日本について思うところがある人は、デモやカウンターに参加するのがオススメなのである(2014.10.12 大阪カウンター)

2015/06/02

きのうは大阪で行われた「カウンター」に参加した。

大阪カウンター

「日本」について、何か思うところがある人は、デモやカウンターに参加してみるのがオススメなのである。

 

 

このブログは基本は「自炊ブログ」だから、読者も「仕事ばかりするのでなく、生活のことも少しは考えてみたい」と思うような人が多いのではないかと想像する。

生活のことを考えれば、その土俵はまずは「家」、それから「地域」、さらには「国」となるだろう。自ずと「日本」について、思いを馳せることにもなるのではないだろうか。

特にツイッターなどを見ている人は、テレビや新聞では報道されない情報も入ってくるから、考える機会も増えると思う。

 

ところが「家」や「地域」ならまだともかく、「日本」について考えてしまうと、あまりに話がデカすぎて、例えばもし、日本の何かに疑問を感じることがあっても、「どうしたらいいか解らない」と思うことになりがちだ。

日本は政治家や官僚、財界や学者などが中心となって運営しているわけだから、

「自分一人が思ったことなど、取るに足らない小さなことで、国を変えることなどできない」

と考えたくなってくる。

国民の意志を主張する機会として選挙はあるが、たとえば自分が支持できない人が当選した場合などなら、なおさらだろう。

「自分は一票を投じたのだから、あとはどうなったとしても、そちらに入れた人の責任だ」

などとも思うこともあるかもしれない。

 

でももし、そのように思っている人がいたら、デモやカウンターなど、市民運動の現場に足を運んでみることを勧めたい。

市民運動の力はじつは意外に大きく、そこに参加することで、

「自分がたしかに、日本を変える力になっている」

ことを実感することができると思う。

 

デモへ行ってみようと思ったら?

参加しやすいのは、まずは「デモ」だろう。

もしデモの情報を得たいと思ったら、ツイッターでまずは、

TOKYO DEMOCRACY CREW

をフォローしてみるのがいいと思う。

東京を中心とした情報にはなるけれど、わりと広く、市民運動についての様々な話題が入ってくる。

もしここから発信された情報で、さらに興味があるものがあれば、そちらを追加でフォローすれば、より詳しい情報が手に入る。

 

デモはいま、20代や30代の若い世代が中心となったものが、数多く行われるようになっている。

ぼくが20代、30代の頃は、友達で「デモへ行く」など聞いたことがなかったけれど、特に3.11以降、デモは急激に増えているそうだ。

 

デモへ初めて行く場合、別に何も持っていく必要はない。プラカードも必要ない。

手ぶらで行き、ただ遠くから、デモを眺めるだけでもいい。

それだけでも、多くのことを感じられるはずである。

 

デモへ行くとなった場合、

「じつは組織がバックにいて、参加することで組織の勧誘を受けるのではないか?」

と心配する人もいるのではないだろうか。

もちろん今でも、組織によるデモは行われている。

でも最近行われているデモの多くが、組織の力を借りることなく、一般の市民や学生によって作り上げられているものだ。

特に上の、「TOKYO DEMOCRACY CREW」で発信されるデモについては、勧誘などの心配は「まずない」と言っていいと思う。

 

なぜデモが、組織の力を借りずにできるようになっているのかと言えば、やはり「ツイッターの力」なのだろう。

以前はデモの情報などは、組織の中にいない限り得ることができなかったから、デモへの人集めなども組織なしではできなかったのではないだろうか。

ところがいまはツイッターで、情報を広く行き渡らせることができるようになっている。

「ツイッターを見た人が集まる」のが、最近のデモの「特徴」とすら、言えるのではないかと思う。

 

カウンターへ行ってみようと思ったら?

人種差別団体「在特会」による差別アピール(ヘイトスピーチ)に抗議する「カウンター」は、でもよりさらにダイナミックな活動だ。

在特会の、在日コリアンへの「言葉の暴力」を封じ込め、在日コリアンを守ることが目的だから、カウンターの側の言葉もかなり激しく、荒々しいものとなる。

たぶん、このカウンターの荒々しさに、初めは違和感をもつ人もいると思う。

「在特会はもちろん悪いが、カウンターも、似たり寄ったりなのではないか」

と言われることも少なくない。

 

しかしその荒々しさにこそ、カウンターの世界の奥深さがあるのである。

たとえば若い女性が暴漢に襲われていたとしたら、それを助けるには実力行使が必要だろう。

暴漢を女性から、力ずくで引き剥がし、一発くらいぶん殴ってやるかもしれない。

カウンターも同じことだ。

 

在特会の差別アピールは、在日コリアンを「傷付ける」ことを目的としたものだ。

そしてその傷付けることを、在特会のメンバーは、「楽しんで」すらいるのである。

それをやめさせるためには、ただ傍で、「差別ハンターイ」と主張を叫べばすむわけではないだろう。

在特会のメンバーを罵倒することにより、彼らが「差別は楽しくない」と思うようにさせないといけないのである。

 

在特会が行うような言葉の暴力は、本来、法で規制されるべきものだといえる。

暴力をふるえば逮捕され、刑罰を受けることで、「暴力は割に合わない」のを知るのが「法治国家」のあり方だ。

国連からも、「差別アピールを法規制する」よう、日本は勧告を受けていている。

最近ようやく、自民党で法案作成の部会が発足したようだけれども、それは進んでいるのかどうか。。

 

