鍋は「小宇宙」なのである。(タラちり鍋)

2014/04/25

昨日は魚屋でタラのあらが出ていたから、それを買ってちり鍋にした。

タラちり鍋

制約が限りなく小さい「鍋」は、まさに「小宇宙」ともいえるものなのである。


 
だんだんと寒くなってくると、鍋が食べたくなってくる。

「鍋に熱燗」は冬場のたまらない取合せだ。

鍋はあんな簡単な食べ物なのに、ほかの料理にはないうまさがある。

あれはやはり、「煮え立てを食べるうまさ」なのだろう。

 

ただひとり暮らしの人のなかには、「ひとりの鍋は寂しい」と思っている人もいるかもしれない。

しかしぼくは、「それは大きな誤解である」と言いたいのである。

鍋がひとりの人にとって、「手軽な食事」であることは言をまたない。

さらに鍋は、「ひとりだからこそ」、本当にたのしめるものだとおもうのだ。

 

「ひとりの鍋は寂しい」とおもう理由は、鍋に「家族団らん」のイメージがあるからだろう。

しかしこのイメージは、戦後の高度経済成長期にできたものではないのかと、ぼくは睨んでいる。

だいたい戦前は、移動式の火力といえば「火鉢」なのだから、それをお膳のうえに乗せられるはずがない。

それに昔は、家長は家族とは別の場所で、別のものを食べることも多かったわけだから、それが家族でおなじ鍋に、それぞれが自分の箸をつっ込んで食べるなど、考えられなかったのではないだろうか。

 

鍋が「家族団らん」を象徴するようになったのは、おそらく戦後になり、家長もおなじテーブルにすわり、ガスコンロが普及するようになってからなのである。

そんなステレオタイプの幸せ像に、今はもう、ふり回される時代ではない。

池波正太郎によれば、むしろ昔は、鍋は一人や二人で食べるのが普通だったのだそうだ。

長火鉢にかけた鍋を好きな女とつつくのは、「しゃれたこと」とされたのだと池波は書いている

 

実際の話、鍋の魅力は、「自由」であることだ。

「鍋」を使いさえすればいいのだから、これほど制約のすくない料理はない。

材料の選び方にしても、味つけの仕方や食べ方も、いかようにも、自分が好きなようにできる。

無限に自由な空間に、自分の「小宇宙」を体現できるのが、鍋の醍醐味なのである。

 

その醍醐味を思う存分味わうには、ひとりでやるのが一番なのは知れたことだ。

複数で鍋をかこめば、鍋奉行だけは自由だが、他の人は、それに従わなければならない不自由を味わうことになるだろう。

 

さて「鍋はどんな材料を使ってもいい」と書いたが、筆頭を一つあげるとすれば、「タラ」なのである。

魚屋でも、
「タラはどうやって食べたらいいですかね?」
と聞くと、まず、
「鍋とか・・・」
という答えになる。

これはもちろん、タラがまさにこれから、鍋のおいしい季節に旬になることも大きな理由だ。

しかしそれだけではなく、タラの「味」が、「鍋に合う」のだ。

 

鯛が身の食べごたえはやわらかで、だしも申し分ない「黄金」の味だとすると、タラは身の食べごたえはモッソリしていて、だしもそれほどいいのが出ない。

なのだけれども、タラの身上は、「どんな材料ともうまいこと合わせられる」ことなのだ。

 

鯛はそれだけですでに完璧な味だから、下手なものと合わせると良さが死んでしまうことになる。

だから鍋に入れるとしたばあい、相棒は「豆腐だけ」とかいうのが一番うまい。

しかし鍋の魅力は、「色んな材料をいれる」ことも一つとなる。

そういう時、どんな材料ともうまく合わせられるタラこそが、「いぶし銀」のような名脇役になるのである。

 

タラを鍋に入れようとおもったら、「あら」を使うのが最高だ。

味が濃く、煮込んでもパサつくことがない。

ただ三枚におろされて流通することが多いタラは、スーパーなどではあらが出ることはめったにない。

出てもその瞬間に誰かに買われてしまうから、もしお店でタラのあらを見つけたら、その幸運をよろこび、即座に手にとるようにするのがおすすめだ。

 

ぼくがよく行く三条会商店街の魚屋「ダイシン食料品店」でも、先日行ったら、タラのあらは昼前に売り切れていた。

タラのあら

昨日は幸い、午後遅めの時間にまだ残っていたから、無事買えたというわけである。

 

タラの鍋なら、「ちり鍋」だ。

昆布だしで煮て味つけポン酢で食べるもので、「タラちり鍋」は、「ブリ大根」や「肉じゃが」と同様、不動の定番となっている。

入れる野菜は何でもいい。

何でもいいが、これをよく考えるのが、鍋の「たのしみ」なのである。

 

鍋にいれる野菜として、白菜やらシメジやら春菊やら、「定番」とされるものがいくつもある。

それらを漫然と選んでいたのでは、鍋はおもしろくも何ともない。

選ぶためには、何らかの「基準」が必要となってくる。

この基準を自分なりにどう持つかを考えることが、鍋をたのしむコツではないかとぼくはおもう。

 

