溶き入れて、細くきざんだ玉ねぎと油揚げをサッと煮て、青ねぎと一味をふる。

 

白めし。

白めし

やはり炒めものには、白めしがほしいところだ。

 

厚揚げの焼いたの。

厚揚げの焼いたの

おろしショウガと青ねぎ、味つけポン酢。

 

カブのサバ酢漬け。

カブのサバ酢漬け

おとといのものだが、2日漬けたら、カブの葉もおいしくなっていた。

 

ぼくが健康に気を使うのは、「自由業」だからということもある。

自由業は健康を害してしまうと、途端に収入がなくなるのである。

 

「ぼくもいるんだから頑張ってよ。」

チェブラーシカのチェブ夫

そうだよな、チェブ夫を路頭に迷わすわけにはいかないな。

 

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カキの疲労回復効果もハンパないのである。

体のためには、食べたいものを、食べたい時に、食べたいだけ食べるのがいい、というわけで、昨日は豚玉ネギ炒め丼をガッツリと食べたのである。

元カノのことが吹っ切れたら、豚ニラ炒めが食べたくなったのである。

ニラは魚介類にもよく合うのである。

40になったらニラを食え

-011 豚肉