荒木晋太郎くんの絵を衝動買いしたのである。

2014/10/11

はした金が入ったら、体がすべての生産的活動を拒否したため、仕方なく、四条大宮で非・生産的活動に勤しんだ。

荒木晋太郎「雨時々雨」

そのあげく、バー「スピナーズ」で個展を開いていた荒木晋太郎くんの絵を、衝動買いしたのである。

 

 

ライターの仕事は、ネット広告の会社から、コラム記事の作成を請け負っている。

会社は知り合いのツテなどで知ったのではなく、ネットの募集広告を見て応募したところだ。

社長には、電話で話すだけで、まだ会ったこともないのだが、とても良くしてくれていて、十分な量の仕事を継続的に発注してくれる。

おまけにかなりの金額の前借りまでさせてもらっていて、全くありがたい限りなのだ。

 

ところが8月、あまり仕事が捗らなかったのに、金は必要だからと、ぼくは前借り金をさらに増やすよう、社長に頼み込む暴挙に出た。

頼みを聞いてはくれたものの、「こんなことはこれで最後だ」と言われるのは当たり前の話である。それで9月は、あまり飲みにも行かずに仕事をかなり頑張った。

それがようやくきのう、前借り金を返しながら、生活に必要な金もひねり出せるだけの仕事量に何とか達し、入金を得たわけだ。

 

コンビニで一週間分の生活費をおろし、財布に入れると、どうやらぼくの体は安心し、一挙に気がゆるんだようだ。

別に来月も、ラクであるわけではない。きのうは時間もあったし、頭は「まだ仕事をした方がいい」と思うのだけれど、パソコンの前に座っても、体は重く、ダルくなってしまい、全く言うことを聞かなくなった。

 

さらに晩飯の支度まで、全くする気になってくれない。

ここまで体に、生産的活動をボイコットされてしまえば、これは仕方がないだろう。

四条大宮の飲み屋街で、非・生産的活動に勤しむことにしたのである。

 

まずはたこ焼き「壺味」。

たこ焼き「壺味」

 

ボテトサラダと、

たこ焼き「壺味」

 

焼きそばを食べる。

たこ焼き「壺味」

焼きそばは、山ほどの野菜が入ってボリューム満点、どろソースも入ったややピリ辛の味付も、実にうまい。

 

それから立ち飲み「てら」。

立ち飲み「てら」

 

「鶏天おろしポン酢」も、おすすめのメニューである。

立ち飲み「てら」

 
 

ほっこりバー「Kaju」。

立ち飲み「てら」

もう腹は膨れていたから、酒だけ飲む。

 

最後は大宮通を北に上がり、バー&ギャラリー「スピナーズ」へ。

これで最低限顔を出さなければいけない店は、一通り巡回することになる。

 

スピナーズへ行ってみると、荒木晋太郎くんの個展が開かれていた。

荒木晋太郎「雨時々雨」

会期は10月30日までである。

 

マスターが芸術に関心があるからだろう、スピナーズではよくこのようにして、絵や写真の個展が開かれる。

作者はだいたい、スピナーズのお客さん。スピナーズはどういうわけか、お客さんに芸術関係の人が多い。

 

京都では、スピナーズに限らず、おそらく、このようにバーやカフェで個展を催すことは多いだろう。ゆっくりとくつろぎながら作品を見られるのは、作者にとってもお客さんにとってもいいことに違いない。

また京都に限らず、広島にいたときも、やはり若い芸術家が飲食店で個展をするのを見に行ったことがある。

 

音楽関係でも、やはり京都は同様のことが行われている。

多くのライブハウスが、週に一度くらい「飛び入り歓迎」の日を設け、アマチュアミュージシャンはそこで演奏できるようになっている。

 

しかしこれを、東京の若い芸術家に話したら、とても羨ましがっていた。

「東京は家賃が高いから、飲食店がアマチュア・セミプロ芸術家にスペースを割くことなどあり得ない」

と言うのである。

 

それを聞き、「地方都市は文化的に恵まれている」と、ぼくは思った。

情報量は、地方にいればやはり少なくなるだろうが、作品を発表する場を比較的手軽に持てることは、それを補って余りあるものがあるだろう。

 