鍋には無限の自由があるが、だからこそ逆にいくらでもつまらないものになる危険もある。

自由を謳歌するには、「自分なりの規律」が必要なのである。

 

ぼくは昨日、野菜として豆腐と白菜、下仁田ねぎとしめじ、それにニンジンを選んだ。

タラちり鍋の材料

参考までに、その理由を詳しく書いてみることにする。

 

まずは「煮汁にたいする貢献」が、第一の評価基準だ。

これは「味を出すもの」と、「味を吸込むもの」があり、両方をバランスよくいれるのが、鍋の味をととのえるのに重要だ。

 

味を出すものとして、まずは「下仁田ねぎ」を選んだ。

これで同種の材料である「玉ねぎ」は消えることになる。

次に「しめじ」を選んだ。

これでやはり、「えのき」と「しいたけ」も消えることと相成った。

 

また味を吸込む材料として、まずは「白菜」を選んだ。

そのため「大根」は入れないことと決まり、次に「豆腐」を選んだので、「油揚げ」は入れるのを見送った。

さらに鍋は、「見た目」も大切だ。

そこで「青み」として、下仁田ねぎの青い部分を使うことにしたから、春菊は入れないことになり、「紅一点」として、ニンジンを入れることにしたわけである。

 

もちろんこれは、「ぼくの基準」という話となる。

基準はそれぞれ、自分なりに作ればいいのは当たり前の話だろう。

 

さてあとは、必要なものを食卓へ持ちだし、鍋をはじめることとなる。

タラちり鍋

鍋をやる際にもぼくなりのこだわりがあれこれあるから、それを紹介したいとおもう。

 

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というわけで、ちり鍋だが、まず一番大事なのは、「煮え立てを食べられるようにする」ことだ。

鍋の身上は「煮え立てのうまさ」なのだから、煮すぎたり、逆に冷めてしまったりしないよう、配慮するのが必要なのである。

そのため鍋をおいしく食べるためには、材料を一度にいれず、一回に食べられる分ずつを何度かに分けていれることが最大のコツとなる。

昨日ぼくは、3回に分けていれることにした。

 

そうなると途中に休憩時間もほしいから、箸休めを用意しておくことにする。

芋の千切り卵の黄身のせワサビ醤油かけ

昨日は長芋の千切り卵の黄身のせワサビ醤油かけ。

それからわかめの酢の物。

わかめの酢の物

塩もみして洗ったきゅうりと戻したわかめ、みょうがとちりめんじゃこを、酢1:みりん1.5:うすくち醤油0.5くらいの三杯酢であえ、ゴマをふる。

 

鍋は、だし昆布を敷いて水を張り、酒をたっぷりいれる。

タラちり鍋の作り方

「たっぷり」とは、本当にたっぷりでいいのであり、酒だけで水をいれないのが一番うまいことになる。

ただもちろん、そういうわけにもいかないから、「適度に」たっぷりいれてお茶をにごすのである。

これを中火にかけ、沸いてきたら、水でよく洗ったタラのあらを、アクをとりながら10分ほど煮る。

 

ぼくはここで、火は一貫して弱めが好きである。

火が強いと、追い立てられるような感じがしてせわしなくなるからだ。

また鍋にはフタはしないことにしている。

材料が煮えるところを見ながら飲むのが好きなのだ。

 

タラに火がとおったら、白菜のくきやニンジン、豆腐、ねぎの青いところなど、野菜を煮えにくいものから入れていき、次に白菜の葉とねぎの白いところ、しめじを入れる。

タラちり鍋

野菜が煮えたら、火を止める。

 

野菜は「煮すぎ」より、「煮たりない」くらいのほうが、ぼくは好きである。

だから火をつけっぱなしにせず止めて、冷めないうちに一気に食べる。

それに火をつけっぱなしにしておくと、「早く食べろ」と急き立てられている感じもしてくる。

鍋はゆっくりと楽しめるのがいいところだ。

 

器によそい、味つけポン酢と一味をかける。

タラちり鍋

これはたまらない味である。

タラのあらは、特に眼と口のまわりの「ドロッ」としたところがうまい。

食べ方は、骨ごと口に放りいれてしゃぶり、骨だけ口から出すようにする。

 

一回分を食べ終わったら、箸休めをつまみながらしばらく休む。

タラちり鍋

鍋は、食べているあいだは、あまり飲む暇がないわけだ。

 

これを3回くり返したら、最後は「シメ」という話になる。

ただぼくは、いつも酒でお腹が一杯になるから、シメは翌日の昼に食べる。

煮汁に塩でうす味をつけ、ご飯を煮て卵でとじ、青ねぎと味付けポン酢をかけた雑炊など、うまそうだなという気がする。

ぼくはこれから、塩とうすくち醤油で味をつけ、にゅうめんにするつもりである。

 

ということで、長々と書いてきたわけなのだが、以上のことは、あくまで「ぼくの小宇宙」だ。

クドいようだが、鍋は「自由」なのだから、それぞれが「自分の小宇宙」を作ってもらえばいいのである。

 

「おっさん、ぼくもいるのを忘れないでよ。」

チェブラーシカのチェブ夫

そうだよな、ひとり鍋じゃなかったな。

 

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