『 #鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』(李信恵)を読んでますます在日の人たちが好きになったのである

2016/01/03

きのうは酒も食事も口にせず、『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』(李信恵)を読んだ。

#鶴橋安寧

これを読んで、ぼくはますます、在日コリアンの人たちが好きになったのである。

 

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きのうは朝から、どうも胃のあたりが痛かった。

それほどでもなかったから、昼酒はふつうにしたが、夜になり、痛みはだんだん強まってくる。

「のみすぎってことだよな、、、」

そのくらいの分別は、ぼくにもある。何しろ毎日のみすぎているのだから、胃もたまには休みたいとおもうだろう。

「今夜は、酒も食事も、腹にいれないことにしよう」

そう決めた。

 

決めてはみたが、夜、酒をのまないと、何をしていいのかわからない。

もう何十年も、酒をのまずに夜をすごしたことがない。

 

と、そのとき、注文し、数日前にとどいた本があるのを思いだした。

 

 
『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』(李信恵=リ・シネ 著)。

 

「今夜は、これを読むことにしよう」

そう決めた。

食事をつくり、それをダラダラと食べる4時間ほどを、まるまる読書にあてられることになる。

 

◆   ◆   ◆

 

著者の李信恵さんは、職業は、ライター。

長年「25ans」「婦人画報」「JJ」「CREA」などの女性誌に、ファッションやグルメについての記事を書き、現在は、ネットのニュースサイト「サーチナ」で、韓国メディアが発信した記事を、日本語に翻訳・紹介しているそうだ。

在日韓国人で、日本人のご主人と、息子さんが一人。数年前までは、おだやかな暮らしをしていたようだ。

 

その生活が変わったのは、ちょうど仕事をサーチナへうつした、2009年ころからだったとか。

記事のコメント欄に、「外国人は出ていけ」「韓国は生意気だ」「国交断絶を!」などの投稿がならぶようになる。

投稿は日増しにふえ、コメント欄や、フェイスブック、ツイッターの返信欄は、差別発言で埋めつくされるようになっていく。

そしてついに、李さんは、そうした差別扇動者の「登竜門」、「アイドル」、さらには「敵」となり、ネットで、そして街頭で、激しい罵声をあびせかけられるようになったのである。

 

『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』には、その李さんの、差別にかかわる様々な体験が記されている。

 

李さんは、

「ネットにあふれかえるヘイトスピーチは、在日にとっては“猛毒”だとも思う。私は、まず心を殺された。これは当事者にしかわからない感覚かもしれない。すぐに“復活”するけれど、そのダメージは後遺症となって長く残る。日々、切り刻まれていれば、完全に治療することも望めない。薄いかさぶたのように、ちょっとした刺激でまた血が噴き出す。

在日に対する殺害予告は日常茶飯事となり、いつかは実際に殺されかねないと思う時もある。殺されないためには、どうしたらいいのだろう。笑い話ではなく、本心からそう思う。」

と書く。

ヘイトスピーチをあびて、「震えが止まらなかった」「何度も吐いた」など、具体的なようすも記される。

 

李さんは、女性である。

そのため差別者から、

「この朝鮮人のババア」

などと、「在日である」ことと、「女性である」こととの両方の、複合的な差別をうけることになるそうだ。

 

差別問題で一番むずかしいのは、

「多数者(日本人)にとって、差別をうける側の気持ちがなかなか分からない」

ことではないか。

差別をうけた体験がないから、そもそも差別が、それをこうむる側に、どれだけの恐怖や絶望をあたえるのかを、実感としてつかめない。

そのため、ネットや街頭で差別発言を目にしても、差別者を「バカのクソまぬけ」とおもっても、その言葉の先に、深く傷つく「被害者」がいることを、なかなか思い浮かべることができない。

差別が「犯罪」であることを、認識するのがむずかしいのだ。

 

そのことが、いま日本を深く蝕みつつあることは、感じている人も多いだろう。

差別を看過することが、虐殺や、さらには戦争につながっていくことは、第二次世界大戦での日本やドイツの例をみればあきらかだ。

 

差別がじっさいに行っていることを知るためには、被害者が、差別をうけてどんな気持ちになるのかを知ることが、まず最初に必要となる。

被害者である李さん自身が、みずからの体験を語ったこの『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニカル』を読むことで、差別がどんなにひどくて、むごいことかがよく分かるのである。

 

李さんにとって、自分の被害体験を語るのは、つらいことにちがいない。

それをあえて押してまで、このような本にまとめるのは、李さん自身も生まれ育った日本にとって、「それが必要だ」とおもっているからなのだろう。

 

しかしこの本の魅力は、そのような「必要」だけにあるのではない。

最初から最後まで、「明るさ」と「希望」に満ちあふれているところにこそあるとおもえる。

 

象徴的だと思うのは、李さんの、自分に罵詈雑言をあびせかける差別者をみる目が、「あたたかい」こと。

たとえば、差別団体「在特会」の桜井元会長について、次のような描写がある。

「その後、桜井会長による5分間の街宣が行われたが、最初の2分20秒は私への罵詈雑言に終始した。この街宣の取材に来ることは伝えていなかったのだが、途中で私を見つけたのだろう。よくとっさにこれだけのことを機転を利かせて言えるよな、すごいよと思った。なんだか芸人みたいだ。「差別芸」、そんなのあるのか?