荒木くんがスピナーズで個展を開くのは、これが何回目かだと思う。

しかし荒木くんは、最近、作風が大きく変わったと聞いていた。

以前は「空想上の動物」を、作品のモチーフにしていたのが、たしかにざっと見てみると、以前とは全くちがう、抽象的なものになっている。

荒木晋太郎「雨時々雨」

それでぼくは時間をかけ、一つ一つをじっくりと見ていくことにした。

 

タイトルは全て「雨時々雨」で、それが#0から#9まである。

荒木くんと、前にスピナーズで話したとき、新しく得た作風について、

「以前は『絵』の世界で完結していたのに対し、いまは自分の目の前の現実を表現できるようになっている」

と言っていた。

してみるとこの抽象的に見える絵は、何らかの「現実」を表現したものなのだろう。

ぼくは荒木くんが、どのような現実を表現したのか、考えながら絵を見ていった。

 

するとそのうち、わかったのだ。

荒木くんがどんな現実を表現し、さらにそれを、どのような気持ちで見ているかが、ハッキリわかった。

 

しかしぼくが、どのようにわかったのかは、ここでは言わない方がいいだろう。

絵は、どのようにであろうと、好きなように見ればよい。誰かが「そうか」と思ったことでも、別の人は、まったくちがった感じ方をすることもあるだろう。

簡単に解説してしまうことは、新たに絵を見る人の楽しみを奪うことだ。

 

ただしこの絵の「技法」についてだけは、明らかにしてもいいだろう。

荒木晋太郎「雨時々雨」

絵に点在する不思議な形は、「靴の端切れ」なのである。

 

荒木くんは、プロを目指して絵の修業をするかたわら、靴屋で修理のアルバイトをしている。

そこで靴職人たちが、革から靴に必要な部分を切った端切れに、心を奪われてきたのだそうだ。

端切れの形は、巧まずして生み出されたものである。

しかし切り取りは、プロの職人技をもってされるわけだから、端切れもそれに見合った、端正な美しさを放つことになる。

 

この端切れを絵の素材として使うことで、絵に独特の効果がもたらされている。

端切れは余った部分だから、本来は、「図」と「地」のどちらかと言えば、「地」に当たるものだろう。

ところが荒木くんは、この端切れに強い思いを込めて絵に散りばめている。

そのことにより、あるときは端切れのところが前面に出てきたり、また見方によって、端切れのまわりが前面に出てきたりと、「だまし絵」のような不思議な見え方がするのである。

 

10点の作品の中で、ぼくが最も心を奪われたのは、「#0」だ。

荒木晋太郎「雨時々雨」

これはトイレに飾ってある。

「#0」だから、このモチーフの中で一番最初に描かれたものだ。

その分、荒木くんが何を伝えたいのかが、最もストレートに出ているように、ぼくには思えた。

 

タイトルは、「雨時々雨」。上から下に降り注ぐように見える、水色のものが雨だろう。

雨は、外にも降っている。自分の中にも降っている。

そこであたかも動物のように見える端切れは、首を高く、凛と上げ、未来を見据えているようにも思えてくる。

 

ぼくは、この絵が欲しくなった。値段を聞くと、「2万円」。

財布には、さっき下ろしたばかりの1万円札が2枚、まだ手を付けられずに入っている・・・。

 

2万円は1週間の生活費なのだから、簡単に使ってしまってはいけないことは、言うまでもない話である。

しかしぼくは、すでにたらふく酒を飲み、酔っ払っていた。

 

「あれ、買うわ。これ代金ね!」

 

ぼくは財布からお金を取り出し、荒木くんに手渡した。

荒木くんがどんなに大喜びをしたかについては、ここに書くまでもないだろう。

 

一週間分の生活費を、数時間のうちに使い果たしてしまったわけだが、これは仕方がないことだ。

絵など衝動買いをしない限り、買うことができないにちがいない。

 

いいものを手に入れられるタイミングは、いつでもあるわけではない。

目の前に来たときに掴まなければ、再びどこかへ行ってしまうものだろう。

 

「またお金が足りなくなっても知らないよ!」

チェブ夫

そうだよな。

 

荒木晋太郎のホームページ

 

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