いずれにせよ、現時点で法規制ができない以上、在特会のメンバーに、「暴力は割に合わない」ことを、社会の誰かが知らせなければならないだろう。

それを自ら進んで買って出て、引き受けているのがカウンターなのである。

 

だからカウンターの現場には、日本の問題点や矛盾点が、凝縮して現れているように、ぼくには思える。

その渦中にいることで、「学べることはとても多い」と感じるのだ。

 

さらにカウンターは、「世の中に対するアピール」を主な目的としていないのに、世論を大きく変えてもいる。

1年半前、カウンターが始まった頃は、ぼく同様多くの人が、「在特会」も「ヘイトスピーチ」も、聞いたことがなかっただろう。

でもカウンターの活動により、「そこで何かが起きている」と明らかになることで、急速に注目が集まるようになり、1年半という短い時間で、すでに多くの人が、それらを知るようになっている。

さらに今やマスコミでも、「在特会」「ヘイトスピーチ」は「よくないもの」として、ほぼ認知されるに至っているわけである。

 

カウンターは、大きなエネルギーを秘めた運動であると、ぼくは思う。

その荒々しさに、初め面食らったとしても、まずはここに居合わせてみることは、強くオススメしたいところだ。

 

カウンターの情報は、上の「TOKYO DEMOCRACY CREW」からも発信されるが、直接的には、

C.R.A.C. (Counter-Racist Action Collective)

をフォローするといい。

全国のカウンターに関する情報が、ここから発信されている。

 

初めて参加する場合には、デモと同様、プラカードなどもいらないから、ただカウンターを遠巻きに眺めてみればいいと思う。

またカウンターには組織は一切関係ないから、勧誘の心配などはないことも、デモの場合と同様だ。

 

きのうはぼくも、大阪でのカウンターに参加してきた。

大阪カウンター

3回めの参加である。

これまでの2回は、在特会のメンバーにたいして直接抗議することは、まだ恥ずかしくてできなかった。

そこで現場を通る一般の人たちに、チラシを配ったりしていたのだが、今回とうとう、「抗議をやってみよう」と思い立ち、プラカードを自作した。

 

一つは在特会向けのもの。

大阪カウンター

在特会のメンバーを、できるかぎりクソ味噌にけなすことを目的とした。

それからもう一つは、プラカードの裏面で、一般の通行人に向けたもの。

大阪カウンター

こちらはできるだけ穏やかに、理解を求めることを目的とした。

 

カウンターの活動は、この「在特会に向けた顔」と、「一般の人に向けた顔」の、2つの顔を持っている。

ここにこそ、カウンターのエネルギーの根源があるだろう。

 

きのうはまず、2時から大阪・御堂筋で在特会のデモが行われた。

大阪カウンター

しかし警官の規制により、カウンターは幅広い道の反対側の歩道からしか、抗議することができない。

次に3時半から、千日前で行われた街頭宣伝。

大阪カウンター

こちらもかなり遠巻きからの抗議を余儀なくされる。

 

でも今回で、ぼくは在特会のメンバーに直接プラカードを向けてみたり、「このクソ馬鹿野郎!」と罵声を発したりすることに、恥ずかしさはなくなった。

カウンターに繰り返し参加するうち、「在特会のひどさ」を肌身に感じて知るようになったからだと思っている。

 

そのあと5時半から、在特会は、鶴橋での「お散歩」を計画していた。

大阪カウンター

このお散歩がまた、最低・最悪のひどいもので、商店街を集団で練り歩きながら、在日コリアンを罵倒しまくるというものである。

それを阻止するため、50名ほどのカウンターが集まっていた。

しかし在特会は、どういう理由か、お散歩を中止したので、そのまま飲み会へと流れることになった。

 

鶴橋は、ぼくはまだ今回で2回めだ。

大阪カウンター

小さな商店・飲食店が軒を並べる、迷路のような商店街に目を丸くした。

飲み会の会場は、「アリラン食堂」。

大阪カウンター

店に入ると「オソオセヨ~(いらっしゃいませ)」とハングル語で迎えられる、「ほとんど韓国・朝鮮」のようなところである。

 

まずは乾杯。

大阪カウンター

 

それから少なめの料理が出されて、カウンターの人たちと話が弾む。

大阪カウンター

 

カウンターの人たちとの飲み会は、つくづく楽しい。

「カウンター」という共通の話題がある上に、心根が優しく、配慮が細やかな人が多い。

でもこうして飲み会が楽しくなってきたのも、ここ数ヶ月のことだそうだ。

 

以前はいまと異なり、カウンターも人数が少なくて、さらに警官による規制も厳しく、在特会の罵詈雑言にたいして何も言えずに、悔しい思いをすることも多かったとのことである。

さらに打ち上げなどもなかったから、カウンターへ一人で来て、そのまま一人で、つらい思いを家まで持ち帰る人も少なくなかったとのこと。

そういう人たちが、つらいながらも活動を続けることで、カウンターはいま、ここまで盛り上がってきているということだろう。

 

ビールの後は、韓国焼酎「チャミスル」。

大阪カウンター

ぼくがいつも通り飲み過ぎたのは、言うまでもない話である。

 

「みんないい人達だよね。」

大阪カウンター

そうなんだよな。

 

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