(中略)

すべての弁士の演説時間を計ってみたが、桜井会長だけが罵声も含め、こういった内容を5分きっちりで語った。人々の憎悪を煽るのが彼の仕事だ。その実践的舞台である街宣の場に備え、彼は練習に練習を重ね、準備を整えていると聞いたことがある。鏡に自分の姿を映しながら、街宣の練習に励む桜井会長。その姿を想像したら、なんともいえない孤独感が漂っていた。」

加害者を、単に「極悪非道の悪人」、または「愚かなバカもの」とみるのでなく、ひとりの「人間」としてみる視線が、この本をつらぬいている。

上の描写についても、これだけの引用で、べつに桜井元会長を「おとしめよう」「バカにしよう」としているのでなく、李さんが率直に感じたそのままが書かれているのが、伝わるのではないだろうか。

 

読みはじめてしばらくは、これが李さんの「ライター」としての資質、または経験によるものなのかとおもった。

ライターは、やはり物ごとを、客観的にみる必要があるだろう。

 

もちろん、それも多少なりともあるとはおもう。しかし読み進むうちに、それだけではないことがわかってくる。

李さんが、他の多くの在日や日本人の仲間たちと語りあう、多くのシーンが出てくるからだ。

 

李さんが、在特会の襲撃にあった京都朝鮮第一初級学校・母親会の、親しくしている「朴貞任オンニ」(オンニ=お姉さん)に、ある元・差別者と、

「いろいろあったみたいだけど大丈夫?」

と、声をかけられたときのこと。

「友人たちにも慰めてもらいました。『無防備に扉を開けて、誰でも受け入れるから傷ついたんじゃない?』と言われた。アホやからしゃあないです」と私は答えた。

貞任オンニは、「朝鮮学校や私ら在日は、みんなそうや。人を信頼しきって扉を開けぱなしにしていたら、在特会が来た」と言った。そして、「いったんは閉めようかと思ったけどな」と続けた。

「でも、やっぱり私らは、扉を開けとくんですよね」と私が言うと、

「そうやねん」と貞任オンニは笑った。

自分たちを傷つける、犯罪者集団「在特会」や差別者を、決して遮断しきってしまわない。

もちろん李さんも朝鮮学校の人たちも、警察に捜査依頼したり、裁判に訴えたりし、差別者とは徹底的に戦うのである。

しかしその戦う相手を、

「彼は今どんな気持ちで暮らしているのか」

と思いやってしまう気持ちが、

「在日にはある」

と、李さんは書く。

 

◆   ◆   ◆

 

この本のサブタイトル「アンチ・ヘイト・クロニクル」の「クロニクル」とは、「年代記」のこと。

そのタイトルにふさわしく、この本は、長い時の流れを感じさせる構成になっている。

 

まずはじめに、李さん自身が在特会や差別者たちと戦ってきた、この5年ほどの体験。次に、在特会による朝鮮学校襲撃事件の裁判の傍聴をとおし、朝鮮学校の保護者や教職員がどのように戦ってきたかの記録。

さらには、朝鮮半島から渡ってきた、自分の祖父母、そして父母の歴史。

それらを通して、在日である自分や朝鮮学校の人たち、そして祖父母・父母が、差別者や、在日、カウンターの日本人など、様々な人と出会い、格闘し、涙をながしたさまが描かれる。

 

おなじ日本に生まれ育ちながら、日本人とはちがった境遇にあり、ちがった価値観をもつ「在日」の姿が、生き生きと浮かび上がってくるのである。

 

半島の朝鮮人、韓国人とは異なる、歴史に翻弄され、いまだにきちんとした立場を与えられていない在日。

しかし李さんは、

「在日という存在を伝えていくことが、在日として生きること」

と書く。

 

『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』で、李さんがもっとも伝えたかったのは、この

「在日という存在」
「在日というアイデンティティー」

であるように感じるのだ。そしてそれは、たしかに成功していると言えるとおもう。

 

韓国料理も食べにいくし、在日の友だちや知り合いも少なくないぼくだけれど、今回この本を読んではじめて、在日独自の考え方や価値観に触れられたという気がしている。

そして、「扉を開けっぱなしにしておく」在日の人たちが、以前にもまして、好きになった。

 

差別は、ただ法律で規制するだけではなくならないものだろう。

その前提に、少数者のアイデンティティーや文化を、たがいに尊重する精神や風土が必要とされるのではないか。

 

『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』により、日本でそのような世界が実現することに向け、まだまだ遠い道のりであるといはいえ、確実に一歩、前進したとおもえるのである。

 

けっきょくぼくは、きのう、2時には寝ようと思っていたのに、この本を朝の4時までかかって、最後まで読み切ってしまった。

おかげできょうは、ちょっと眠いが、グイグイと引き込まれてしまったのだから、それも仕方ないのである。

 

「たまにはお酒をのまないのもいいんじゃない?」

チェブ夫

そうかもな。

 

 

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