郡司ペギオ-幸夫『群れは意識をもつ』は死ぬかと思うほどおもしろいのである(5)

2014/08/05

 
郡司ペギオ-幸夫氏の「ダチョウ倶楽部モデル」は、現実の群れに見られる「スケールフリー」を見事に説明する。

郡司ペギオ-幸夫『群れは意識をもつ』は死ぬかと思うほどおもしろいのである(5)

この実証があるからこそ、郡司氏の理論は、巨大な説得力を持つのである。

 

『群れは意識をもつ』がすごいところは、まずは何と言っても、理論が実験の裏付けを、きちんと持っているところなのだ。

「脳」とか、「社会」とかいうテーマの研究で、もちろん、「サルの脳を調べたところ、これこれの行動をするときに、脳のこの場所が反応した」とか、「アンケート調査の結果、現在の社会はこれこれこういう傾向があることがわかった」などという、ぼくに言わせれば、重要ではあるだろうがあまり面白くない研究は、山のようにあるだろうけれど、脳や社会などのように、細胞とか、人間とかがたくさん集まることにより、個々の細胞や人間には見られなかった(と思われる)「意識」とか、「社会」とかいうものが、全体として現れるのはなぜなのかという、ぼくに言わせれば最高に面白い問題を、理論と実験の両面から、ここまで真に迫った研究は、これまであまりなかったのではないかという気がするのである。

 

もちろん著者の郡司ペギオ-幸夫氏も、脳や社会について、直接実験をしたわけではない。脳は細胞の数が多すぎるし、社会は現象が複雑すぎる。

それで郡司氏が着目したのが、動物の「群れ」なのだ。群れは、脳や社会の、より単純なモデルとしてみなすことができるのではないかと、郡司氏は考えた。

 

群れも、ぼくなどを含め普通の人が見たことがあるのは、カラスの群れとか、そんなものだろう。多くても数十羽くらいの鳥が、一緒に空を舞っている光景は、頭に思い浮かべることができる。

ところが鳥の中には、それとは比較にならないくらい膨大な数の個体が、一つの群れをなすことがあるのだそうだ。ムクドリなどがその例だそうで、群れは巨大な、まっ黒いかたまりのように見え、それがまるで意思を持つ、一つの生物であるかのように、全体としてまとまったまま、縦横無尽に移動するのだという。

 

さらに近年、画像解析の技術が進歩し、群れの中の一つ一つの鳥なら鳥が、どこにいて、どのような方向に向け、どのくらいのスピードで飛んでいるのかを明らかにできるようになった。群れの中のすべての鳥のふるまいを、細かく知ることができるようになったのだ。

 

そうなれば、鳥の一羽一羽が、一羽のときには見られないように思える、「群れ」というふるまいを、どのように形作るのかについて、ハッキリとした測定結果を元にしながら、明らかにすることができるのではないか。

郡司氏はそう考えたのである。

 

実際の話、群れの解析結果によると、これまでの理論では、説明することができないことが、たくさんあることが解ってきた。群れの中で、一羽一羽の鳥は、互いに交差し、くんぞほぐれつしていることも、その一つだ。

これまでの理論では、群れが形成される際には、一羽一羽の鳥に「同調圧力」がかかり、それぞれがお互いに、進む方向とスピードを揃えるから、群れが全体として一つの方向へ進むと考えられていた。全体の要請に、個々の自由が制限されるということが、理論の骨子だったのだ。

ところが実際の群れでは、鳥は一羽として、同じ方向へ向かっていない。にもかかわらず、全体としては、一つの方向へ向かっていくというのである。

 

さらに郡司氏が注目したのが、「スケールフリー」というものだ。群れはスケールフリーになっているのだけれども、これまでの理論では、それを説明することは全くできなかったのだ。

 

群れは、一羽一羽の鳥は、決してたがいに方向やスピードを揃えてはいない。整然とした、軍隊のように行進するのではないのである。

ところが、全くランダムかといえば、そうでもないらしい。群れの、ある局部において、鳥が動きを揃えることがあるのだそうだ。

群れの大きさが、たとえば半径30メートルだったとしたら、その中の、10メートルなら10メートルの範囲にいる鳥達が、動きを揃える。といってその動きは、必ずしも全体の動きに沿ったものであるとは限らず、局部の鳥達が、全体としてまとまって、群れ全体の方向からするとあさっての方向へ動きだしたりするらしい。

 

そのあさっての方向へまとまって動きだす局部の大きさが、群れ全体の大きさに対し、比例しているのだそうだ。たとえば群れの大きさが30メートルのとき、その局部の大きさが10メートルだったら、群れが60メートルになれば、局部は20メートルになることになる。

局部の大きさ(スケール)が、固定されず(フリー)、群れ全体の大きさに対して伸縮するから、この現象は「スケールフリー」と呼ばれる。

このことは、現在の群れについての理論では、全く説明できないという。

 

鳥が局部で動きを揃える際、もし何らかの「信号」があったとする。それは音でもいいし、ニオイとかでもいいかもしれない。

その音やニオイの信号により、それを感知した鳥が動きを揃えるのだとすれば、局部の大きさは、固定されるはずなのだ。なぜならば、音でもニオイでも、物理的な信号が届く範囲は、群れの大きさにかかわらず、一定になるはずだからだ。

ところが実際には、局部の大きさは固定されず、群れの大きさに合わせて伸縮する。それは、局部の鳥がたがいに動きを揃えることが、物理的な信号によるものではないことを意味するわけだが、「それでは何によるものか」が、現在の理論では、皆目検討がつかないということだろう。

 

それを、郡司氏の理論は、見事に説明するのである。

郡司氏の理論とは、「ダチョウ倶楽部モデル」と、ご自身が呼んでいるものである。一言でいえば、「鳥は、まわりの雰囲気を読みながら、自分のふるまいを決める」ことになる。

この理論により、実際にコンピュータシミュレーションをしてみると、そのシミュレーション結果にはスケールフリーが見られ、群れ全体と局部の比率についても、現実の群れとまったく同じ値になったのだそうだ。

 

これはまったく、鮮やかなことだと思う。理論家が、自らの理論をこれだけハッキリ実証する実験結果を得られることは、そういつもあることではない、幸せなことだろう。

 

郡司氏の群れの理論は、この実証があるからこそ、巨大な説得力がある。

しかしもちろん、この実証は、郡司氏の理論の中では「氷山の一角」とも言えるもので、水面下には、長年にわたって積み重ねられてきた、奥深い思索のあとが刻まれているのである。

 

「郡司さんって若い頃からずっと同じことを言い続けてるよね。」

郡司ペギオ-幸夫『群れは意識をもつ』は死ぬかと思うほどおもしろいのである(5)

そう思えるんだよな。

 

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